愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

見えすいた茶番だ

2008年09月23日 00時54分11秒 | JCPの活動、国民運動、国内の政治・経済等
無効2票、1つは「中川元幹事長」=自民総裁選(時事通信) - goo ニュース

 福田氏が政権を放り投げた後自民党の総裁選が行われ、ある意味予定調和的に麻生氏が総裁に選出された。麻生氏は、総裁選で選出された後に「(5人の)対立はこの瞬間に終わった」と述べたわけであるが、とんだ茶番に過ぎない。今回総裁選に立候補した人々は、押しなべて小泉構造改革路線を推進してきた人たちばかりだ。要するに貧困と格差を拡大して俺たち国民生活に重大な困難をもたらした人たち同士で「対決」姿勢を演じてみたというわけだ。誰が総裁になったところで、路線の大筋が極端に変わるということはない。誰が総裁になってみたところで程度の差こそあれ国民に害悪をもたらすだけだ。対米従属・大資本優遇政治を推進する政治が行われるのだから、麻生氏であろうとほかの候補者であろうときたすべきは何もなかったのである。
 それにしても、マスコミの報道の仕方はいかにも上記を逸している、といわざるを得ない。いかに政権党といえども自民党の総裁選挙は自民党という政党の内部の人事の問題である。だから、例えば自民党の党員でない私(そもそも私は自民党に敵対する日本共産党の党員である)にとって自民党の総裁選挙には直接には何の関係もない。自民党のと党員以外の人は自民党の総裁選挙で総裁を選べるわけでもなんでもなくとうてい当事者とはいえないのである。だから、マスコミが自民党の総裁選の結果を報道することを否定しないが、ニュースに多大な時間を割き続けて垂れ流すべきことではない。まるで、自民党と大手マスコミが国民の自公政権への批判の目をそらすためにタッグを組んでいるかのような様相が現れた。
 総裁に新たに選出された麻生氏は、靖国派の中心的な人物である。平和の問題に関して強く警戒しなければならない人物が総裁に選出されたというわけだ。
 安部内閣、福田内閣と二つの内閣が立て続けに政権を放り投げたということ自体が自公政権の腐敗と破綻、行き詰まりの深刻さを示している。麻生氏に自公政治の病理を直す意図も能力もないことは明白である。
 今、日本の政治に問われているのは、いかにして政治の中身を国民本位に切り替えていくか、ということだ。総選挙がいつ行われるのかはまだ、確実なことはいえないがいつ行われても、日本共産党の勝利で日本の政治変革への展望をきりひらいていくまでだ。