月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

週3でお家シネマをみると決めた

2020-04-20 23:35:00 | コロナ禍日記 2020


4月4日(土)晴 

 4時半。ウーフさんの(兵庫県芦屋市)アッサム「マンガラム茶園」(インド)を飲む。ミルクティーにするため木次牛乳を加えた。お!いつもよりいい、おいしい。茶葉の風味がやわらかく、軽く、なめらか。乳とティーがマッチする感じが、よかった。

 イカリスーパーで昨晩求めた香川県のさぬき姫という品種のいちごを5粒。果肉がとろっとして甘酸っぱさが脳に直接とどいた。

 気をよくした私は、冷蔵庫を勢いよくあけ、白いケーキボックスをあけて、ザッハトルテを出してくる。地元で買い求めたものだ。朝から1つも食べるのは、よろしくない。三角の山を横にきれいに半分にして、底のところだけを3つの手でもって、パクッと。おおー、表面がとろっとくずれて生チョコのような舌にすいつく感覚でわたしの口中になだれこんできた。
 洋酒がきいたスポンジと表面にほどこした化粧のチョコがふわっと。とろーりとしている。朝5時のスイートなひとときを、こうしてポメラに書き留めているうちに、紅茶がさめる。ものたない、たよりない、ぼやっとした味になってしまった。

 瞑想をし、1時間ほど原稿を書く。

 パパさんが起き出してきたので、パンを焼き、エシレバターに栃のハチミツ(ハチだけの仕事)を出してあげ、コーヒー、グリーンサラダ(イチゴ入り)を並べる。


 午後。昼食をたべてから3時まで仕事。コロナ関連のニュースをみ、夕方から原稿の推敲をする。

 (途中で休憩タイムと称して家の周囲を8の字に歩く)散歩のあとで、ウィーンで買ったザッハのオリジナルブレンドをいれて、今後はざっはトルテではなく、イチゴショートを半分を食べて、もう半分は主人にあげた。

 結局、この日は8時半までこまごました仕事をする。
 
 夕食は、豚ステーキのソティー、ポテトサラダ、カレイのひもの(小)、沖縄あかもくのもずく酢、大根とネギのみそ汁。

 <ポテトサラダのレシピ>
 (●ニンニクをすり下ろして、ボールに擦りつける。塩・胡椒・マスタード、砂糖少量、マヨネース、酢を加えて、ソースをつくる。
 次にじゃがいもをまるごと小鍋にかけて、熱いうちにつぶして、レモン汁をかける。たまねぎをスライスして、塩を加えて水分を絞る。
 じゃがいも、新玉ねぎのスライスを先のマヨネーズのソースに投入。アクセントに干し柿をまぜた。さく、さくと合わせて味をみて出来上がり)


 9時半。コロナのニュースばかりでは気が滅入るので、DVD鑑賞「幸福のラザロ」。夏をゆく人々、などで世界から注目されるイタリアの女性監督、女性監督アリーチェ・ロルバケルの作品。





 20世紀後半。イタリアの小さな村。はてしなくひろがる空。そびえる岩山が背後にせまっている、農村の暮らし。油絵の中の人物がうごいているような不思議な画質だ。青年ラザロ(聖人ラザロと同名)と村人は、領主の伯爵婦人から小作制度の廃止をしらされておらず、ただ働きをさせられていた。婦人の息子、夫人の息子タンクレディが起こした誘拐騒ぎを発端に、夫人の搾取の実態が村人たちに知られることになる。

 一方ラザロ少年は、聖人ラザロのごとく、人を疑うことをしらず、正直者で無垢な心をもつ働き者だ。ラザロはタンクレディに友情を感じていた。ある日、ラザロは高熱を出す。完治してタンクレディを探し、山を奔走する中、崖から転落。

 30年くらいが経過した。おおかみにみつけられ、息を吹き返す。なぜだろうラザロは青年のままである。

 村にはすでに誰もいなかった。街まで歩いてたどりつく。現代社会の中で、欺きや冒涜、暴力に出くわすが、ラザロの心は最後までゆるぎないものがある。しかし、……それが悲劇へとつながった。
 神話と、現代社会が錯綜し、まじわりあう、不思議なシネマだった。

 新型コロナの蔓延している日常を忘れ、いつしか、心が20世紀後半のイタリアにひきずりこまれていた。

 よい映画。
 新型コロナウイルスが拡散する中にあっても精神が蝕まれてはいけない。自分の軸を守るためにも、仕事と、心を豊かにうるおすものから距離をおいてはいけない。

 週3回はシネマをみようと決意! (充実感がないと、夜のおうちシネマは楽しくない。それをみる余裕すらないのだから)







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