雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

お世話になった人が逝ってしまう もの悲しい年末

2022-12-24 08:02:04 | 日記

前の会社の会長が亡くなった。1937年生まれだから85歳だ。一族が皆、比較的若くして亡くなって

いることを思えば長生きの方だったのかも知れない。

私はブログにも書いたが1カ月ほど前に、前の会社の同僚から会長の具合が良くないと連絡は貰って

いた。もう一度会いたいと思いながら、もうそれも叶わないと、ある意味覚悟はしていたのだが、

やはり悲しい。

今の会社ともお付き合いがあるので、会社にも連絡はあったし、個人的には前の会社の本社と

大阪営業所の2人から連絡があった。2人共寂しいと。

あの豪快豪傑の会長でも持たなかったのね・・・。

 

同じグループ会社のTの東京営業所長をしている時、某部門を独立させて別会社Kを作るので

そこの社長になれと言われ、机の引き出しにぎっしり溜まっている銀座の飲み屋の請求書を、

全部会社が払ってくれるなら社長になっても良いと豪語して社長になった伝説の人。

実際に当時の会社が?社長個人が?払ったらしい。

独立させたKを大きくした人。グループの稼ぎ頭になっていた。バリバリやり手の人だった。

私はTに居た頃から知っている。

Tが事業を辞める・転換するとなった時に、私たち何人かのTの社員だった人はKに行った。

 

私は年配のおじーちゃんにはには受けが良い。おじーちゃんと言っても、10歳ちょいの差だから

私がおじーちゃんと言うのは失礼かも知れないが。

Kに居る頃は可愛がってもらった。大阪営業所から豊田の本社に用事で出掛けると必ず、

帰りに名古屋伏見や栄辺りのお寿司や小料理屋や肉やら、あちこち美味しいものを食べに連れて

行ってもらった。私はお返しにせっせとフェラガモなんかのネクタイを贈った。今人気のブランドは

何か知らないが・・・その時はそれ位しか出来ることは無かったので。

 

私が前の会社を辞める時も、『〇〇を辞めさせてはいけない。営業成績トップなのに』と

社長(息子)に言い、暴力沙汰で危ないのなら、私を少し離れたサービス部門のある建物の

2階の事務所で仕事をさせれば良いと進言してくれたのに、1人だけ特別扱いは出来ないなどと

ほざいて反対したのは社長だった。

身の危険を感じていた私は、本当は辞めたくは無かったけれど仕方なく、辞めたのだ。

 

それ以降、元気で居られるかどうかの確認の意味もあって、会長とはたま~に電話で喋ったり

メールで連絡したりはあったけれど、実際に会えてはいなかった。私もこの歳で新しい会社に

慣れるのに必死だったし、どういう訳か愛知県にはお客さんと言うか縁が無かった。

なのでいつも素通りだった。時間が早ければ連絡して名古屋で途中下車してお食事でもと、

常にその意識は有ったけれど、物理的に叶うことは無かった。会長は4時5時にはもう夕食行くぞっ

みたいなスタンスだったので、時間的にとても間に合わない。そんなこんなで今まで来てしまった。

 

もう一度でいいから辞めた後、会いたかったよ。仕方なく辞めて心配して下さってるだろうけれど、

私元気にやっているからと、安心してもらいたかった。

なので、無理してでも会わなかったこと、すごく後悔している。会えなかったんじゃない、

会わなかったんでしょ?と自分を責めているよ。

 

会長、先に逝った奥様に会えましたか?悔いは無いですよね?やり切った感ですよね?

傍にいて、力を貰える人だった。私はとても感謝している。


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