愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

「子どもの貧困に目を向けて!」2

2009年02月11日 23時11分19秒 | 貧困根絶をめざす

すべての人には愛される権理がある

 大き目の太目の文字で書いてあることは日本国憲法で言えば「基本的人権の尊重」のことです(第11条)。権利と普通表記してある言葉を権理と言い表しているのは漢字の変換ミスではありません。私はあえてこういう表記を使用しました。明治時代に自由民権運動をすすめてきた人の中に"right"の訳語として権理あるいは権義という訳語を使うべきと主張した人がいまして、私はこれをふまえています。

 子ども達は、未来を担う世代の人々です。だから、ある社会において希望があるかどうかは子ども達がどれだけ幸せに暮らしているかどうかで測ることができます。子ども達が貧困に苦しむ、というのは教育課程からの排除、医療からの排除など社会からのさまざまな排除を受けて人生の前途にまるで希望を見出せない状況です。例えば、非行や援交等に走る子の中には、貧困に苦しむ子が多いわけですがこれは人生に希望を見出せないからです。このことに関してはかつて「夜回り先生」と呼ばれた水谷修さんの著書を読んでいただければ彼自身の壮絶な実践から見て取れます。今にして思えば、水谷修さんの著書(私が持っているのは「夜回り先生の卒業証書(日本評論社)」)は、私にとって子どもの貧困を考え始める一つの契機になったように思えます。

貧困の連鎖をとめるために

 貧困は子どもたちにさまざまな面で発達の障害をもたらします。貧困家庭においては、親が生活のために二つ以上の仕事を掛け持つなど総じて長時間労働にさらされます。これは、子どもの親自身の心身の健康を蝕んでいきます。また、長時間労働により、子どもとの接触が阻害されていきます。朝食を食べないで学校に来る子のなかには一人親の家庭である、そのほか貧困状況におかれている子どもがいます。貧困は、子どもたちの生活のあらゆる場面で人間としての発達の阻害要因として作用し、人生の初期において未来への希望、生きていく気力や意欲を削いでいきます。総じて、貧困家庭に育つ子どもたちは、そうでない子ども達と比べてさまざまな場面での社会体験を積んでいく機会にすら恵まれません。こういったことは、貧困家庭で育った子ども達が成人した後、行きづらさとしてのしかかっていきます。そのために、貧困家庭で育った人は成人した後も貧困に陥りやすく、こうして貧困は貧困として連鎖していきます。

自己責任論を破る力

 小泉構造改革以降、「勝ち組、負け組み」、「自己責任」という言葉が横行していき、とくに「自己責任」論は、現在でも労働者階級が社会・政治変革へ立ち上がる際の枷として作用しています。現在、企業犯罪に起因する派遣切りの問題でも「自己責任」論が横行しています。ネットのニュースに対するコメントや、日本共産党議員のブログに寄せられたコメントにも「備えをしなかったのが甘い(悪い)」などの声が出ています(私が直接見たのは日本共産党江戸川区議会議員の間宮由美さんのブログです。問題の記事のURL:http://blog.goo.ne.jp/mamiya-yumi/e/9886dd189b8d59dc43090582a9abac6b)。

 しかし、子どもの貧困に関しては「自己責任」論が入り込む余地がまったくありません。どのような人であれ生まれ育つ環境を選ぶことはできない、という極めて単純な理由を考えれば良いです。人間は、もって生まれた才能により人生の影響を受けるとしても、生まれ育つ環境により人生のあり方に決定的な影響を受けます。潜在的にどのような才能があったとしても、この才能を伸ばすための教育や訓練を受ける機会に恵まれなければ本人も周りの人も彼あるいは彼女の可能性を気付かずに時を過ごし、彼あるいは彼女は人生を終えることになるでしょう。
現在の社会においては、教育を受けるためには経済力を要します。生まれ育った家が貧困の状況にあれば経済的な要因により、そして本人にはどうにもできない要因により、教育過程から排除され、能力を伸ばすことができなくなります。彼あるいは彼女の潜在的能力、社会生活を営んでいくための教育から排除されれば、結局成人した後に、結局一般的傾向として貧困におちいっていくわけです。こうして、貧困は世代から世代へと連鎖され、再生産されていきます。

 現在の大人にも当然子どもであった時代があります。ですから、現在における子どもの貧困を考えることはいま現在、貧困に追い詰められている大人がどうして貧困にはまり込んでいったのか、ということを考える道筋になります。多くの場合、現在の貧困状況におかれている大人は、貧困の中で子ども時代を過ごた結果、貧困が本人に連鎖していった結果です。こういったことを考えていくと、貧困にあることを「自己責任」とする論調の根拠のなさがあきらかになってきます。子どもの貧困を考えることはすなわち、貧困に対する「自己責任」論を打ち破る力になります。

まとめ

 子どもの貧困にとりくむ意義と必要性は以下のようになります。

1.貧困の連鎖を断ち切り、未来への希望ある社会をつくっていく
2.「自己責任」論の根拠のなさと欺瞞性を暴露し、貧困を根絶していくための社会的連帯を構築して広げていく





 子どもの貧困に関しては私自身もまだ考察の途上にあります。また、子どもをめぐるあれこれの問題の専門家ではありませんので、もしかしたら見落としなどがあるかもしれませんが以上がさし当たって私が考える、子どもの貧困にとりくむ意義と必要性に関する見解です。

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