月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

夕暮れの公園で薔薇を見ながらひな鶏の肉に齧りついた日

2020-06-07 16:30:00 | コロナ禍日記 2020

5月5日(火曜日)晴

 6時半に起きる。瞑想10分。本を読みながらふと思い立って、前会社の同僚とLINEしていたら(ブックカバーチャレンジに関することにはじまり、広範囲におよぶ)時間が稲妻みたいに、一瞬で過ぎた。

 1時間半、原稿を書く。楽しい! 書いていると目の前と違う時空が現れる。そこに居続けることの喜びったら他ではなかなか見つからない。こういう感覚が好きで、苦い気持ちも乗り切ってきたのだと思う。

 

 Nが起き出してきたので、朝食の準備。テーブルに出したらTSUTAYAにDVDを返却に行く。一緒に行く気満々の家族の様子をよそに、ゆっくりと朝食を食べてもらえばいい、と制し、一人で車にのって出かけた。空は晴れ晴れとして、太陽は熱く、激しく紫外線の雨をフロントガラスに受け、初夏だなーーー!とうれしくなる。

 

 あちらこちらの葉が、光を通過させ、撥ね付け、内包し、みずみずしい美しい色。

 

 帰宅して、自称メシ炊き女はさっそくメシの支度だ。にんにくたっぷりの青菜炒め、タケノコごはん、タコともずくの酢の物。お味噌汁。

 

 原稿を書きかけては、Nが部屋に乱入してくるので、おしゃべりで返すうちに、だらだらとしゃべり過ぎて、遊んで、過ごしてしまう。それでも4時までは粘った。

 夕方。キリのいいところで中断し、車で家族そろってドライブにいく。

 いきなりNが後部座席から身を乗り出して「きょう、ケンタッキーにしない!?」叫ぶ。

 パパさんも賛成。あらら、コレステロールが大丈夫かしらと顔をみたが、意外にもハンドルを持ちながら顔がにやけて、行く気満々。ドライブスルーへ吸い込まれていく。ものすごい大混雑だった。最後尾につき、数百メートルのとこ約30分かかって車で並んだ(本当は早く帰りたい)。

 警察の車が来た。と思ったら、中から警察官が一人出てきて、ケンタッキーの店員を探している模様だ。渋滞の車を待っていられなくて歩いて外に出ていく男2人。さっきまで、交通整理をして、ケンタッキーのプラカードを持っている人がいたはずなのに、どこへ行ってしまったのか。

 あとで、警官の後ろをケンタッキーのバイトのお兄ちゃんが顔を下にむけて、しょんぼりと歩いている。「きっとトイレだったんよ。満が悪いなあのおにいちゃん」とパパさんが隣から言う。

 Nとパパさんは「武庫川の堤防を見ながらケンタッキーを食べたかった」そうだが、もう陽が沈むまで30分もない。

 一番近場の公園を見つけて駐車場を止める。夕方5時50分だ。

 




 

 薄暗い公園の木のベンチに座って、3人横並びで、なぜわたし達はケンタッキーを食べているんだろう……。これもコロナ渦ゆえか。しかし一口囓ると、久々に食べるケンタッキーのジューシィーなこと。ひな鶏のやわらかな身を骨のところで割いて、細いあばら骨のところまでしゃぶりつくして、口も手もべたべた。Nはチキンフィレサンドを食べたあとで、さらに1ピース背中の部位をパパさんからもらって囓っていた。

  5月の月あかりは、薄い藍色の空の遠く高いところにあって、桜色にぼーっと霞んでいる。寂しいような、切ないような、何か問いかける光り方であった。

 黄色い薔薇のアーチをくぐって、青々とした芝の匂いがたちのぼる、あやしげな夜の公園のにおいの中を1周ぐるっと歩き、薄暗い中、花々をみる。家族並び記念撮影。40分前に来た公園をあとにした。

 

 帰宅後。全くおなかがすいていないので、ざるそば(山芋入り)をつくる。だしから手作りし、しょうがを擦って、わさびやネギもたっぷりと。

 

 昨日に引き続いて、facebook7日間ブックカバーチャレンジの原稿を書こうかと席を立ったところで、ライター友達からLINEで相談をうける。えらく込みいった人間関係の話。40分くらい往復のLINEで話しこんだ。

 

 夜中12時10分、10分遅れたが無事きょうの投稿を終えた。

 


 
 

 今回は、海外文学から、リチャード・ブローティガンの「愛のゆくえ」。ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」の2booksを紹介した。後者は連続で2回味わった。ドンファンで優秀な外科医トマーシュと、愛情深い田舎娘のテレザ、情熱家の画家サビナが織りなす究極の人間模様&恋愛小説。

 ラブストーリーなのに哲学的、普遍的な価値や多角的な、人間像を問いかけている。クンデラの観察力、考察力は奥深くて、一章、一章が重く心に響いてくるのです。