雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

華原朋美が見苦しい

2015-09-04 01:13:45 | 芸能
華原朋美がいやらしいなぁって思う。
ホント嫌いだ。

小室さんのことを今更だけど『あれ以上の人は出て来ない』とか『そのままで居たかった』とか言っている
らしい。
華原朋美って、竹田御曹司と付き合ってる付き合ってないとあれこれあったし、最近ではプロレスラーに
告白されたり、5・6月には一般の人と付き合っていて結婚考えていたと言ったり、そして挙句の果てに
やっぱり小室さんがいい ですか。

昔彼らが付き合っていたことは周知の事実だろうし、誰も否定はしないよそれは。
しかしね、あれからどれだけの年月が経ったの?2人はとうの昔に別れたよね?
小室さんはもう結婚もしている。なのにどうしてそういうことを平気で口に出す?非常識だ。
ましてや奥さんのケイコさんは大病を患って、だいぶ良くなっては来ているけれど、いまだ完全には
復活していない。
そういう状況の中で、平気で小室さんへの思いを堂々と吐露するなんて、随分と卑怯じゃないか!?と
私は思うのだけれど。
奥さんが聞いたらどう思うかね?いい気はしないよ絶対。

その後の色々あったことは、ただの遊びでしたか・・・・?
昔も今も小室さん一筋ですか。
しかしね、華原朋美がそう言う言動をとることが、どれ程小室さんにとって迷惑かってこと、
この人は分からないのかなぁ?バカだね。
自分の好きな人が困るってことだ。自分のやってることで好きな人を困らせている訳だ。
余計小室さんに嫌われるってこと分からないのかな。

見苦しいから止めた方が良いよ。小室さんは相手になんかしていないよ、女としてはね。
ビジネスは別だ。
昔からそれほど好きなタイプでは無かったけれど、ただ彼女の歌の上手さ・声の良さだけは認めている。
折角良い歌手なんだから、歌以外のことであれこれあるのは勿体無いと言う気がする。
純粋に歌に専念しろよ。
そして要らぬお世話だろうけれど、今のままじゃ女として幸せになれないよ。

すっきりしない五輪エンブレム取り下げの結論

2015-09-04 00:35:59 | 社会
佐野さんが取り下げて辞退して、この件は一件落着した訳だけど、何とも後味のすっきりしない結論だった。
”模倣も盗用も無い”けれど、今の状況は人として耐えられないからもう辞めるってことだった。
”ふうん・・・”って感じ・

制作ってことを自分なりに考えてみた。
いわゆるクリエイト・クリエイティブ・クリエイター・・・って、要は創造するってことだよね。創作する人?
それはデザインに限らず絵画だとか音楽とかいわゆる芸術と呼ばれること全ては、創造するということ。
いや芸術だけでは無く、技術の世界でもだ。
何も無いものから、ゼロから何かを生み出していく作業。
産みの苦しみとかよく言うけれど、例えば絵で言うとピカソだとか、音楽で言うとモーツァルトだとか は
その産みの苦しみというものが無くて、元より頭の中に在ったものを吐き出しているだけ。
楽譜やキャンバスの上にサラサラ~っと写しているだけ。
そしてそれを天才と言う などど聞いたことがある。
しかし、ピカソやモーツァルトの様な天才は別にして、いわゆる一般的には何かを生み出すとか作り上げるとか
言う作業には苦痛が伴うんだろうと思う。

昔と違って今は情報の世の中で、街なかにはありとあらゆる色や形や音が溢れていて、私たちは望む望まないに
関わらず、イヤでも目から耳からそれらを無防備に吸収していることになる。
そしてそれらの情報は体の中に棲みつく。
そして自分で考えたものだ、自分で作ったものだと自分では思っているモノが、実は知らぬ間に自分の体の中に
吸収され棲みついていたものを吐き出した結果だったとしたらどうなる?
それは既に、世の中にはありました・・ということになるのは明らか。
そういうことって絶対に無いと言えるのだろうか?
作曲なんかでもよく、似ている と言われる旋律はある。

知らぬ間に意識せずに取り込まれた情報は、これは他人のモノですよと言う警告も何も無しに居座るのだろう。
自分のものとして認識される?

だから・・・何が言いたいかと言うと、佐野さんが模倣も盗用もしていませんとは言っても、もしかしたら
道を街を歩いていて入って来た情報を、自分のモノとして認識し思い込んでいたのかも知れない。
だから模倣も盗用もしていない と言っているのでは?
でも酷似したものが既に世の中に在って(いとも簡単に見つけられる)、そちらが先に出たものならば、
どんなに自分が考えた・創ったと言ったって、模倣だとか盗用だとか言われても仕方ないのでは?
だからそれは 模倣も盗用もしていない ”つもり” なのではないのだろうか?
だってあまりにも似ている。
原案だって何かに似ていた。経緯があって最終案に落ち着いたら、それも何かに似ていた。
そしてその他にも、動物園だの盗作だと認めているトートバッグだの今日は扇子だの諸々。
登用例?で使われた空港の写真は他人の写真無断転用だったし。あまりにも疑惑が多過ぎる。
たまたま?偶然?似ていました が多過ぎるよね。
そんなに偶然て重なるんだ・・・?と思ってしまう。
結局盗作だの酷似だのがボロボロ出て来ると、信用出来なくなる。
そういう体質だったんだということになる。

ご本人が言うのだから佐野さんの中では模倣でも盗作でも無い、自身の力作だったんだろうが、
結局、世の中がそうは思わなかったと言うことだ。