大人数のわが社でのデイサービスでのこと。
数人がボランティアの先生にテーブルを囲んで
ビーズ細工を教えてもらっておられた。
そのテーブルの位置がよりにもよって壁に囲まれて暗そう。
「見えますか?」
と尋ねたらやはり暗いとのこと。
老眼鏡でやっと見える高齢者があの小さいビーズ細工をやって居られるのだ。
手先だって昔の思うように思うようには動かない。
思わず担当に
「障害のある人たちでしょ。明るいところへ配慮して。」
と頼んだら
くちびるを震わせて怒られた。
「障害はいかんでしょ!」
我が子は障害者。
私自身、その言葉が不快だと思ったことはない。
手話では棒をぽっきり折る動きで障害を表す。
聴覚障害者が自身の事をそう手話される時に
私は一瞬、ドキっとした。
言葉はそれを伝えるために必要不可欠なものなのだ。
何と言ってそれを伝えれば良いのだろう?
障害と言う言葉だけに過敏反応するよりは
その人たちの本当に必要な配慮がなされることが
介護職としては大事ではないかと思ったが、
その場の雰囲気を思って議論せず、その点を誤って、
何とかしてほしい旨だけもう一度頼んだ。
障害と書くことにもためらいがあって
ネット上でも
『障碌』とか『障がい』とかを使われる人も多い。
障害と言う言葉は不適切なのか?
当事者に不快感を与えるものなのか?
私自身、『高齢になったらみな障害者』
健常者もいづれは障害者になるんだと
公言してはばからないでいたけど
こう言う言い方もマズイのかな?
心の垣根があるから言葉にこだわってるんじゃないのかと
こだわっているところに逆に何か異物感を感じてしまった。
明日は同窓会。
恩師が開設された社会学部の見学もする。
福祉を30年も前に学んだ先生や仲間にちょっと聞いてみようっと。
数人がボランティアの先生にテーブルを囲んで
ビーズ細工を教えてもらっておられた。
そのテーブルの位置がよりにもよって壁に囲まれて暗そう。
「見えますか?」
と尋ねたらやはり暗いとのこと。
老眼鏡でやっと見える高齢者があの小さいビーズ細工をやって居られるのだ。
手先だって昔の思うように思うようには動かない。
思わず担当に
「障害のある人たちでしょ。明るいところへ配慮して。」
と頼んだら
くちびるを震わせて怒られた。
「障害はいかんでしょ!」
我が子は障害者。
私自身、その言葉が不快だと思ったことはない。
手話では棒をぽっきり折る動きで障害を表す。
聴覚障害者が自身の事をそう手話される時に
私は一瞬、ドキっとした。
言葉はそれを伝えるために必要不可欠なものなのだ。
何と言ってそれを伝えれば良いのだろう?
障害と言う言葉だけに過敏反応するよりは
その人たちの本当に必要な配慮がなされることが
介護職としては大事ではないかと思ったが、
その場の雰囲気を思って議論せず、その点を誤って、
何とかしてほしい旨だけもう一度頼んだ。
障害と書くことにもためらいがあって
ネット上でも
『障碌』とか『障がい』とかを使われる人も多い。
障害と言う言葉は不適切なのか?
当事者に不快感を与えるものなのか?
私自身、『高齢になったらみな障害者』
健常者もいづれは障害者になるんだと
公言してはばからないでいたけど
こう言う言い方もマズイのかな?
心の垣根があるから言葉にこだわってるんじゃないのかと
こだわっているところに逆に何か異物感を感じてしまった。
明日は同窓会。
恩師が開設された社会学部の見学もする。
福祉を30年も前に学んだ先生や仲間にちょっと聞いてみようっと。