雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

すい臓がんの心配も杞憂に終わり、幸せなばーちゃんは元気で働いて貢ぐしかない(;^_^A

2021-10-23 15:53:44 | 日記

今日は午前中歯医者の予約していて、掛かりつけ医に行けそうになかったので

(血圧の薬がもう切れる。今日は掛かり付け医も午前中)仕事終わりに昨夜のうちに行った。

実は又背中が痛くて、すい臓がんじゃないかと心配だったので2週間ほど前にMRI撮りに行っていた。

2年程前にも同じように背中が痛くて検査に行っている。

 

8年前になるが(もうそんなになるのね・・)中高短時代ずっと仲の良かった友をすい臓がんで

亡くしている。あの時は本当にショックだった。まだ62歳。早過ぎるし、そんな近しい人が

本当にいなくなるなんて、嘘であって欲しいと心底願った。別の友とお百度詣りもした。

本人の希望で昔みたいに、近場だったけれど4人グループで5月に1泊旅行した。そして彼女は

8月に亡くなった。間際まで、子どもたちの手を煩わせること無く自分でお手洗いにも行けた。

ご主人が前立腺がんで長く治療しておられたけど、最後の最後は友が病院で泊まっていたみたい。

そしてご主人が亡くなってすぐに、背中が痛いと気が付いたけれど、おそらく病院の簡易ベッドで

寝ていたせいだろうと安易に考えていたらしい。そして真剣診てもらった時はもう手遅れだった。

子どもさんたちは1年の間に両親を亡くした。下の娘さんは2人目がお腹に居て、娘さん2人と孫ちゃん

2人の全員が女性の友は、初めての『男の子なの』と嬉しそうだったのに・・。

そして今年の春は、昔お世話になったお客様がすい臓がんで亡くなった。発覚してから早かった。

半年くらいだったろうか。

それも有って、私は”背中が痛い”ことには非常に敏感である。正直怖い。

別の友だちのご主人がすい臓がんになったけれど、ごく初期の発見で、治療法もハマったのだろう。

今は寛解状態。お元気になられたことは凄く嬉しい。きっと非常にまれなケースなんだと思う。

私、掛かりつけ医に画像を見てもらうと『すい臓がんは無いよ。肝臓もね。水たまりはあるけれど』と

言ってもらって、先ずはホッとしたが、水たまりって何だろう?悪いものじゃないらしいが。

ちょっとは元気になった気分。

 

先生の方から、孫のJが塾行って頑張ってるねと、話が出た。Jの行っている塾とそのクリニックは

同じビルの中。先生はJの掛かり付け医でもある。『塾の先生が、いい子が来てくれたと喜んでいたよ。

性格も良い子やねん と褒めていた』と。そのことはすぐに娘にもLINEした。

娘は成績より性格を褒めてもらったことが嬉しいと。

実はクリニックに行く前に先に娘んちに寄っていた。Jが修学旅行に行っておばーちゃんにも

お土産があると言っていたので。

私は娘に『赤ちゃんの時もいっつも、私が行ってピンポン鳴らすと、玄関までハイハイで来て、

ニコニコと満面の笑みで見上げて迎えてくれた。今日も玄関まで笑顔で迎えに出てくれた。

赤ちゃんの頃からなーんも変わってない。機嫌良しのえー子。可愛い子。真面目だし』と。

親には反抗期らしいが。

私はJのお土産を”おしいただいて”帰ったが、勿体無くてよー食べませんわ💧

下のTにしても今回のJにしても、私の好み知ってるの!?というくらい修学旅行のお土産

ハマってたよ。幸せなばーちゃんです。元気で働いて貢ぐしかない(;^_^A


亡くなった?ことにされていたワタクシ

2021-10-23 00:51:49 | 日記

先日、前の会社の所長と電話で仕事の話をしていたら(仕事の付き合いはある)最後に

小さい声で『〇〇さん(私のこと)亡くなったの?て言われたよ』と。

はあ???どー言うこと?何で私が死んだことになってるの?誰がそんなこと言うたんじゃいっ!

詰問して吐かせた。元M重工のHさん と。で、Hさんの電話番号教えてっ!と言って聞いて、

Hさんに速攻電話。『残念ながらまだ亡くなってない〇〇です。Hさん、まだ仕事してますの?

未練たらしいねぇ。何年も前に、辞めて田舎に引っ込むとか言ってませんでしたっけ?』と、

思いっ切りイヤミったらしく言ってやったわ。

Hさん曰く『オレが言ったんじゃないよ。オレはある人からそう聞かれたの』

『ある人って誰よ。文句言うたるわい。勝手に人を殺すなと』と。

で、ついにそのある人にたどり着いて電話して、今日会いに行って来た。

 

そのある人。何でも、部下の1人が『××の〇〇さん、亡くなったんですか?』と言ったからだと

言う。何故?姿が見えなくなったからと言って死んだことになるのか?よー分かりません。

そりゃね、急なことだったよ。なので、急に居なくなった理由を説明したわ。パワハラどころの

騒ぎじゃない、身の危険を感じて、会社が守ってくれなかったから仕方なく辞めたんだと。

決心してから1週間有るか無いかだったので、お客様全部に連絡出来なかった。そして、

何もかも置いて来て、連絡先も分からないままだったと。済みませんでしたと。

まあその時点で、もう目の前で改造工事が始まるとか、付き合い深いとかのお客様等、

最低限の人にしか連絡は出来なかった。

て言うか、前の会社の所長、ちゃんと説明しろよ。行ってないんだろ?不義理して。

 

そのある人とは京都伏見の酒造メーカーKのNさん。まだ仕事してるんなら一度おいでよと

言われ訪問したもの。『元気そうやん!』と第一声。そりゃどこも悪くはないですから(;^_^A。

Nさんももう参与になっておられて、週3の出社だと。丁度3~4年前頃は蔵や工場をきれいに

しておられる最中だったが、その時の製品部の取締役部長だった。それらも立派にきれいに

出来上がり、その時の功労者ですものね!等とお喋りしながら見学者通路を案内して下さり

ラインを見、懐かしい機械なんかも見せて戴いた。

『伏見』は『伏水』から来たらしい。日本酒・ビール・ウイスキーなど、どれもお水は大事だ。

アルコール・飲料メーカー様は皆、そのお水をとても大事にされる。

伏見には他に最大手のGさんやTさんはじめ、多くの日本酒メーカーさんが有る。

GさんもTさんも、前の会社のお客様だった。

懐かしいなぁ何年ぶりだろう・・と思いながら、お酒の香り漂う街道を行く。

仕事にはすぐには繋がりそうにないが(それは別にいいねん)、

Nさん又会えて嬉しかったですよ。呼んで下さってありがとうございます。