一昨日のつづきです。
奈良県天川村の「大峯山」は、修験道の聖地のようです。役行者が約1300年前に開いたとされていて、断崖絶壁からつり下げられる荒行「西の覗(のぞ)き」で知られています。ここは、今でも女性の立ち入りを禁止する「女人禁制」の慣習が約1300年前から続くようです。
山伏姿の先達に連れられて山を登り、行場(崖)から縄で吊るされて落とされそうになります。先達に「親に孝行するか」「女遊びをしないか」などと怒鳴られ、「はい」と答える。大人の男になるための一種の通過儀礼とされています。
この修行、私もできる!と思う女性もいるかもです、とても、怖そうです。地元ではこんな言い伝えが起源とされています。
大峰山で修行に励む役小角を案じた小角の母親が、麓の町・洞川に住む小角の弟子を伴い、大峰山に登ろうとします。
谷にさしかかったところ、大蛇が大きな口を開けて襲いかかろうとし行く手をふさぎます。
2人はあきらめて洞川の里に引き返し、里に庵を結び、大峰山に手を合わせて小角の無事を祈ると、光の中から「阿弥陀如来」が現れ、「お前たちは小角の修行を妨げてはいけない。小角が下山するまで里で待ちなさい」と告げます。
以来、その谷が蛇ケ谷と呼ばれ、女人禁制の結界口と定められた。里人は庵跡に堂宇を建立し、「母公堂(ははこどう)」と呼ぶようになりました。
この話には、重要なポイントが隠されていて、女人禁制の理由も納得できるような気がします。
良かれと思って助ける事が、相手の為にならない事、転ばぬ先の杖を出すことは、転んでこそ解る痛みを回避させます。しかし、転ぶことでしか解らない得難い経験の道を閉ざします。
子供の成長を願う母。一方で子供に痛い思いをさせたく無いのも、父よりは、産み出した母かもしれません。転ばぬ先の杖を出していたり、子供に安易な道を用意したり、本人が道を作る邪魔を実はしやすいのも母なのかもしれないとも思いました。
また、山岳修行の究極の目的は自然(神)と溶け合う事かなと思います。そこには、厳しい自然と自分とのせめぎ合いも有ると思います。それに臨もうとするような強靭な精神の持ち主を自負していても、人は弱い部分があります。
特に人間の3大欲求による弱さは多かれ少なかれあると思います。そこを踏み外すと、身体を壊したり、家庭を壊したりします。
悟りに修験道のような過酷な修行がいるかどうかは判りませんが、修験道のような過酷な死と向き合うかも知れない経験は、余分なものを削ぎ落とすようにも思います。
亡くなる直前の方が本当に大切なものを悟ったり、または、大切なものを大切にしてこなかったと後悔したりすると聞きますから、それを修験道の修行により生きているうちに体得していたのかもです。
生きているうちに、命ある限り、家族を愛し、出会えた人を大切に思い縁に感謝し、生かされた命を片時も離れずに自分の内にいて見てくださる神様に恥ずかしくないように生きていきたいです。
【画像は、修験道、大峯山西の覗き検索画像よりお借りしました】