送りたいものがいくつかあり、荷物を作りました。郵便局へ。郵便の手続きを済ませると、他に手続きが必要なものがあり、それに時間が掛かりました。
戻ると、両親と駅前の回転寿司に行きました。前回の帰国時に、羽田空港で回転寿司に行ったのですが、残念ながらまた行こうと思えるところではなかったので、近所の回転寿司に行くことにしました。おいしくたくさん頂きました。
スーパーに行くと、両親がお土産に食料を買ってくれました。私は、そこから自分の用事を済ませながら歩いて帰りました。
近所の方にご挨拶に伺いました。改めて良い方々に支えられていると感じ、本当に有難いと思いました。
暗くなると、さて支度。まずは散らかっている部屋を片付けました。持って帰るものは、スーツケースに簡単に入るほどしかなかったので、重さと、割れ物のことを考えながら詰めました。早く終われば、タンスの中など片付けたかったのですが、今回もその時間はありませんでした。
父の運転で空港に向かいました。
羽田空港に着くと、すぐに古谷野先生にお会いしました。チェックインに並びながら、前回お世話になった方にお礼を言いたいと探していたのですが、いらっしゃいませんでした。しかし、私の順番になった時にその方が現れ、手続きをして下さることになりました。今回もとても親切でした。そこに、
「古谷野先生!」
振りむくと大阪のバトントワラー。私がKAに出ることになってからお会いしていないと思いますので、七、八年ぶりの再会でしょうか。思いがけない再会を、とても嬉しく思いました。彼は、スロベニアにバトントワリングの指導に向かうそうです。まだまだ若い彼ですが、頼もしいです。益々のご活躍を期待しております。
それからお茶を飲みに行きました。私は車で送ってもらっている時から足が寒く、何か温かいものをと思っていましたが、先生と両親はソフトクリーム。寒さを感じていなかったら、私も食べたかったです。
夜中の出発にいらして下さった先生、いつも温かく見守って下さって、有難いです。両親は、私が乗った飛行機が飛び立つまで待ち、最後まで見送ってくれたそうです。今回の帰国時も大変お世話になりました。ありがとうございました。
二十六日に搭乗した機内。チェックインカウンターの方のご配慮で、四人掛けに私一人、その向こうの二人掛けにも人が居ないという状態で、二十七日に離陸をしました。シートベルト着用サインが消えたら、横になることが出来ると思っていました。しかし、その向こうの二人掛けのところに、後ろの方から人が来て、その内にその方が友達を呼びたいと言い、女性一人が四人掛けの通路側に座りました。私は、自分だけ良い思いをしないで、みんなで良い思いは分けないと、と考えるようにして、気持ち良く帰れるように心掛けました。しかし、その女性はいらした時に何も言わず、少し驚きました。私は足を上げることはせずに、膝から上だけ横になり寝ていました。すると腿のところに何か当たるので、起きると、隣りにいらした方の足が腿の下に入ってきました。びっくりして起き上がると、その方は気付いて足を移動させましたが、また何も言いませんでした。彼女をその場所に呼んだ方は、移動してきた二人掛けの席が不満だったようで、さらに前の方へ行っていたので、その内に私の隣の方も前に移動し、もう戻らないのかと思うと、また戻ってきたり、ふらふらふらふらしていました。
到着する前の機内食は、和食がありました。お弁当のようでかわいらしいものでした。
二十六日に戻り、ロスアンゼルスに到着。入国審査の方は、長い一日で疲れているのか、何も質問をしませんでした。ロスアンゼルスは十八度と機内で放送されましたが、本当に暖かでした。
ラスベガスに到着すると、出発の日に頂いたシャトルバスの券を使って帰ることにしました。シャトルバスが来るまで並び、バスに乗ってからも待ちました。只なので、仕方ないです。気長に待ちました。
さて、お願いしていたカーペットクリーニング。期待を込めて、玄関のドアを開けました。しかし、やはり来てませんでした。アメリカに帰ってきました…。
戻ると、両親と駅前の回転寿司に行きました。前回の帰国時に、羽田空港で回転寿司に行ったのですが、残念ながらまた行こうと思えるところではなかったので、近所の回転寿司に行くことにしました。おいしくたくさん頂きました。
スーパーに行くと、両親がお土産に食料を買ってくれました。私は、そこから自分の用事を済ませながら歩いて帰りました。
近所の方にご挨拶に伺いました。改めて良い方々に支えられていると感じ、本当に有難いと思いました。
暗くなると、さて支度。まずは散らかっている部屋を片付けました。持って帰るものは、スーツケースに簡単に入るほどしかなかったので、重さと、割れ物のことを考えながら詰めました。早く終われば、タンスの中など片付けたかったのですが、今回もその時間はありませんでした。
父の運転で空港に向かいました。
羽田空港に着くと、すぐに古谷野先生にお会いしました。チェックインに並びながら、前回お世話になった方にお礼を言いたいと探していたのですが、いらっしゃいませんでした。しかし、私の順番になった時にその方が現れ、手続きをして下さることになりました。今回もとても親切でした。そこに、
「古谷野先生!」
振りむくと大阪のバトントワラー。私がKAに出ることになってからお会いしていないと思いますので、七、八年ぶりの再会でしょうか。思いがけない再会を、とても嬉しく思いました。彼は、スロベニアにバトントワリングの指導に向かうそうです。まだまだ若い彼ですが、頼もしいです。益々のご活躍を期待しております。
それからお茶を飲みに行きました。私は車で送ってもらっている時から足が寒く、何か温かいものをと思っていましたが、先生と両親はソフトクリーム。寒さを感じていなかったら、私も食べたかったです。
夜中の出発にいらして下さった先生、いつも温かく見守って下さって、有難いです。両親は、私が乗った飛行機が飛び立つまで待ち、最後まで見送ってくれたそうです。今回の帰国時も大変お世話になりました。ありがとうございました。
二十六日に搭乗した機内。チェックインカウンターの方のご配慮で、四人掛けに私一人、その向こうの二人掛けにも人が居ないという状態で、二十七日に離陸をしました。シートベルト着用サインが消えたら、横になることが出来ると思っていました。しかし、その向こうの二人掛けのところに、後ろの方から人が来て、その内にその方が友達を呼びたいと言い、女性一人が四人掛けの通路側に座りました。私は、自分だけ良い思いをしないで、みんなで良い思いは分けないと、と考えるようにして、気持ち良く帰れるように心掛けました。しかし、その女性はいらした時に何も言わず、少し驚きました。私は足を上げることはせずに、膝から上だけ横になり寝ていました。すると腿のところに何か当たるので、起きると、隣りにいらした方の足が腿の下に入ってきました。びっくりして起き上がると、その方は気付いて足を移動させましたが、また何も言いませんでした。彼女をその場所に呼んだ方は、移動してきた二人掛けの席が不満だったようで、さらに前の方へ行っていたので、その内に私の隣の方も前に移動し、もう戻らないのかと思うと、また戻ってきたり、ふらふらふらふらしていました。
到着する前の機内食は、和食がありました。お弁当のようでかわいらしいものでした。
二十六日に戻り、ロスアンゼルスに到着。入国審査の方は、長い一日で疲れているのか、何も質問をしませんでした。ロスアンゼルスは十八度と機内で放送されましたが、本当に暖かでした。
ラスベガスに到着すると、出発の日に頂いたシャトルバスの券を使って帰ることにしました。シャトルバスが来るまで並び、バスに乗ってからも待ちました。只なので、仕方ないです。気長に待ちました。
さて、お願いしていたカーペットクリーニング。期待を込めて、玄関のドアを開けました。しかし、やはり来てませんでした。アメリカに帰ってきました…。