
京都府福知山市三保 延喜式 式内社 生野神社 江戸時代は「御幣(みてぐら)神社」
由緒
徳川時代の参勤交代には、天田地方の領主綾部藩の九鬼氏をはじめ、福知山、舞鶴、宮津、峰山、豊岡、和田山等の大名が行列美々しく此の道を通る際は、必ず参拝して長途旅行の安全を祈願し、神前の榊の枝葉を戴いて御守とし、帰途これを返納したので以来、旅行、出張、転勤、外遊等の生活と道中安全の神様として有名である。
社殿は慶長年間(1600)関ケ原の戦の頃、社殿の改築があり、更に元禄年間(1700)忠臣蔵討入の頃、神祇管領より正一位を授けられているが社殿は後の山上にあった。
明治6年(1873)生野神社と改称、昭和4年(1929)拝殿新築、昭和8年(1933)社務所を建てた。
御幣神社 鎌倉時代(1100)から江戸末期(1800)までは、みてぐらはんと称えていた。これは、綾部藩主九鬼氏が生野に倉庫を建て上納米を取立てていたことによる。
境内案内によると拝殿新築昭和4年とありますが・・・・
彫刻より中井清次良正用・江戸時代後期(幕末前後)ですので彫刻のみ以前のものですかね?
拝殿













本殿・不詳
彫刻は、中井八代正胤かなぁ?銘なし











脇障子
琴高(鯉乗り仙人)

李白観瀑

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