月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

苦い思い。

2013-11-06 15:52:13 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


11月だ。あと2月で今年もおしまい。
どうも、本業の仕事がうまく安定して進んでくれない。ここまでは新案件の依頼も多く、順調であったはずなのに、
10月後半になって、なんだかなぁ~という感じだ。

私は自分があまりキャパが大きくないのを知っている。

それにしても、9月から数えて5つも(小さいものを含めて)の仕事を、
お断りしていたのをメモに書き出してみて、唖然とした。こんな体制でいいのか、やる気あるの?と突っ込みたくなる。
仕事の同時並行が3つくらいはまだいいのだが、それ以上どんどん重なってくると、
「クオリティ(品質)」を保つ自信がなくなってくるので…。
少しまとまったものになるとやはり躊躇してしまう。
ようするに、平静の心地で仕事に向き合う自信を失ってくるからなのだ。

しかし、ここへきてそんな姿勢でいいのかと自問自答…。

Facebook友達などは、取材日が重ならない限りは
ギューギュー状態であってもなんとか引き受けていらっしゃるようである。
来年に向けて仕切り直さないと、これ以上遠くまで歩けないなあと、秋の寂しい月をみながら思ったのだ。

先日もこんなことがあった。
大型プロジェクトの依頼。関わる人間も多くなり、多額の金額が動くようになると、
間に2社も3社も入って、その方々みんなで顔をあわせての打ち合わせ。
しかし、一番末端である私たち。いわゆるフリーランスというやつは一番大変な役まわり(実際の作業者)を仰せ使っていながら、結構せつないのである。

某大手企業のWEBサイトの制作依頼。
今回、私はある方から声をかけてもらい広告制作会社(A社)の外部スタッフという立場で参画した。その上にはWEB専門の会社(B社)があった。
そして、ここを動かしているのは、大手広告代理店(C社)だった。業務がスタートしてから数カ月。
どの会社の誰とメールのやりとりをするのも、すべてCCでつけて、全内容を共有。
打ち合わせは大人数。広告制作会社(A社)の代表である私を含め、WEB制作会社と大手広告代理店に出向く際にも、
クリエイティブディレクター、営業、プランナーそして外部の経営コンサルタントまで参画しての打ち合わせ。打ち合わせというよりは会議みたい。
どなたも、とてもよく案件の過去事例などを研究されていて、参考文献をしっかり読んで研究しないと、
とてもついていけないような専門的なものだった。(なので私も図書館でこの手の本を5冊借りてきていた)

そうやって沢山の人間が関わるのだが、実際に手を動かし、モノをつくるというのは、限られた人のようで…。
(あたり前だ)
私はWEB制作会社のディレクターのつくる土台・企画構成を受けて、
実際に取材等も担当しながら、コピーライティングに落とし込むという役回りのようであった。

毎日のようにWEB会社から電話の打ち合わせがあり、
幾度か、大手広告代理店との打ち合わせにもディレクターとともに同行した。
ディレクターさんは私よりも若く、独身さん。聞けば彼もフリーランス的立場なのだとう。
打ち合わせと称してお茶を飲んだりするなかで、プライベートなことも話したりして、
互いに好感をもちながら仕事を進めていたのだと思う。

そして。事態が一転するような出来事があった。
その日は、プロジェクトがスタートしてはじめての企画構成案が皆の手元に配られ、それらについての、打ち合わせのはずだった。
すると、ディレクターさんの会社(WEBサイト会社)は大幅の遅刻。ようやく顔をみせられたのは、ディレクターさんほか会社の上役2名。なんだか声も掛けられそうにないほどピリピリしてらしたので、
おかしいなぁとは思ったのだ。

ここからの内容はあまりにプライベートなので、どうしても公表するにふさわしくなく、控えることにする。

要するに、大手広告代理店は、ものすごく怒っていらっしゃったのだった。
初めての成果物である企画構成案の内容が満足がいかず、
広告代理店側の面々は、めちゃくちゃ怒っていらっしゃったのである。失望してらしたのだ。
もう信頼できないと。絶体絶命の決別寸前。

なんとか幹部は場を取り繕い、そこからは大人の会話となって
打ち合わせと称する雑談といったほうがいいのか、わからないような状態で話は進み、要するに仕切り直しというかたちで打ち合わせ終結。
それにしても、実にへんてこな打ち合わせだった。
話がかみ合わず。俯きがちなのに不思議と笑顔がこぼれている。
私は広告制作会社A代表だったので
第3者的な意見を互いの会社同士から求められて、それらに対して想うところは述べさせてもらっていた。

そして深夜。当日の打ち合わせ分を取り戻すためPR誌の原稿書きを進めていたらWEB会社のディレクターさんから電話があった。
今回の企画構成案でダメ出しを受けたが、もう作り直す時間もないので、
ざーっとこの構成案を土台に、コピーを最後まで一度作ってみてほしいというのだ。
ビックリした。60項目にもわたるコンテンツの骨子を含めるコピーを
2・3日であげてほしいというオーダーだった。
しかも、全否定されている構成案に沿って作るらしい。
コピーがちゃんとしていたら、構成案などはさほど問題ないのだ、とその人はいった。

私は即答でお断りした。
そんな、構成案も固まっていないコピーが資料も取材もなしに制作できるはずもない。
でっちあげコピーなど、やり直しをさせられるのがオチ。ならば、コンセプトをイチから構築しながら書く作業になる。
2日・3日ではどう考えても、絶対に中途半端になると思ったからだ。
それで、翌朝一番に打ちあわせしたいという旨を、今の案件を片付けてから、せめて夕方にしてほしいとお願いし、翌日、4時からの打ち合わせに同席したのだ。
もちろん、私の親元にあたる広告制作会社には報告していた。

最も、私が慕っている広告制作会社Aのトップは誠実にして聡明、良識のある方。
私の言動を聞いて下さったうえで「できることと、できないことはハッキリと言っていい。お任せしますから」と信頼してくださるばかりか、
本当に当日の打ち合わせに参画して、
今後、抜きさしならないことになりはしないかと心配までしてくださり「私から断っておきましょうか」ともいって下さったのである。

実際に打ち合わせが行われたのは、4時を過ぎていたと思う。
リスタートの構成案をどうするかという話はほとんど少なく、
幹部の方に囲まれたわけだが。

それでも私は、今回のディレクターさんに、幹部の方に
アイデアフラッシュのような内容を発言していた。
ディレクターさんは始終うつむきがち。誰ももう彼の顔すらみない。
その方は最後まで押し黙られたままだったのだ。

わたしは席を立つとき、彼(ディレクターさん)にいった。
「よろしくお願いします。私も自分なりの構成案というのはもちろん考えてみます。
ただ、紙媒体ばかりやってきたものだから、WEBに関してはほんと素人に近いかもしれない。
せいぜい厳しくチェックしてくださいね。力を結集させていいもの作りたいですから、よろしくご指導ください」と。

その時、その会社の上役は言われたのだ。

「いや、彼には別件がありますから。あなたお一人の力で十分だと我々は確信しているんです。
いやさっき聴いただけでも随分いろいろ出してもらった。軽い気持ちでやってみてください」。

えっ!?耳を疑った。それでもう一度座り直し、自分の経験値もこの際、あえてお話し、
実際に自分はどこからどこまで、どんな納期で関わっていくのかを、ここにきて改めて聞き直したのである。
最初の依頼とは随分と違っていた。
どうやら、全コンテンツの構成案ばかりではなく、取材を含めて全コピー(60項目)を一人で書き上げることになりそうだった。それも約1カ月足らずで。
確か案件の依頼があって2カ月以上、経ていたというのに。これまで何をしてこられたのだろうか…。
これから構成案を作って納期まで一カ月!
そこで私は自分の今手持ちの案件をお話し、あと1カ月で納期まで行くという道のりの遠さを思い、その間までの月日を思い、寒いなぁーとからだを30度に折りたたみながら家に帰った。

帰ってパソコンをあけると例のディレクターさんからメールが送られていた。
そして追いかけるように、電話があった。
「来週◎曜日に、全スタッフで大手広告代理店で会議となりました。出席してぜひプレゼンしてください」。(とりあえず保留に。そして、私がプレゼンするの?と思った)



怖かった。あの怒り爆発の厳しいまな板に、自分が上がる状況を重なりあわせるだけで、身が縮まりそうだった。
ともかく勉強しよう!勉強して。今からどうなるかもわからないけれど、とりあえずその案件関連の資料を3冊ほど、
お風呂の中に持ち込んで1時過ぎくらいまでずっと読んでいた。よく理解したら絶体に書ける。答えは出る。そう考えてお風呂に入っていたら、少し落ち着いた。

温かい湯船につかっていたせいで、すぐに眠気に誘われ、
「明日のことは明日なってから考えよう」と、「風とともに去りぬ」の名言を思い起こし、その日は床についた。
しかし、熟睡したと思いきや、ふと何かが降ってきてガバッと飛び起きた。なぜだろう…。

ホントに受けていいの?この案件。と、一筋の光にも似た疑問(クエスチョン)が降ってわいてくるや、もうそこから眠れなくなってしまったのだ。
時計をみると2時過ぎだった。たった40分ほどしか眠っていなかったのだ。

考えれば、考えるほど、不安になった。
今のレギュラーの仕事まで、影響をうけて皆に迷惑をかける事態になったらどうしょう。
小さなことから大きなことまで、心配事が次々と降ってきた。
そして、このとき初めてわかった。最初から打ち合わせでブレストするつもりもなく、
私に構成案のすべてを委ねるための話し合いだったのだ、と、この時はじめて気づいた。

私はバカだ。やっぱり。バカだ。
こうも思った。
いや、ありがたいこと。やってやろうーじゃないの。失敗したっていい(それはダメ。失敗は絶対に許されない…)。
構成案をつくるのはいちばんの醍醐味。いつも雑誌や小誌でやっていることではないか。
親会社のリーダーに目を通してもらえば大丈夫に違いない。あの方は私の憧れだ。

そんな、巻き込んでしまっていいのかな。
いや、あんまりひどくて逆にお手数をおかけすることになったらどうしょう。
そんなことを考えている時、ある人の顔がすーっと浮かんだ。

私の会社時代の元同期だったコピーライターの女性だった。彼女ならどうするかな、
知性派の彼女なら、おそらく最初からこのような案件には乗らないんじゃあないかと思えてきたのだ。

そして、10年来お世話になっている大手広告代理店のクリエイティブディレクターさんなら、こんな会社の一大事・絶体絶命の案件で、
どんな手を打つかなと。想像を巡らした。
そう、一度も組んだこともない外注スタッフにここへ来て下駄を預けられるだろうかと。

そんなことを思ったが最後。今回、始めて依頼されたWEB制作会社にはじめて不信感がむくむくと湧いてきてしまったのである(本当の真意はわからない)

暗中模索のなか、自分の腕だけ信じて、のりきることができるのだろうか。
同時に。まずは自分がやりたいか、やり切りたい仕事なのかを朝まで自問自答した。
私はこれまでよほど良い仕事相手に恵まれてきたのだと思う。

大学を卒業し、この業界に入ってそれから、運よくフリーランスになってから今日まで二十数年。
こんなにひとつの案件で。受けるか受けないかについて悩んだこともなかったのだから。
結論は、朝イチで広告制作会社A社のトップの方にお電話し、事柄を説明。
了解してくださったので、自分の口からWEB制作会社の幹部の方にお断りの電話を入れてしまったのだ。

生まれてはじめて一度受けた仕事を、途中で降りましたよ。
これまで、一人で構成案から納品まで担当してきた仕事は、自信をもってやってきたはずなのに。でも、今になってわかる。
そこには、優秀なデザイナーさんやカメラマン、営業的動きをしてくださるさるメンバーがいて、その方々を信頼してきたからこそ、自分が自分らしく仕事をしてこられたのだなあということが。


お断りした理由は、
やはり他の案件との兼ね合いがいちばん。
そして、この案件と平行して動いている大手広告代理店が作ってこられた成果物(ポスターのたぐい)のレベルの高さ。
WEB会社の上に位置する大手広告代理店の、クリエイティブが中心に動いているツールだった。
それは相当クオリティの高いもので、クライアントの内容を十分に理解できるよい出来でありながら、1カ月以上、経てもなお制作途中で。今回また差し戻しの状態で出し直されるのだという。
あと孤独感かな。タッグを組んでともに燃え、信頼しあえる人がまだチームに見つからなかった。
もちろん一番の要因は自分の弱さ。自信のなさ!せいぜい悩めばよい!この事実。
今回の案件がコピー制作費100万程度の大型だったせいもある。躓くことは許されない。

しかし!おかげで、私はこの案件を受けた後に降ってきた新案件を次々と断ってしまっていたのだ。
じっくりと腰を落ち着けて取りかからないと、と半ば腹をくくり準備してきたのである。
ああー。1年でいちばん猛烈に忙しい時期。この事実は大きい。
最近しみじみ、オールマイティーではない自分をつきつけられ、へこむことが多い。
いろいろ甘いのだ。フリーランスとして甘い。

せめて。いま思うことは
今回のことからなにかを学べ、ということ。そしてこの案件をお断りしたからこそ、できること。できたことを。
ちゃんとやっていくようにがんばらなければ、一生苦い思いは消えないということを。

(この内容を書くことは大いに悩みました。お許しください。書いて捨てる、書き捨てて前へ進みたかったのです)