発表がもう4日前になるので、新しい話でも何でもないのだが、長嶋さんのこと。
長嶋茂雄さんが文化勲章を受章すると言う件。
私はずっと長嶋さんのファンだから、嬉しいは嬉しい。でも本当は、国民栄誉賞も文化勲章も
もっと早ければ、もっと嬉しかった。
長嶋さんは長嶋さんに違いは無いのだが、やっぱり脳梗塞を起こして以降の長嶋さんは
昔の長嶋さんとは違う。いくら歳を重ねても、脳梗塞さえ起こしていなければ、”歳をとったね、
長嶋さん!” で居られただろうと、それを思うとあの時ひとり暮らしだった長嶋さんの不運を思う。
発見に時間が掛かり過ぎたものね。
それでも長嶋さんは常人には考えられないほどの強靭な精神で過酷なリハビリをこなし、何とか
ここまで漕ぎ着けた。そうでなければ、身体も言葉ももっと不自由だったのかも知れない。
王さんの様に、歳を重ねても元気で球界の為に活躍し、話し、動き、そんなことが出来る長嶋さん
だったらどんなに良かっただろう。お話し好きで陽気で前向きな長嶋さんの話を、色々聞きたかった
なぁ・・と思う。気の毒に、本人もどれほど悔しいことだろう。
今回の長嶋さんの文化勲章受章に『何で野球界から?』とか『王さんの方が先でしょ』とか、
色々意見があるみたいだが、私に言わせれば、そんなことを言う人たちは何も知らないのよ!
としか思わない。
確かに王さんも凄いよ。記録の上では長嶋さんを超えている。数々の記録を打ち立てて来た。
尊敬に値すると思っているし、王さんのこともキライではない。
でもでも、私にっては違うのだ。数字では王さんに適わないかも知れないが、長嶋さんはやっぱり
ヒーローであり、スーパースターなのだ。本人も言っている『記録より記憶に残る男』なのだ。
『ミスター!』なのだ。ミスターの後にプロ野球とか付かなくても、ミスターと言えば長嶋さんの
こと。これって凄いよ。
今70歳の私は、確か自分が小学校に入学した時が、長嶋さんがプロ野球に入った時だ。
昭和33年?長嶋さんはプロ野球に入ってすぐに活躍した。毎日毎日長嶋さんの活躍が楽しみだった。
テレビででも、長嶋さんの打つ時は怖くて観れない。目と耳を塞いでいる。
父に『長嶋打ったよ』と言われ、慌ててテレビに目をやると、ダイヤモンドを一周している姿。
そればっかり観てた💧
あの明るくて楽しい屈託のない性格で、おまけに大活躍するものだから人気は凄かった。
まだ戦後の高度成長期(だったのかな?)に合わせて、国民の夢や希望を一身に背負ってた。
長嶋さんの活躍に日本中が湧いた。あの時の興奮は忘れない。ファンレターも書いた。
父が虎キチだったので『お前は大阪人のくせに・・』とよく言われた。甲子園に連れて行って
もらっては、一塁側で長嶋さんを応援し『声を出したらアカン・・』とたしなめられたりもした。
しかしそんな父も、長嶋さんの凄さは認めていた。
王さんの活躍は、長嶋さんの少し後だ。ONともNOとも言われるようになったのは、王さんの
活躍が始まってからだ。それまでは長嶋さんが(1人でとは言わないが)巨人をプロ野球を
支えていたんだ。本当にあの頃の爆発的なプロ野球人気は、長嶋さんに依って始まったと言っても
過言ではない。
だから私は、王さんが国民栄誉賞となった時に、何で長嶋さんじゃないんだよぅ!と拗ねていたよ。
病気になる前でも良かったくらいだ。あの時代、長嶋さんがどれ程人気で、国民を勇気づけ、
元気づけ、楽しみを与えて来たか。
そんなことを知らない人が『なんで野球人?』とか『何で王さんが先じゃないの?』とか言うんじゃ
ないよと私は思っている。あの時代、長嶋さんは日本の宝だったんだ。あの熱を知らんだろうに。
王さんも凄いと思うし、お人柄も良いと思う。でもでも私にとっては同じにはならない。絶対に。
長嶋さんと王さんは違うんだ。
折りに触れて長嶋さんのコメントは発表されるけれど、自身の口から公の前で声を発することは
もう無い。思い通りのアクションをすることも。ファンとしては寂しいよ。王さんお元気だから
余計に。
今はただ、心穏やかに健やかに過ごしていただきたいと思う。私と同じように長嶋さんへの熱い思いを
持っている人はいっぱい居ると思う。それこそ記憶にあるんだもの。
球場に一茂を連れて行って忘れて帰る とか、鯖の漢字の説明で『魚偏にブルー』と言う長嶋さんが
好きだ(^^♪