月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

話す=放すは執着から解き放すこと!?

2020-06-12 00:00:49 | コロナ禍日記 2020
 
 
 

 



 

5月7日(木曜日)

 

 朝7時に起床、瞑想10分。

 9時からパパさんのテレビ会議が、鳴り響いているので、朝食後すぐにお風呂へ脱出。本を読もうと開いたところで、電話が2本。仕事仲間のディレクターと、次号案件のうちあわせや段取りを40分くらいやりとり。寒くなったところでお湯につかろうとしたら、今度は、おなじみのデザイナー女子Aから。近況報告にはじまり、新型コロナウイルス関連の政府対応について、今後の仕事のこと、はてはこれからの生き方の指針など、言葉をかわしあう。話せたことで、ホッと。

 

 いろいろ、悶々と頭の中だけで考えていたことを、議論し、みつめられて、よかった。自分のモヤモヤと相手のモヤモヤを話し合うことで、モヤモヤを紙屑みたいに握りつぶして、「モノ化」できた感じだ。

 「話す」=「放す」とはよくいう。(この原理なら、放したくないことは話さないほうがいいということかしら)書くこと、話すことは、言葉を介してコミュニケーションをするという意味でとても近いこと。今回は、話して深める、を体験した。それを忘れないように書くことでさらに新しい生き方に発展させたら、いい。

 

 午後。食事のあとで、Nとしばらく、NHKのテレビをみた。少し机に座りたくて、昨日の原稿を見直していたら、母からの電話。4月頃まではほぼ毎日、60〜90分くらい電話でつらつらと話すのに、このところ3日置きくらいしか、こちらから電話することがない。

 「このまま死んでもあなた、気づかれないわね。こまったもんだよ」と母は愚痴る。

 いやいや、ごめんよ。忘れていることはなくて、常に頭にあるのだが、日常の混沌の中で、ダイヤルをまわしていなかっただけなのよと反省するも、うまく言葉には話せなかった。

 

 夕方30分昼寝。起きて、原稿をみる。1時間半。

 

 夕食には、さわらの塩焼き、山菜と干しエビのかきあげ、肉豆腐、おみそ汁、ひじきと豆の煮物(小西酒造のぶどう酒)など。

 

 夜。きょうも、ブックカバーセレクションを書こうとパソコンをあける。

 Nが「そんなところにばかりいないで、こっちにおいでよ。遊ぼう。もう東京に帰っちゃうわよ」と、モコモコのガウンの首にしがみついてくるので、仕事部屋からのそのそと抜けだし、リビングへ。ごろごろとしてテレビをみて、そのままお風呂へ。就寝は1時。