愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

日本共産党 新井杉生・和泉尚美合同事務所びらきへ行った

2008年09月20日 23時41分37秒 | JCPの活動、国民運動、国内の政治・経済等
 昨日は、仕事の帰り(残業を一切しないで定刻に切り上げて)に新井杉生さん(衆議院東京17区予定候補)と和泉尚美さん(東京都議会議員選挙葛飾選挙区予定候補)の合同事務所びらきがありました。時間は午後6時半からで場所は立石駅(京成線)近くの諏訪神社の境内を地元の組織が町会、各方面の承諾を得てお借りしました。
 ざっと見た感じですが、来た人の人数は、100人くらいはいた、あるいはそれを超えていたかもしれません。受付に名前を書いた人(そのなかに私もいましたが)の人数を地元の党組織に確認したわけではありませんので断定はしませんが。
 新井杉生さんは、若いときには民青同盟葛飾地区委員長をつとめるなど青年運動の葛飾にて先頭に立っていた人です。現在においては、日本共産党葛飾地区委員会青年学生部長として学費値下げなどを青年と一緒に取り組んでいます。
 和泉尚美さんは、社会保険労務士として年金相談や労働保険などの業務をしながら、国民の立場で社会保障法の改悪を許さない運動に取り組んできました。和泉尚美さんは、「しんぶん赤旗」の電話相談、新婦人しんぶんのコラムに「ママさん社労士の人生サポート」を24回連載しました。社会保険労務士は、主として中小零細企業を顧客として仕事をします。そのなかで、和泉尚美さんは石原都政のもとで中小企業の生活と営業が苦しめられていることをよく知っています。そういう中で和泉尚美さんは来年の7月に戦われる都議会議員選挙に立候補することを決意しました。
 今、国政においてはもちろん東京都においても(他地方の自治体にも当てはまります)政治の中身を如何にして国民本位・住民本位の方向へ切り替えていくかということが問われています。
 自公政権とは、対極的な姿勢を持ち、国民の立場に立ち政治の変革を進めていくという点でもっとも確かな政党は、日本共産党です。日本共産党の躍進を成し遂げてこそ、政治の中身が大企業・アメリカべったりから国民が主人公の方向へ切り替える展望が見えてきます。
 いま、政治情勢は予断を許さない状況にあり、困難が伴いますが、貧困をなくしていくために、なんとしても日本共産党の勝利と躍進を勝ち取りたいと私は思っています。

9・11テロ事件 Another History(上)

2008年09月20日 01時49分16秒 | ラテンアメリカの政治革新、文化等
 2001年9月11日アメリカ合衆国世界貿易センタービルに旅客機が2機突っ込んだ。周知のとおり、アルカイダによるテロ事件である。

 アメリカ大統領ブッシュは、報復としてタリバンが実効支配していたアフガニスタンに攻撃を開始した。当時アフガニスタンにアルカイダのウサマ・ビン・ラディンをタリバンが「客人」としてアフガニスタン国内に住まわせていた。アメリカは、タリバンに対してビン・ラディンの身を引き渡すことを要求したがタリバンは、証拠を示すことをアメリカに要求した。タリバンやアルカイダの肩を持つ気は私にはないが相手が証拠を示すことを要求しているのであれば、持てる証拠を示し、交渉するというのが国際社会における外交上のルールである。だが、アメリカにとってはタリバンの対応はアフガニスタン侵攻の口実に過ぎなかった。

 アフガニスタンの北側の国境を接するところには、トルクメニスタンやタジキスタンという国がある。これらの国々はいずれも旧ソ連の領内であった。中央アジアには天然ガス資源が豊富に存在している。ソ連が崩壊した後、アメリカは中央アジアの天然ガス資源を狙っていた。北側にはロシアが控えているのでアメリカは南側から中央アジア地域をグローバル化(要するにアメリカ資本主義経済システムに中アジアを組み込むということ)しようとしていた。だが、この際に障害になっていたのは、アフガニスタンが内戦により群雄割拠の状態であったことだ。同時に国境を接するパキスタンにとってもアフガニスタンの内戦は難民の問題を絶えず国内に持ち込まれることを意味していたので、パキスタン国軍は、アメリカの援助のもとタリバンを訓練し、育てた。そして、タリバンはアフガニスタンにおいて支配地域を拡大してアフガニスタンの大部分を実効支配するにいたるのである。突き詰めていけばタリバンを育てたのは、アメリカというわけである。なお、この背景に関しては、ジャーナリストの田中宇(たなか・さかい)が「タリバン」(光文社新書)において説明している。興味がある方は参考にしていただきたい。

 ここで述べたことは、日本において9・11と聞いて(自分もそう)思い浮かんでくる出来事である。しかし、ところ変われば単に9・11というのがまったく違う出来事を示す。ラテンアメリカでは、9・11と単に言うと2001年世界同時多発テロのことをさすのではない。この点に関しては、次の機会で述べよう。