松本での昼休みに行ってきました。
蒸気機関車D51172
このD51172蒸気機関車は「デコイチ」と言う名称で親しまれ、昭和14年3月31日、日本車輌株式会社で製造され輸送の主力として、戦前、戦後を力強く走り続けた、日本の代表的機関車です.まず、敦賀機関区へ配属され、その後静岡機関区を経て、昭和24年6月27日長野県入りし、上諏訪、松本、長野、木曽福島の各機関区を経て昭和48年11月27日まで実に37年7ヶ月の長きにわたって2,161,431Kmを走りその使命を終了しました.
特に昭和24年長野県入りしてからは、中央東西線、篠ノ井線、信越線等県下の主要路線で24年間も走り続け、客車、貨物の輸送に地域の産業、経済、文化等の発展に多大な貢献をしましたが、国鉄の近代化とともに、昭和48年11月27日廃車となりましたので、ふるさとののなじみ深いこのD51172の貸与を受け、アルプスの見える緑の大久保工場公園の一画に設置し、学校教育は勿論のこと広く市民一般に役立てるべく、展示したものです.
昭和49年11月22日 松本市
蒸気機関車D51172
このD51172蒸気機関車は「デコイチ」と言う名称で親しまれ、昭和14年3月31日、日本車輌株式会社で製造され輸送の主力として、戦前、戦後を力強く走り続けた、日本の代表的機関車です.まず、敦賀機関区へ配属され、その後静岡機関区を経て、昭和24年6月27日長野県入りし、上諏訪、松本、長野、木曽福島の各機関区を経て昭和48年11月27日まで実に37年7ヶ月の長きにわたって2,161,431Kmを走りその使命を終了しました.
特に昭和24年長野県入りしてからは、中央東西線、篠ノ井線、信越線等県下の主要路線で24年間も走り続け、客車、貨物の輸送に地域の産業、経済、文化等の発展に多大な貢献をしましたが、国鉄の近代化とともに、昭和48年11月27日廃車となりましたので、ふるさとののなじみ深いこのD51172の貸与を受け、アルプスの見える緑の大久保工場公園の一画に設置し、学校教育は勿論のこと広く市民一般に役立てるべく、展示したものです.
昭和49年11月22日 松本市