陽だまりのねごと

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地域の総合病院は変われるか?

2008-11-13 07:35:53 | Weblog
喉痛でだるい。今、病気になってはいられない。
早目にかかりつけで薬をもらった。
睡眠作用があるのかこたつで午後7時半息子の帰りを待ちつつ、ついうたたね。
電話の音に起こされた。
母のショートステイ先だった。
痛み止め座薬を持って行き忘れ本人から訴えがあったとのこと。

瞬時に頭が回らない。
痛み止めは実家の冷蔵庫だろう。
妹は自分の入院準備もあり、冷蔵庫内の薬の存在まで忘れたらしい。
母は母で夜痛みが出始めて気が付いたらしい。
今すぐでなく明日持ってきてと母が言っているとのこと。
リウマチの痛いのは早朝なのだ。
今から持っていく方が良かろう。

妹婿は確か夜勤。家には誰もいない。実家のカギを持っていない。
妹の病院へ行って、カギをもらって…
息子の帰宅また何時になるか分からないし…
何をどうすれば…
ぼぉ~とすること30分。
やっと息子へは置き手紙をして妹の病院へ急いだ。

夜は面会が多いのか病院の駐車場はいっぱい。
空きスペースを探しながら足が不自由になってから夫を通院させる大変さを思い出した。
夫は歩くことも立っていることも困難な時期にきていた。
病院の車寄せに滑り込んで、玄関から車いす探し当てて、夫を車いすに移動。
待合室まで押して行き人邪魔にならない場所へ落ち付かせ、
自分は車へ取って返し駐車スペース探したものだ。
込みあう病院で通院すら人への気兼ねでいっぱいだった。
今より7年若い私は頭も体もフル回転していたらしい。

妹は6人部屋だった。
夫がガン告知を受けた日もこんな古びた病院の狭い6人部屋だったのだと、また思い出す。
嘔吐の気配がカーテン越しに聞こえる。
妹が小さい声で
『今日、手術が済んだ人みたい。』
明日は我が身の苦しむ気配と共に妹は一夜を過ごすことになる。

患者の思いなどここではゴミみたいなもの。
修理しては日常へ返す修理工場みたい。

医師からの奨めもない緩和ケアへの転院を頼んだ時に
担当医から脅された。

 『治療放棄して後悔しないか。』

そして満足なケアが受けれないも言い訳も聞いた。

 『ここは救急病院です。』

地域の誰が救急病院と思っているだろう。
ちょっと高度な治療が必要なったら頼りにしている地域の総合病院だ。

夜の帳が感傷へといざなうのか?
ここしか頼りになる病院が近くにないから誰もが利用する。
闘病の辛さ原因はこの箱に起因することだらけだったと憎々しい思いが占めてきた。
時代はすすんで、ここに緩和ケア病棟が増築中だ。

筑紫哲也さんはあの緩和ケアで有名な聖路加病院で緩和ケア拒んで亡くなったと聞いた。
心身の痛みを配慮されれば病がちょっとお休みしてくれることだってある。
病気の時こそ周りに気を使いたくないもの。
命の時間を苦しい治療で終えるより有意義に使うことを考えるのは人生の土俵を降りる事ではない。
緩和ケアは敗北ではないと私は思う。
緩和ケアはまだまだ誤解の中にある。そして終末期医療は緩和ケア病棟だけの問題ではない。

6人部屋。今では少なくなったけど人とカーテンを仕切られただけの病棟は結構シンドイ。
この古い総合病院は緩和ケア病棟という器を作って看護の中味も変わってくることが出来るだろうか?
修理不能の終末期患者はこの箱へぞくぞくとやってくるのだ。
家で死ねなければせめて近くの病院でと。