雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

爪が伸びたらイライラする私はおかしい?

2023-01-15 17:12:58 | 日記

個人的なしょーもない話をもう一つ。ホントくだらない話です。

みんな、爪はどんな頻度で切っているのだろう?と言うのも、私は爪が伸びるのが我慢出来ないのだ。

指を立てて机の上にでも置いた時、指先の”身”というか”肉”が直接当たらないと気持ち悪いのだ。

爪が先にあたって”身”が机に触れないとしたらイヤだし、爪が伸びて先が鋭利になってくるとイライラする。

 

子どもの頃、ヴァイオリンを習ってた。ヴァイオリン弾くには爪は邪魔。弦を押さえられない。

なので母にしょっちゅう爪を切られていたように思う。もしかしたら深爪しまくってた?

爪が短くなるやん!

しかし私の爪は今でも縦に長いし爪の形は美しい。と自分では思う。おまけに指も長い。

忘れもしない小4の頃、学校で指を広げた寸法を測ることがあった。算数かなんかの時間に。

私は多分クラスの中で一番、親指の先から小指の先までの距離が長かった。男の子なんかが、

チビの私がなんで?一番手が大きいねん!とびっくりしていたのを覚えている。なんでかしらねぇ?

って、これは自慢よ。30代なかばの頃、手は10代20代の手みたいに若くてキレイだねと感心された。

いわゆる”手タレ?”になれるよと。手だけ見てたら騙されるよと(^_^;)

今は見る影もないことは言うまでもないが。歳相応の手だ。

 

手の話じゃなくて爪の話なんだけど、いっときマニキュアに凝ったことがあった。若い頃。

毎晩マニキュアを塗り替えた。爪には良いことはないよねと思いつつ。

その時は多分、爪伸ばしていたはず。伸ばした爪にマニキュア塗っていたと思う。

と言うことは、爪が伸びていても気持ち悪くない時期もあったということだ。

なのに、今の少しでも爪が伸びたら気持ち悪いというのは一体何でなのか?自分でも解らない。

爪は伸びると伸びるほどに、先が薄くなる。その先の薄くなった爪が身体のどこかに触れたり

当たったりすると痛くて憎らしい。変でしょ(^_^;)

 

”癇症”という言葉は方言?神経質とか異常にキレイ好きとか潔癖症とか、肉体的生理的には、

そう言いう意味で使うのだと思う。大阪ではそういう言葉は使わないけれど。

私は、こと爪に関しては、その”癇症”ではないかと思うのだ。

なんでこうなったか解らない。いつからそうなのかも判らない。でも気が付けばそうなっていた。

これって、加齢のなせる技?としか今は思えない。

そんなこんなで、私は昔の子ども時代みたく、少し伸びれば切る という作業をこれからもやって行く?

のだろうかと、ちょっと憂鬱な気分になっている。

 

そう言えば・・・子どもの頃は、シーツに少しでもシワやたるみがあると、寝るのがイヤだった。

と言うことは、結構立派な”癇症”だったということだ💧


静かに上手にブログ生活を楽しめということらしい

2023-01-15 16:15:28 | 日記

個人的なしょーもない話です。

昨日、義姉とランチした。渡したいものがあったのだが、遠くもない実家に出向けば良いものを

なんとなく面倒だったのと、年末から  あるお店の”チキン南蛮”を食べたかったものの、

(ひとくちにチキン南蛮と言っても、まあ色んな調理法と味付けがあるもので)なんとなく1人で

入りにくくて(いや、今まででも1人で行ったことはあるのだけれど)、義姉を誘ったのだった。

甥が居るなら一緒にどーぞと。

で、お正月4日にも会ったけれど、それはそれで又別の話で盛り上がる。

一緒に参加した甥は、私のブログをよく見ているらしい。そしてその甥が言う。

『○○さんのブログは、日常の個人的身辺のことだけでなく、社会的なことやたまには政治のこと等

結構バラエティに富んでいていいと思うよ』と。

 

あ、話は横道に逸れるが、私は甥姪に”おばさん”と呼ばれたことは一度もない。いつも名前で呼ばれる。

よくよく考えれば我が子含め甥姪は皆、伯父伯母叔父叔母のことを名前で呼ぶ。○○さんか○○ちゃんだ。

唯一”おっちゃん”と呼ばれているのは兄だけだ。その兄は、歳上の姉のことを呼び捨てだ💧。

我が一族、何故そうなった??のかは定かではない。もしかしたら、姉兄同士名前で呼びあうからかも

知れない。子どもの時はそうではなかったが、私自身 今は姉や兄のことを名前で呼ぶ。たま~に、

おにーさん・おねーさんと言う時もなくはないが、名前の方が自然。そうやって子どもに話をしていて、

子どもたちも自然とそうなっていったのかも。

それに私が祖父母の話をしても、それは子どもたちからすれば曽祖父母になるのと、父方母方含めれば

数が多くてややこしい。私は聞き覚えではあるけれど、自分の曽祖父の話もするし。

私は解っていても○○のおじいさんおばあさん、ひいじいちゃんひいばあちゃんと、めっちゃ複雑。

なので、そこにも名前付きで説明は要る訳で・・・。私の父なんか、亡き後  今は娘の話には

”○○っつぁん”と言う呼び方で出てくる(^_^;)。可愛くていいでしょう♡。

 

で話は元に戻るが、甥曰くは私のブログはテンポが良いそうな。読みやすくて面白いよと。

私自身がもう古くて覚えてないような記事まで、彼は話をしてくれる。『ああ、そんなことも

書いたことあったっけ・・』みたいな状態。一体いつまで遡って読んだのよ?ヒマなん?

甥はバックアップ取っているのか?と聞くので『そんなん知らん』と私。気にしたこと無い。

勿体ないから消えないように保存せよと甥。

『済んだことは良いのよ。ただその時思いついたことを書いているだけだから』と私は言うのだが、

昔の子ども時代のことなんかも書いているでしょ?あのタカビーのおばあちゃんの(よく知っているなぁ💧)

おじいちゃんおばあちゃんのところに泊まりに行って、おばあちゃんに駅まで送ってもらう帰り道、

”私が帰ってしまったら、おじいちゃんおばあちゃん、又2人だけになってしまって寂しいだろうな・・・

なんて書いてたでしょ?そう言うの大事なことなんだよと。

あーた、そんなことまで読んで覚えているの?と私は感心というか感激よ。昔のことに関心のある子だからか。

そーよ、あの時はそう思ったわよ。まだ子どもたちが、結婚しても親と同居が当たり前の時代だったからね。

昭和30年代の初期よ。なんで叔父さん一緒に住んであげないんだろ?タカビーで気位高く、厳しい

祖母だったから、お嫁さん大変だったのかもね。現に長男家族同居し解消、次に次男家族同居し解消、

だったもんね。でも今にして思えば、それほど寂しくはなかったのかも知れない。ワガママに好きに

暮らしていて、温厚な祖父と2人、それはそれで暮らしやすかったのかも知れない。

その時の祖母の本当の心の中までは解らないよね。子ども心に単純にそう思っただけのこと。

最終的には祖父母は長男家族と同居した。叔父叔母が放ってはおかなかった。叔母(お嫁さん)も

とても気を遣ってよくしてくれたと、長じた私は思ったものだ。

3人姉兄の長子である一人娘の母は、叔母に感謝していた。私はそのタカビーのおばあちゃんも、

父方のおばあちゃんも、どちらも好きだったよ。本当に骨のある人たちだった。

 

甥は、そういう昔の時代背景なんかも解る貴重な内容だよと言ってくれたのかも知れない。

ありがとうね。でもそんな大層なものじゃないよ。

確かに私の人生、波乱万丈とまでは行かなくても、なかなか色々ある面白い人生かも知れない。

そりゃあ、ブログに書かない・書けないことは勿論あるよ。全部はさらけ出せない。

個人的に差し障りのあることあるし。ブログに書くってことは、自分関連、世の中に晒して

いるってことだし。

友だちは小説が書けるという。今の会社の社長は『普通の人生違うやろ・・』と言う。

あらそう?普通の人生ってなんだ?

政治の話はあまり書かないかな。えらそーに書くほど政治に精通している訳では無いし、

政治ブログでもないし。

ひとつひとつの政策に関しては、私は自分の考え・意見は非常にはっきりしている。と思う。

なので、どの政党を応援しているというよりも、全部同じは無理なので、総合的に見て、より自分の

考えに近い”人”を選ぶようにしている。

社会的?世の中のこと?を書くのは、日々外で経験・体験することに勝手に腹を立てているだけよ。

 

そして甥に言われたのは、昨年末からのトラブルのこと。あまり反論しない方がいい、仕返しなんか

しない方がいいと。倍返し!なんか言ったらアカンよと(^_^;)。逆恨みが怖いでしょ?と。

色んな人が居るんだから、まともに相手していたらキリがない。解らない人はどこまで行っても解らない。

だから、あまり騒ぐなと。静かに穏やかにブログ生活を楽しむようにと。

ええ、ええ、解っているのよ。出来ることなら私だって騒ぎたくなんか無いわよ。でもさ、理不尽な

ことには黙ってられない性分よね。難儀なことに。

細く長く静かに穏やかに続けられるよう頑張るわ。又見て応援してよ、よろしくねと甥に言って別れた。