雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

母子家庭も父子家庭も大変だろうけれど 頑張るしかない

2017-12-17 23:05:33 | 社会
厚生労働省が15日、母子家庭の世帯収入などに関する全国調査の結果を公表したと。
2015年の母子家庭の平均収入は348万円。
子どもがいる世帯の平均年収約707万円の49.2%。

私は、そのニュースの発表の仕方がおかしいんではない?と思うよ。
母子家庭の平均年収348万円は、子どもがいる世帯の平均年収約707万円の49.2%に
『とどまった』という書き方だから。
『少ない』という発想だ。『それだけしかありませんよ』という意味だろう。
しかし、日本人の平均年収は420万円だ。
子どものいる世帯の平均年収707万円にしたって、おそらく共働きしているだろう。
夫婦2人で働いてこの金額でしょ。
ということは、1人だったらそんなものじゃ無いの?
男の人が平均400万円台で女の人が平均300万円台。大体辻褄は合うよね。
別に母子家庭だからと言って特別少ない訳でも無いと思うのだが。

私が思うに、世間が母子家庭は収入少なくて厳しいだの困ってるだの貧困だの言い過ぎだ。
吹き込み過ぎだ。
女性が1人で子どもを育てるってことが大変なことなんだなんて当たり前のことだ。
その女手1人で子どもを育てているお母さん本人が文句言ってる訳じゃないのに、なぜ周りから
そう煽るのかな。可哀想がるのかな。

本人たちはみんな分かってるはずだと思うけれど。
シングルマザーの事情は夫々だろう。
死別は別だけど。
最初から結婚せずにシングルマザーになった人も居れば、離婚によって母子家庭になった
人も居る。
その離婚にしても、相手から離婚された人と、自分が望んで離婚した人とでは事情も思いも違うだろう。
でも、離婚に至らなくてはならなかったその相手を選んだのも自分だ。親に強制されて望まない結婚を
した人以外は。今どきそんな人ほとんどいないと思うし。
だから決断したのは全部自分。誰のせいでも無い。

今はまだ恵まれているよと私は思う。
昔は就職せずに結婚する場合もあったし、仕事してても結婚したらほとんど仕事辞めてたし、ましてや
子どもを産んでも辞めずに働くなんてこと、まあほんとんど無かった。自営業以外は。
手に職持って無い殆どの女の人は、結婚して夫の稼ぎで生活していた。
そんな時、例えば暴力をふるう夫に我慢出来なくても(今みたいにDVなんて言葉も無かった)、果たして
離婚して、何も出来ない自分が1人で子供を養って行けるだろうか・・・と思うよね。
真剣考えて悩むよ。
実家には跡継ぎが親と同居している。
そう思うと、どんなにイヤでも我慢するしかなかった。
諦めたり手放したりすること、いっぱいあった。
そういう時代も家もあった。もう30年以上も前の話だけど。

今は時代も世間も昔に比べれば母子家庭にあたたかいと思うよ。隔世の感がある。
男に頼らず、イヤなら、ダメなら、さっさと別れて自分の道を切り開いて行けばいいと思うし、今の若い人
たちはたくましいと思う。
もし仮に収入が少なくて不満なら、もっと頑張ればいい。
そりゃしんどいさ。お父さんとお母さんの2人分しなくちゃならないのだもの。
でもそれを承知で、それを覚悟で、皆シングルマザーになっているのだと思うよ。

周りが過剰に可哀想がったり甘やかしたりしたら、ロクなことは無い。自立出来ない。
そういうのをイヤというほど見ている、知っている。

シングルファーザーのことも少しは気にしてあげて。
そちらもきっと別の意味で大変だと思うから。

伊藤忠の『かせぐ』の広告が好き

2017-12-17 02:18:14 | 仕事
何日か前になるが新聞で、伊藤忠商事の広告を見て心打たれた。
後でもう一度と思ったが、いつのだったか探せなくて結局ネットで探し出した。
『か・け・ふ』という その広告で、やはり自分が”おおっ!”と思ったのは『か』の『かせぐ』。

こう書いてあったよ。

   精出して、働くこと。働いて、お金を得ること。
   総合商社において、商人になる者は
   まるで走るために生まれた駿馬(しゅんめ)のように、
   根っから稼ぐことが好きであるのが望ましい。

   よく稼ぐ商人に必要なものは「勘」という説もあり。
   なぜなら商いは、相手を瞬時に見抜く目にかかっている。
   その場の趨勢(すうせい)を読むちからにかかっている。したがって
   まずは自分の勘を信じること。
   いつも本能を研ぎすませ、経験に基づいた読みを大切にすること。

   とにかく一生懸命コツコツと、
   小さな成功体験を積み重ねた先にある勘は、
   科学でもうまく説明できない説得力がある。
 
   今日はどこで商売しようか。
   何が売れるだろう。どう工夫しよう。
   ひたすら力をつくすこと。心を砕くこと

自分は商社では無くメーカーの営業ではあるし、会社の規模だって比較するのもおこがましい様な
吹けば飛ぶような小さな会社だけれど、この『かせぐ』ということにおいては商社もメーカーも
会社の大きい小さいも関係無いだろう。
ここに書いてあるすべてのことに『そうだそうだ、全くその通り』と激しく同意するよ。
そして”やっぱり凄いな、さすが伊藤忠だな”って感心したよ。

自分は自分の会社の多くの人が、”何も分かってない””やる気あるのか?”と正直不満だ。
”必死になって働けよ”とか”儲けるために何をすべきか考えてんの?”とか、”どうせ仕事をするなら
もっと嬉しそうにすれば?イヤイヤするな、不満があるなら辞めろ”とか、それはそれはいっぱい思って
いる。
もっと意識を共有出来ればいいが、誰も分かってくれない、みんなユルい、ぬるま湯だと情けない。
でも伊藤忠みたいにスーパー商社なら、会社を挙げてそういう意識なんだ・・・と羨ましい限り。
そりゃ儲かるはずだね。
伊藤忠は総合商社だけれど、三菱商事・三井物産・住友商事とかとは違う感じがする。
財閥系じゃないと言うことだけでは無いよ。
どこも大企業には違いないが、私の中では伊藤忠はスーパー商社と言うイメージ。

もう何十年も前にテレビで”不毛地帯”を観てから本も読んで、瀬島龍三さんが好きだったな・・・。
今の伊藤忠は何だかやり方がスーパー商社。新聞広告もカッコいい。テレビのCMもね。
戦闘モードだし。

部外者だけれど、あの『かせぐ』に心打たれた者として、肝に銘じて私も頑張るよって思う。
あの広告にありがとう。

あわら市長は人としておかしい。さっさと辞めさせないとあわら市民の感覚疑われるよ

2017-12-17 00:38:42 | 政治
全然知らなくて、さっき報道番組でちらっと見かけてびっくりしたんだけれど、何!?あの橋本と言う
あわら市長。バカじゃないの?
信じられない位バカで恥ずかしい。

車で抱擁・キスした・4~5回・抱き付いた・ハグ・足舐めた!
異常やね。
もうね、聞いてる方が恥かしい。よく言うよ。
こいつバカじゃないの?
向こうが好意を持っていたかどうかなんて最早関係無いよ。
あわら市民!こんなのを市長にしておいていいの?
市長どころか人としておかしいよ。

聞かれるままペラペラと詳細を語る。それも公共の電波で。その神経が信じられない。
気持ち悪い。
こんなの即刻辞めさせないと、今度はあわら市民の感覚疑われますよ!

島崎藤村の”破戒”を読んで

2017-12-17 00:16:13 | 社会
島崎藤村の”破戒”を読んだ。
恥ずかしながら、ちゃんと読んだのは初めて。
中学生の時に現代国語の先生に教えられて内容は大体知っていたし、主人公の”瀬川丑松”と言う名前は
何故かずっと忘れてはいなかった。
引き込まれてあっという間に読み終わった。
この本をあの中学生の時に読んだのと、今この歳になってから読んだのとでは、思うことが全く違ったんだ
ろうか?
改めて、この本の中で言うところの””ということ、そして丑松の苦悩・葛藤を思った。

この手の話はおおっぴらにはタブーなのかどうか分からないが、自分は何も偏見を持ってはいないから
意見として言うのは自由だろう。
このことに関しては3回ほど身近に、ある経験をしているし。

私たちは”社会”の授業で、江戸時代の身分制度として”士農工商穢多非人”と言うのを習った。
今はもう、そういうことは教えないらしいが。
その身分制度のことは”ふぅ~ん”位で、特に何の思いもなかったのだが、中学生の時隣の席の友だちが、
悩んでいることがあると。
その子は穏やかで控え目で優しくて、とてもいい子だった。
打ち明けたのは、自分が住んでいる地域は、その””だってこと。
その子がそんなことを言ったのは、丁度その身分制度を習った後だったのかな?
私は何と言っていいか分からなくて、多分『そんなこと気にしなくていいんじゃない?』とか、
『わざわざ打ち明ける必要無いよ』とか、そんなことだったように思う。

そして家に帰って父にその話をした。私はこういう大事な話は必ず母では無くて父である。
父は私に『それでお前はどう思う?その子に対して偏見持っているのか?』と聞く。
父はいつもそうだ。自分が”これこれこうだ”と言う前に先ずは意見を聞く。
私は『別にそんなこと思わない、思う訳が無い。今までと何も変わらない友だち』と答えた。
すると父は『それでええ。お前はそれでよろしい』と。ただ、世の中にはまだまだ偏見はあるよと。
就職するにしろ結婚するにしろ、そういうのは付いて回る。まだ完全には無くならないだろうが
そのうち代が代わって行くに従って、薄れて行くだろうと。
私の学校は私立の女子校で、割と皆比較的裕福な家庭の子だった。
だからその子の話は意外だったけれど、それ以降気にすることも無かった。

次は短大の時だ。
仲良しの友だちがよその短大に行った。
そして”同和問題を考える”みたいなサークルに入ったと。
その時も”ふぅ~ん、何で又?”位の感覚だったのだが、その子は母親にめっちゃ反対されて
何でも、そういう研究をするサークルなんぞに入っていると誤解されかねない という理由だったらしい。
何の誤解よ?と思ったけれど、結局その子はサークルを辞めた。

そしてその次は悲劇。
短大時代、仲の良い友だちのお兄さんの彼女がいわゆるその破戒でいうところの””だった。
長い間付き合って、お互い好き合って、その人以外はアカンと言う位の仲だった。
私たちも着付けをその人に習ったりしたことがあったのだが、それはそれは美しい人でスタイルも抜群、
優しくて教養もあり着物も似合う、歳が2つ3つしか違わないお姉さんとは全然思えない位落ち着いた
人だった。ま、言わば”パーフェクト!”
その人のおうちも友だちんちもすごくお金持だったんだけれど、でも、結婚反対された。
結婚はアカンと言われた。
その人がいい人だってことはお母さんも認めていたのだけれど、結婚はやっぱりアカンと。
お兄ちゃんは悩んで悩んで死ぬほど悩んで諦めた。家を取った。その後ずっと荒れてたよ。

何がアカンのだろう?と思う。同じ人間なのにって。
あの破戒の瀬川丑松は立派な人だったじゃない。
子どもたちのことを思ういい先生で、子どもたちにもすごく慕われてたじゃない。
なのにだと言う、たったそれだけの理由で、あそこまで蔑まれ疎まれなければならないのか?
そして本人が心や体を苦しめるほど悩まなければならないのか?

いつも思うが、本人たちは悪くない。本人の責任じゃない。
昔にどういう事情があったか分からないけれど、少なくともその後に生まれて来る人には何の責任も
無いはずだ。なのにその業や罪を背負って生きなければいけないなんて、それほど理不尽なことは無い
だろう。
人は生まれて来る国や地域や家を選べない。努力ではどうにもならない生まれながらの条件で区別・差別
するのは罪なことだと思う。
人はやっぱり最終的には中身でしょ。それが無ければ寂しいだけだ。
破戒の中の校長や高柳利三郎・文平の方が、よほど人として卑しいと私は思う。

悲惨な最後にならなくて良かったとは思うが、ちょっと最後の方はあっけなく終ってしまったなと
言う感じ。
幼馴染の”お妻”という女の人が出て来るが、やたら林檎畑林檎畑と出て来るので、あの”初恋”の
モデル?なんて考えてしまった。
でも読み応えあった。

余談だが、私の両親は私の結婚の時に相手の出身を調べてた。後で知ったことだけど。
でも私は自分の子どもの時は、それをしなかった。