愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

赤いキリストの志

2010年12月26日 01時13分14秒 | 現代に活きる Che Guevara の志


 上の画像はいわゆるゲバラTシャツ、そのほかゲバラ関連のグッズの元になっている写真です。もちろん、ゲバラ関連のグッズではほかの写真も多く使われていますが、これがゲバラの写真というと上のが真っ先に思い浮かぶのではないでしょうか。

 誤解を恐れずに言うなら、私は自分のことをゲバラ主義者と言ってはばかりません。もちろん、チェ・ゲバラと私自身が生きている時代と国が違うから、日本において武装闘争をしようとは考えていません。日本においては、昔のラテンアメリカ諸国と違って、憲法によって議会制民主主義を基本においた革命運動が可能なので、武装闘争をする必要はないし、してはいけないわけです。チェ・ゲバラの戦い方は、当時のラテンアメリカの軍事独裁政権のもとで民主主義がまったくなく、貧困を根絶しようと、国民のための政府をつくろうとしたら武装闘争以外に方法がなかったということによります。

 チェ・ゲバラは1967年にボリビアの山中でゲリラ戦のさなかにボリビア国軍にとらわれ、銃殺されました。当時の敗北の原因として考えておかなければいけないことは、当時の農民に革命運動が支持されず政治戦で勝利できなかったことです。

 キューバ革命以前にもグァテマラのように対米自立を志向する政権ができたことがあります。しかし、アメリカが反動勢力を支援し、クーデターをけしかけてことごとく、対米自立を志向する政権をつぶしていきました。チェ・ゲバラは自らの経験などからラテンアメリカは団結してアメリカ帝国主義に立ち向かうべきだと考えていました。チェ・ゲバラがボリビアへ行ってゲリラ戦をしたのにはここで述べたような情勢が反映していました。ラテンアメリカ諸国の団結という着眼点は良かったのですが、キューバとは政治情勢、国内状況、民族、文化が共通する部分あるにしても異なるところへ外から革命運動を持ち込もうというところに無理がありました。これが、当時のチェの戦いが敗北した本質的な原因です。ほかにも要素はもちろんいくつもありましたが。

 では、チェ・ゲバラの戦いが無駄だったのかというとことはそう単純ではありません。

 チェ・ゲバラがボリビアで非業の死を遂げてから実に40年の歳月が経過したとき、2005年12月18日にエボ・モラレス氏が大統領選挙に当選し、翌年1月の就任演説では「これは、チェ・ゲバラに続く戦いだ」とこぶしを振り上げたことは、チェ・ゲバラの米帝国主義からの解放を求める戦いが長い間一貫してラテンアメリカ諸国の人民にとってきわめて切実であったことを如実に示していますす。だからこそ、40年前のボリビアでチェ・ゲバラが率いる革命軍が農民から支持されずに敗北しながら、時が経過したあとにボリビアの革命勢力が自らの戦いをチェ・ゲバラに続くものである、こういう意味合いを持つにいたったわけです。

 私自身がチェ・ゲバラに傾倒し、ラテンアメリカに関心を持っているのは、今までも述べたように、対米自立が未来をきりひらくために避けて通れないということ、新自由主義が社会の隅々にまで荒廃をもたらし、こういったことを打開することが不可欠であるということ、これらが日本とラテンアメリカとで共通しているからです。

 昨年の秋に民主党中心の政権が日本において成立しました。政権発足当時は国民の期待を集めましたし、政策面でも国民要求を一定反映していました。しかし時が経過するほどに、政権の政治姿勢が後退と国民への裏切りを重ねて今では自民党化している、自民党よりもっと悪い面すらあります。こういう状況が生じた根本は、現行政権に対米従属から離脱することや新自由主義からの決別という方向性がないということにあります。

 沖縄の普天間基地問題に限らず、TPP問題、そのほか新自由主義から決別していくということなど、対米従属と大企業一辺倒の政治から抜け出すことは日本政治において、階級闘争のもっとも激しくなるところです。日本とラテンアメリカでは社会と政治の状況が違うので、当然チェ・ゲバラと同じ戦い方をするわけではありませんが、日本でもチェ・ゲバラの志が活かされて良いのではないかと私自身思うしだいです。


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