「日本型ファシズムは首都東京から」―これが石原慎太郎東京都知事が掲げるスローガンである。誤解のないように申し上げておくが、石原慎太郎がこう言ったということではない。記事の表題に掲げたのは、都知事である石原慎太郎の本質的政治姿勢に対する表現である。
都議会において、石原慎太郎が推進した言論、表現の自由を根底から脅かす条例案を都議会において一部の会派を除く多数会派が賛成して可決させるという暴挙にうって出た。ことが概要については以下の動画をご覧いただきたい。
要するに青少年を守るためだとか言う、実にもっともらしい理屈をつけて過激な性描写、刑法に触れる強姦、児童買春を不当に賛美・誇張する漫画、アニメを有害図書として未成年者に販売できないように規制するとしているが、助長しているのかどうかなどということをどこで線引きをするのか、構成要件がまるで判然としない。
構成要件が不明確な法律、条例は、権力による恣意的な拡大解釈を際限なく許すことになり、言論・表現の自由を破壊する。例えば、法学部の学生が大学に入るときに判例学習の材料として「チャタレイ夫人の恋人」という作品が芸術なのか猥褻なのかということをめぐって表現の自由を考えるために活用される。ある作品を芸術と評価するか、猥褻と評価するのかは受け止める側の主観的な要素が色濃く反映する。漫画やアニメについても同様のことが当てはまる。だから、人の主観が色濃く反映して客観的に検証できないものは法的な線引きをして規制を加えることにはなじまないのである。
したがって、都議会で漫画やアニメのことに関して可決された条例案のもっとも重大な問題点は、権力が世の中に出回る作品の内容を判断して、内容にたいしての良し悪しなどにラベリングするということにある。これは、憲法で禁止している検閲を都条例で定めたことに他ならない。都議会で生じたことは日本国憲法上許されない暴挙である。
確かに、社会を見渡すと未成年者を性的欲望として描き、作品に触れた人が妄想に浸ることを想定して描かれたようなポルノコミックなどが存在する。私はそのようなものは嫌いだし、消えうせてほしいとさえ思っている。だからといって、法律や条例で内容を規制するべきかどうかとなると話は別である。このような事柄は、未成年者を性的欲望の対象にして心の中で陵辱して妄想に浸るような、そのような作品が社会に出回るのは、一人一人の人間としての尊厳が大切にされない社会的風潮が生み出す病理現象である。これは、あれこれの作品の内容を法律、条例で規制していくのではなく、自律的、民主的な市民道徳を確立することによって乗りこえて行くべきである。
心の中で思っているだけのことと違い、どのようなことでも表現をする場合には他者の存在を前提として私たちは考えなければならない。社会には子どもから高齢者までさまざまな人がいる。内容によっては、未成年者への配慮、人間としての発達段階を熟考した配慮というのが必要である。ポルノ作品が例えば中学生が簡単に手に入る状況が好ましいとはいえない。だから、社会の退廃現象から未成年者を保護するには一定のルールが必要である。ではどういう考え方をするべきなのかということが問題になる。
漫画、アニメというのは、言論や表現の自由が根底に関わってくるのは言うまでもないのと同時に商業ベースに乗っている場合には原作者など出版する側の経済活動という性格を持つ。このような場合には、経済活動・営利活動という点に着目して作品の流通方法、販売方法にたいして最小限の明確なルールを作るべきである。作品の内容に権力は介入してはならない。
都議会において、石原慎太郎が推進した言論、表現の自由を根底から脅かす条例案を都議会において一部の会派を除く多数会派が賛成して可決させるという暴挙にうって出た。ことが概要については以下の動画をご覧いただきたい。
要するに青少年を守るためだとか言う、実にもっともらしい理屈をつけて過激な性描写、刑法に触れる強姦、児童買春を不当に賛美・誇張する漫画、アニメを有害図書として未成年者に販売できないように規制するとしているが、助長しているのかどうかなどということをどこで線引きをするのか、構成要件がまるで判然としない。
構成要件が不明確な法律、条例は、権力による恣意的な拡大解釈を際限なく許すことになり、言論・表現の自由を破壊する。例えば、法学部の学生が大学に入るときに判例学習の材料として「チャタレイ夫人の恋人」という作品が芸術なのか猥褻なのかということをめぐって表現の自由を考えるために活用される。ある作品を芸術と評価するか、猥褻と評価するのかは受け止める側の主観的な要素が色濃く反映する。漫画やアニメについても同様のことが当てはまる。だから、人の主観が色濃く反映して客観的に検証できないものは法的な線引きをして規制を加えることにはなじまないのである。
したがって、都議会で漫画やアニメのことに関して可決された条例案のもっとも重大な問題点は、権力が世の中に出回る作品の内容を判断して、内容にたいしての良し悪しなどにラベリングするということにある。これは、憲法で禁止している検閲を都条例で定めたことに他ならない。都議会で生じたことは日本国憲法上許されない暴挙である。
確かに、社会を見渡すと未成年者を性的欲望として描き、作品に触れた人が妄想に浸ることを想定して描かれたようなポルノコミックなどが存在する。私はそのようなものは嫌いだし、消えうせてほしいとさえ思っている。だからといって、法律や条例で内容を規制するべきかどうかとなると話は別である。このような事柄は、未成年者を性的欲望の対象にして心の中で陵辱して妄想に浸るような、そのような作品が社会に出回るのは、一人一人の人間としての尊厳が大切にされない社会的風潮が生み出す病理現象である。これは、あれこれの作品の内容を法律、条例で規制していくのではなく、自律的、民主的な市民道徳を確立することによって乗りこえて行くべきである。
心の中で思っているだけのことと違い、どのようなことでも表現をする場合には他者の存在を前提として私たちは考えなければならない。社会には子どもから高齢者までさまざまな人がいる。内容によっては、未成年者への配慮、人間としての発達段階を熟考した配慮というのが必要である。ポルノ作品が例えば中学生が簡単に手に入る状況が好ましいとはいえない。だから、社会の退廃現象から未成年者を保護するには一定のルールが必要である。ではどういう考え方をするべきなのかということが問題になる。
漫画、アニメというのは、言論や表現の自由が根底に関わってくるのは言うまでもないのと同時に商業ベースに乗っている場合には原作者など出版する側の経済活動という性格を持つ。このような場合には、経済活動・営利活動という点に着目して作品の流通方法、販売方法にたいして最小限の明確なルールを作るべきである。作品の内容に権力は介入してはならない。