千曲川の流れのように

年金生活者の徒然

アスパラと蕎麦

2006-12-29 | Weblog
甘いアスパラ、トンネル育ち 長野・坂城(朝日新聞) - goo ニュース
 このアスパラを栽培している高速道の下に広がる坂城町。そこに住む相方の従姉妹のご主人は蕎麦打ちが趣味だ。毎年30・31日は親戚や近くの人に蕎麦を振舞っている。今日、拙者は仕事だったが、冬休みの二人の息子は、お昼にお邪魔してご馳走になったそうだ。彼の蕎麦は畑を耕すところから始まり、収穫まで自分でしているらしい。拙者と同じ齢だ。趣味と言う域を超えている。本人はそばの話をする時、とても輝いている。息子たちが生蕎麦をお土産にもらってきた。今年の年越し蕎麦がとても楽しみだ。
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理髪店とスナック

2006-12-27 | Weblog
 理髪店は原材料費がほとんど発生しない.初期投資としての施設や資産(備品)、土地代あるいは毎月の家賃が発生する.主にコストが発生するのは人件費だ.だから、労働集約型産業と言われる.物価が上がれば、理髪店は値上げをしないと利益が出ない構造になっている.その他のオプションをつけるごとに価格が上がる.ここが、職人としての技の世界になってくる.カリスマ美容師は、他では得られない髪型(実はそのスタイルからくる、心地よさ)を提供することで、徹底的に差別化を行なっている.
 空間と時間を売っているのが、バー、クラブ、スナックと言われる夜のオアシスだ.だから、心地よさの演出がすべてを決める.瞬間ではなく、リピーターを生み出さなくてはいけない.それは、サービスではなくホスピタリティの世界だ.
 小売業で粗利益率が高いのは眼鏡屋さんである.聞くところによると利益率は70%を超えると言う.考えてみれば、当然である.1日の客数は一桁かもしれない.計算上は、客数を確保できれば、メガネの価格を下げることは可能だ.だから、「○万円堂」や「めが○市場」が成り立つのである.
 しなの鉄道の売り上げ(旅客収益)は22億程度だと思う.小売業で言う粗利益率は100%である.いわゆる装置産業だから、効率を上げ(稼働率?)、集客力をつけないと利益は生まない.
 業界によって、利益を生む構造は様々である.ここがマネージメントの面白さである.でも良く考えてみると、対象は人であることに変わりはない.だとすれば、きっと共通したマネージメントシステムがあるのだ.人は何を求めているのか.
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稀有なこと

2006-12-23 | Weblog
 携帯電話は、いまや8000万台を超えたと言われている.100%を超えている国もあるらしい.法人用・個人用と一人で2台持っている例を考えれば、1億台もそんなに遠い将来のことではない.高2の我が家のお兄ちゃんは、今年の10月に初めて「携帯が欲しい」と言った.よく聞けば、クラスメイトで唯一携帯を持っていないとのことだ.クリスマスプレゼントとして、auショップに行った.相方も仕事での電話は支給されているが、個人用がないため「家族割」で申し込みをした.機能は最新だ.拙者は、もともとの電話嫌いのため、個人用はプリペード式を使っている.待ち合わせにはとても便利な携帯だが、なにかどきどき感はないし、考えることを失ってしまいそうで持ち歩くのは個人的には同意しがたい.相手がどこにいるのか分からないから、その人のことを考えたり、思いを馳せたりできるのだから、楽しいのだ.お兄ちゃんは、口には出さないが、結構気に入っている.ウォークマン携帯だからか.弟は中2だから携帯はまだ先.本人も欲しいとは言わない.彼は今「デジカメの一眼レフ」が欲しい.でもね、「ネットで調べたら、高いからいらない」と言う.半分は自分の小遣いで、半分は拙者に出せと言っている.購入はずっと先の話になりそうだ.
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柚子湯

2006-12-23 | Weblog
 22日は冬至だった.戸倉の観世温泉の湯船には袋に入った柚子が沢山浮いていた.いつもと違ういい香りの漂う朝風呂になった.ここの温泉は朝5時からの営業のため、柚子は少々くたびれていた.9時には新しい柚子と交換するらしい.日本人は、季節ごとに香りを楽しむ風情を大切にしてきた.  Wikipediaによれば「柚子湯(ゆずゆ)とは柑橘類の果実である柚子を浮かべた湯である。 日本古来から冬至に柚子の湯に入浴する事が伝統的な習わしとされている。血行促進効果があり、冷え性や神経痛、腰痛などをやわらげる。 とくに、血液の流れを良くする(血行促進効果)が高い。ある検査では、さら湯(普通のお湯)と、柚子湯に入浴後の ノルアドレナリンを比べると、4倍の差が出ている。 ノルアドレナリンは、血管を収縮させる効果のある成分であるから、 それだけ血管が拡張していたことが分かる。果皮に含まれるクエン酸やビタミンCにより、美肌効果もある。」とある.温泉に浸かった後、近くのコンビニ(7-11)に寄った.一人暮らし風のおばあちゃんが、食料品を買い込んでいた.お店の方は、精算が終わった買い物袋を持って、店外に出た.きっと、知り合いの常連さんなのだろう.この辺りのスパーはここから1kmくらい離れている.免許のない高齢者は、毎日の買い物にさえ苦労をしているのだろう.コンビニが、かつての町の商店の役割を果たしている.ローソンが高齢者を対象とした店舗を展開していると聞く.こうした事例はまさに弁証法的発展と言ってよい.人は常に、原点回帰をしながら、成長していくものだ.勿論、らせん状の発展だから、回帰はしているが、元のそれと同じではない.高めているのだ.
 生協の共同購入や個配は御用聞きの進化したものだ.
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あたり前のこと

2006-12-21 | Weblog
 あたり前の事だけど、ブログは毎日ではなくても良いが、適当な間隔で投稿しないと読者は訪問すらしてくれなくなる.投稿した時は、一気に訪問者増える.短文でも構わないので、間隔をあけない様にしようと思う.職場の駐車場の車はすでにスタッドレスに履きかえられている.拙者も遅ればせながら、今週末には、汗を流そう.
さて、今日は同僚に誘ってもらい「武蔵」と言うラーメン屋さんに行った.落ち着いた空間で、大人の店だ.飽きの来ないラーメンだった.ラーメンは、ここがうまいと言う情報が飛び交う.でもね、そんな流れに乗らない、堅実なラーメン屋だった.
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ゴーギャンと鴨長明

2006-12-17 | Weblog
 毎朝、車のフロントの霜を取り除くのが大変な季節になった.衣替えではないがテンプレートを変更した.春の兆しを感じる頃、初代のテンプレートに戻そうと考えている.
 四十九日の法要は、七日ごと七週の区切りの最後らしい.故人が彼岸にたどり着けるよう後押しをする.村の和尚が次のような事を言っていた.ゴーギャンの絵のタイトルと鴨長明の方丈記の一節が同じくだりで書かれている.洋の東西を問わず、人の一生は同じ悩みだという事らしい.ゴーギャンの絵は『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』と言うタイトル1897-1898年(ボストン美術館)であり、方丈記のくだりは『知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。』人(私)はどこから来て、どこへ行くのかと言う永遠の問いである.この問いは答えなくても良い.答えは永遠に見つからないのだから。大切な事は、この問いの中で、日々生き抜く事だと思う.
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浅間山

2006-12-15 | Weblog
新幹線が佐久平駅に近づくと、車窓から冠雪の浅間山が視界に飛び込んできた.美しく、泰然とした浅間山が、小さな個人の悩みを包み込んでくれるやさしさを感じた.昨年、縁があり、半年ほど佐久に通った.私にとって忘れられない場所になった.その季節(とき)は暑い日差しを受けた浅間山だった.ながの県内にいくつかの事業所があるが、佐久と安曇野(池田町)からの景色は抜群だ.夏の安曇野は北アルプスの山脈(やまなみ)が水田の緑と調和し、冬季の白い山肌は、心を静かにしてくれる.でもね、山は常に厳しい.嘗て北アルプスの夏山に何回か登ったことがあるが、外から眺めるのとは大違いだ.プロセスは辛いが、山頂での開放感は例えようがない.
 以前紹介した「ホスピタリティ原論」を読み終えた.難しく理解できない部分もあったが、気にしないで読み飛ばした.20世紀のサービスの経済からホスピタリティの経済への移行は今も進行している.でも、その本質がサービスの進化に履き違えられている.性格が違うのに気づいてないのだ.自分なりに理解できる範囲で言えば、個人と個人の関係性をつないでいくのがホスピタリティではないだろうか.サービスとの比較の中で、ホスピスの意味が分かるような気がする.気に入ったのは効率的=合理的ではないと言う.それぞれの持つ、意味を考えなくてはいけない.山本氏は「場」といわずに「場所」と言っている.また、「社会イズム」など新たな造語もいくつか登場する.機会があれば、この辺りを深く聞きたい.
初歩的な誤植がいくつあったのは、残念。覚えている範囲では、ダイエイ⇒ダイエー にほん⇒日本 ○○常⇒○○上などだ。
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再び、新潟

2006-12-08 | Weblog
 今年2回目の新潟だった.新潟駅の西側自由通路を始めて通った.新潟市は来年の4月に日本海側では始めての政令指定都市になる.東京では、風景の一部になっているが、まさか新潟で出会うとは思わなかった.通路には10個くらいのダンボールの部屋が並んでいた.近くに家電のチェーン店があるからなのか、家電製品の段ボールを上手く使い、大きな箱に形成している.最近のはやり言葉は、『格差社会』だ.でもね、私は少し違う感情を持っている.社会と言う規律に囚われない人たちの生活がそこにあった.それを単に逃避と意味づける事に私は同意しがたい.人は関係性の中で生きている.その関係性が壊れしまったのかもしれないが、ただ、私たちが持っているその関係性が正常なのかは定かではない.本当はこの人たちと話をしてみたいと考えているが、私自身が社会の規律に囚われているから、なかなか踏み切れないでいる.
 新潟のこの1週間はずっと雨なんですよ、とタクシーの運転手さんが言った.もっと暗い黒雲が空を覆い、重い雪が降り、雷が鳴り響く日本海側の冬は、もうそこまで来ている.
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