今年の甲子園はいつになく好試合の連続だった、決まったと思い、チャンネルを変える。さて結果はと、「なんと逆転」と言う試合が続いた。どこの地区であろうと油断はできない。かつては、東京や関西以西が圧倒的だった。特に帝京と八幡商業の試合は、佐賀北ー広陵戦を思い出した。佐賀北は、普通の県立高校だ。詳しくは、最近出版された、新潮文庫をどうぞ。
浅間温泉の「つけもの喫茶」で待ち合わせた。中浅間の玉乃湯直営の喫茶だ。軽い食事もできる。漬物も上手いが、煎茶がいい。単品で200円だが、それなりの価値がある。そばきりセットは、焼きおにぎり、お漬物、デザート付きで、1200円。浅間温泉には5年ほどお世話になったが、飲み屋が意外と少ない。震災後、北海道の奥尻島に行ったときのことを話してくれた。奥尻はかつて津波で大きな被害を受けた。その後の復興は、島の人たちが力を出し合い、急速に進んだと言う。そこに住む人が、自らビジョンを作ったからか。復興の教訓がそこにあるのだが、政府は学ぼうとしていない。勿論、被害の規模は比べようがないのだが。
夕方、昔の友人と浅間温泉で会う約束があった。少し早めに松本に着いたので、穂高まで足を伸ばした。久しぶりに訪れた碌山美術館は、お盆のせいか多くの観光客が鑑賞していた。碌山こと荻原守衛は、ここ穂高に生まれ、日本の近代彫刻の扉を開いた。相馬黒光の新宿中村屋で吐血し、永眠した。享年30歳だった。
Yさんが、小樽から新潟着のフェリーに乗ると連絡があったのでメールを出した。小樽を出てすぐだったが、圏外で届かなかった。昔、舞鶴から小樽まで行ったとき、確か30時間以上かかったように思う。夜出航し、小樽についたのは、翌々日の朝のように記憶している。高校の英語教師が、いずれ青函連絡船は廃止される、今の内に経験しておくことだと言われたのを思い出し、帰路は、連絡線を利用したが、その時の記憶は定かではない。
ローソンでポイントカードを勧められた。「PONTA」と言うらしい。使い方はまだ分からないが。ところで、最近ローソンにcafeが登場した。利用者に遭遇しない。どこか、休憩できるスペースがあると良いと思うのは、私だけか。
BSで白神山中の村人の暮らしぶりが放映されていた。縄文の時代から、山は恵みを与えてくれた。村人は、「山の神」がいると言う。山の神は、女神だ。それは、薬になる野草や山菜を授けてくれる。つまり生んでくるからだと言う。村人は決して山菜を取るとはいわない。そう言えば、我が村の忘年会は「山の神」と言っている。
「家族の昭和」関川夏央:新潮文庫は向田邦子・幸田文の描く昭和がある。この地に来て十数年になるが、この事実は聞いたことがなかった。「昭和二十年三月、幸田文はすでにお足腰の立たない父の露伴、十五歳の娘玉、そしてばあやをともなって義母八千代の実家、長野県埴科郡坂城に疎開したが、そこはたいへんなところだった。」とある。何がどう大変なのかは、自分で確かめて欲しい。評判が良い訳ではないので、町民には伝わらなかったのか、戦中の混乱なのかは分からない。結局終戦後の九月下旬には、この地を去っている。
伊北センターから天竜川の堤防道路まで徒歩で5分ほどだ。鮎のとも釣りをしていた。ところで、夏場の消費電力を抑えるために節電が行なわれているが、長野県の消費電力を見ると以外にも1月の消費電力量がピークになっている。と言う事は、夏場だけではなく、冬も消費電力を抑えなくてはいけない。