月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

M・デュラス「モデラート・カンタービレ」 について

2022-10-11 21:33:00 | 随筆(エッセイ)








 

 

 モデラートは、クラシック音楽などに用いられる速度の記号で〝中くらいの速さで〟。カンタービレは〝唱うように、なめらかに〟すなわち、普通の速さで唄うように。これが、「モデラート・カンタービレ」表題である。

 この本を読んでいる時、ベランダの片隅に木製のリクライニングチェアを出し、朝の光のなかで読書した。マルグリット・デュラスは、言葉では表現しにくいことを、感覚、熱量で表現する作家だ。

 作品全体を包んでいるのは、夜想曲のようであり、中盤あたりからアダージョにも聴かせる。音階から音階のなかに、水のように言葉が溢れ出し、いっぱいにたまった水は水蒸気になって動きまわり、漂っては人波に激しく打ち寄せ、ゆるやかにまわり、浜辺へ消えていく。そんな音楽のなかにいる感覚だった。人のかたちをした水だ。

 なにも心地よさをいうのではない。美しさだけを唱えるのでもない。押し寄せる、感受性。熱量と同じくらいの孤独、虚無感。渇望も。そうやって読み手の心に入っていく。

 書かれている言葉が、音階となって風景の静けさのなかへ流れている。キツイ花の匂いが鼻孔をくすぐる。木蓮や水蠟樹のしなやかな花蔭が、みえる。日差しはつよい。春の霞がたつ。砂埃でむこうが見えない日もある。波はたえまなく、ざっー、ざざーっと呼吸するみたいに押し寄せる。

 鎔鉱所から出てくる労働者たちにまじって浜辺を歩いていくと、深い庇のある車寄せがついた洋館が建ち、上階の一番端にはクーラーの効いた部屋があり、アンヌ・デパレートが海の音を聴いている。まるで死がたちこめるほどの陰翳で、静かに立っている。そして海岸沿いにカフェの灯がゆれている。強い風の音もきこえてくるよう。

 マルグリット・デュラスの名前を知ったのは、確か、映画「ラマン・愛人」と記憶する。階級を感じさせる古いインドシナが舞台で、メコン川の流れとけだるい熱さが、空気に溶けていた。少女が、金持ちの中国人の愛人になる。その時の観察眼を、記憶として書いている。

 デュラスの作品には、舞台となる造形が物語を見守り続けていることが共通点だ。魅力的な女は、孤独と悲しみの沼を生きている。この物語の鎔鉱所の社長夫人、アンヌ・デパレートの存在感も気高い。


50. デュラスの映像のなかにいる熱風のような愛の時に 書評|みつながかずみ|writer
 
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