総決算のときメイ サートンみすず書房このアイテムの詳細を見る |
これは私小説っぽい小説?
がん死を前にして残された時間が少ないと分かった時に何を一番思うのか?
家族と言う絆のわずらわしさが素直な気持でむきだしにされていたし、
肉親の死さえも
その人への思いより自分の気持ちへの折り合いが優先される。
あの時、夫の死を看取った時を思い出させた。
夫は実の母親に会いたがらなかった。
それは子のエゴだろうけれど死に逝く者にはエゴは許される気がした。
当の母親には耐えがたい仕打ちである事をさっ引いいても。
人と人との関係を織物に喩えてあった。
犬猫利害の絡まないストレートな情の表し方が人間のそれより救われることも猫と共居の私にはすっと胸に落ちた。
同性愛者である作者が女にこだわった部分も、女は女同士でないと気持ちの機微が伝わらないと言う点では腑に落ちる。
母娘の関係のしんどさ、女姉妹のわずらわしさ。
女くさい関係がまたウチはそう濃くはなのだけれど分かる気がした。
病院の人をつい物扱いしてしまうことに逐一傷ついている様も痛いほどわかった。
家での死を今、介護医療費高騰の視点もありながら実践に向けての取り組みが始まっている。
最後まで自分らしく、最後の最後に自分は何を思い、どう過ごしたいのか?
自分の事として考えるきっかけになる1冊だった。
先に読んだ↓
82歳の日記メイ・サートンみすず書房このアイテムの詳細を見る |
とクロスする部分もあった。
老いを綴った『82歳の日記』より若い肉体への痛みの方が強い気感じ受けたけれど、実際はどうなのだろう?
2冊に共通して草花自然の描写が透明な雰囲気を醸し出していたような気もする。
正直なところ諸事雑多に追われて図書館貸出期限にやっと間に合わせて読み終わった感じ。
わざわざ県立図書館から借りだしだからちゃん期限守らなくてはと妙に律儀に思った。
長い2週間で季節は一気に冬に移行したみたい。
『何かをする』ではなく『何かを思う』
ことが大事だと一節にあった。
総決算を意識して死を迎える準備は日々の中にあるのだろうが、
時間に埋没してこのフレーズもわすれるんだろうな?きっと。
耳にラベンダーを付けて気持ちを落ち着けるシーンを読んで、
夫の死の枕もとに忍ばせた紫の小瓶を思い出し、実際に耳朶に付けてみた。
今、いい香り~