月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

近江八幡、葦の水郷をいく

2018-07-23 15:50:03 | どこかへ行きたい(日本)


この日は朝から何かが違った。
太陽の明るさが、いつもより明るい。

私たちは35年来の友人と、20年来の友人という妙な取り合わせで再会し、水郷めぐりの舟に乗船したのだった。

陽光に光る湖をすべる船は、小さく頼りない木製の手こぎ舟。日本一遅い、日本一優雅な乗り物である。船頭さんは、さっきまで田畑で作業していたばかりといわんばかりの、日に焼けた額にすげ傘、ヘインズ風の白のTシャツに作業ズボンというスタイルで。それでもどこか親しみがあるのは、母方の郷里で「こんにちは、お元気ですかぇーー」とやってくる田舎のおじさんにどこか似た愛嬌のある感じだったからである。(おじさんは、ずっと観光解説をしてくれていた、真面目でえらい人なのだ)












あぁ、アジア。水のリゾートへ、漕ぎ出そう。
滑り出しは、左右に激しく揺すれるので、風でもきたら、このまま湖に転覆してもおかしくないという不安定さ。それでも3分・5分とゆっくりと湖を滑り、ぐんぐんと速度がついてくると、悠々と湖面をすべる、そよぐ。
























この湖はわが道とばかりにすいーっと。涼やかに流れていく。
なんだろう。このわくわく感は。

私たちがこうして座っているのは近江の湖の上。目線がこのうえなく水面に近い。
だから、植物や生物たちの目線で、「水の上をいく」のが、きっとこんなに気持ちいいのだろう。

 
前方に見えるのは、先端が三角にとがった前をいく木舟。
ちゃぽん。ちゃぷん。すーっ。快い水の音。

視線をあげれば、八幡山が緑のゆるやかな低い稜線を描き、
水彩絵の具で描いたような水色の空に、入道雲がぼっかりと浮いていた。



風は前から横から、自分たちなどいないように、すいすいとすり抜ける。
セミが鳴き、ウグイスがきれいに唄うなか、冒険に行くみたいなのだった。



葦の群生。葉擦れの乾いた音。虫の羽音、鳥たちのおしゃべり。


同じ風景はなにひとつなく、水と葦と風と、太陽。そして生き物たちの気配だけ。

葉と葉がこすれる音は、なにかをささやくようでも、おしやべりをしているようでも。

「日本三大水郷めぐりってご存じですか?群馬の利根川、福岡の柳川とありますが、 一番手つかずの風景が味わえるのは、ここ近江水郷めぐりですよ」と、のどかな船頭さんの声でいう。

笑いかけて、冗談をいいあうのは気心のしれた古い友人ばかりだ。

アジアの水の国にタイムスリップしたみたいだった。


タイの水上ボートや、バリ島でも鶏と猫の住む小さな島へ辿りつくために船に乗船したけれど。
当時の、ずーっと昔の記憶といつのまにか重なって、一瞬ここがどこかわからなくなったほどだ。


近江の水郷めぐりは、手つかずの自然、質素で色がない。その何もないのがいい。
水の空気の流れがきれいであった。

途中で小さな祠があるのも、近江らしくて、古い時間が馥郁と。
60分で一周したらすっかり我ら浄化され、水の神様にお会いしてきたと思えたほどで。
自然の懐で、水のゆらぎと葦、生物たちの世界で、一緒に遊ばせてもらったという厳かな気持ちになった。
















湖上からあがったら向かったのは、日牟禮八幡宮だ。
瓦ミュージアムなどを散策して、予約していた駅前のイタリアンでランチをした。