陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

障害という言葉は不適切か?

2007-10-05 22:51:22 | Weblog
大人数のわが社でのデイサービスでのこと。
数人がボランティアの先生にテーブルを囲んで
ビーズ細工を教えてもらっておられた。
そのテーブルの位置がよりにもよって壁に囲まれて暗そう。
「見えますか?」
と尋ねたらやはり暗いとのこと。
老眼鏡でやっと見える高齢者があの小さいビーズ細工をやって居られるのだ。
手先だって昔の思うように思うようには動かない。

思わず担当に

 「障害のある人たちでしょ。明るいところへ配慮して。」

と頼んだら
くちびるを震わせて怒られた。

 「障害はいかんでしょ!」

我が子は障害者。
私自身、その言葉が不快だと思ったことはない。

手話では棒をぽっきり折る動きで障害を表す。
聴覚障害者が自身の事をそう手話される時に
私は一瞬、ドキっとした。
言葉はそれを伝えるために必要不可欠なものなのだ。
何と言ってそれを伝えれば良いのだろう?

障害と言う言葉だけに過敏反応するよりは
その人たちの本当に必要な配慮がなされることが
介護職としては大事ではないかと思ったが、
その場の雰囲気を思って議論せず、その点を誤って、
何とかしてほしい旨だけもう一度頼んだ。

障害と書くことにもためらいがあって
ネット上でも
『障碌』とか『障がい』とかを使われる人も多い。

障害と言う言葉は不適切なのか?
当事者に不快感を与えるものなのか?

私自身、『高齢になったらみな障害者』
健常者もいづれは障害者になるんだと
公言してはばからないでいたけど
こう言う言い方もマズイのかな?

心の垣根があるから言葉にこだわってるんじゃないのかと
こだわっているところに逆に何か異物感を感じてしまった。

明日は同窓会。
恩師が開設された社会学部の見学もする。
福祉を30年も前に学んだ先生や仲間にちょっと聞いてみようっと。

自然な老死もむつかしい

2007-10-05 06:52:21 | ねこ
やっと昨日の夕方から回復。
以前ほど注射で劇的な食欲の戻りはないけれど、
8割くらい痛みが消えた感じ。

あ~んして
獣医さんに痛いところを見せる訳でもなく、
診察台は
ちくんされる痛い場所とインプットしてしまったから、
いつも緊張の汗で台が濡れている。
押えている手に体の震えが伝わってくる。

治療の注射さえも
ふぃんふぃん的にはものすごい恐怖なのだ。
もしか隠れている病気を知る血液検査に連れてゆくのもためらう。
ちゃんと検査や診察してもらうとなったら、
絶食させて、1日がかりの麻酔になるのだろう。

少し食べられる様になったから、
薬の効力が切れるまで
せめて好きな物食べさせて体力回復させよう。
自分の口の痛さにおびえて
物陰に潜まなくなっただけでも良い。

老・死は人も猫も避けられることではない。
せめて痛くなく迎えられるといいなぁ~
眠るがごとくが理想型だろう。
存えるだけの治療は
逆に苦しみの時間を長くしてしまう気がする。

医療の進歩に
その自然の死にもいろんな選択ありの時代になった。
猫の治療を悩みながら
自分とダブらせて考えてしまう。