布川事件の冤罪が明らかになった。償いきれない時間が過ぎたが。九州の農協幹部による不正融資で冤罪事件があり、当時の検事が、被害者宅を訪れる報道番組があった。検事は、現在弁護士になっているが、冤罪の背景には、無罪にすると出世に関わるらしい。組織の上司が仕組んだ結果だと言う。その上司は、現在関東地方の部長を勤めていると言う。誰かは、調べれば、すぐに分かるのだが。組織が何のためにあるのが分かっていない。使命がぼやけている。こうした時、個人は組織に戦いを挑むのは無謀かもしれないが、何とかならないものかと思う。
残雪の常念。安曇野では、田植えが始まっている。
残雪の常念。安曇野では、田植えが始まっている。
なぜ、なぜを繰り返して、原因究明を行なうと言う手法がある。なぜを5回繰りかえすと原因にたどり着く。でもね、どこかでループに陥ってしまわないだろうか。いつの間にか始点と終点が繋がってしまう。実際に、やってみると良い。それは、視点を変えられないからだ。違う視点を意識しにくいのだ。
上位概念にたどり着くには、背景を探る事が大切である。これだけの説明では、何を言わんとしているのか分からない。点検を忘れて、大事な書類を紛失してしまった場合、点検をすればよいとなる。確かにマニュアルには書類の有無を点検するとある。でも、点検できなかった。この場合、なぜそうなってしまったのか、まずは、言い訳を正確に聞くことから始める。そこに上位概念にたどり着く道筋があるのだ。点検をしなさいと何百回言っても、書類の紛失事故は続くのである。この事例は、今直面している直ぐにでも解決したい課題だ。事例を深く観察し、拙者なりの上位概念を発見したい。ところで話は変わるが、日本人が会議などに遅刻しないようになったのは、東京オリンピックがきっかけらしい。もっと古い時代から日本人の特徴であったように感じていたが、つい最近の変化だ。詳しくは「TOKYOオリンピック物語」(小学館)をどうぞ。
TさんのPCがやっと届いたようだ。小学生の頃から、PCに慣れ親しんでいたので、PCのない生活は考えにくいと思う。中学生の頃自分のHPを立ち上げていたが、いつの間にかやめてしまった。
ところで、人には得手不得手があるのは当たり前だが、人への評価も自分が得意な事は、できて当たり前となり、評価は下がると言う。だから、組織も多様である事が必要になる。マニュアル化が進行しすぎると、画一的な人を量産し、そこについていけない人は、はじき出され、多様性が失われていく。それは、誰もが忌み嫌う「統制国家」と同じ事なのだが、なかなか、その事に気がつかない。生物多様性に大いに関心が寄せられているが、今拙者の関心事は、組織としての多様性だ。
ところで、人には得手不得手があるのは当たり前だが、人への評価も自分が得意な事は、できて当たり前となり、評価は下がると言う。だから、組織も多様である事が必要になる。マニュアル化が進行しすぎると、画一的な人を量産し、そこについていけない人は、はじき出され、多様性が失われていく。それは、誰もが忌み嫌う「統制国家」と同じ事なのだが、なかなか、その事に気がつかない。生物多様性に大いに関心が寄せられているが、今拙者の関心事は、組織としての多様性だ。
我が物顔のにゃん。拙者の家の周りは、野良猫?の遊び場になっている。毎朝、決まった時間に顔を出すので思わず、えさを与えている。本当は、家猫を飼いたいのだが、どうしても受け入れられない人がいるので、我慢している。