ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

川面東先代幕3

2009年02月04日 17時35分45秒 | 川面東
町の事情1

少々幕の件よりはずれる感あるのですが売却時の事情も重要と思ってます。

事実
小濱側には、口伝はあるが、文献は今のところない。口伝については、「川面の町に生まれて」においても取り上げていますが、「宝塚・小濱宿と街道」 小浜町並み保存研究会発行にて記述あります。
川面側には、文献あるが、特におもしろい言い伝えない。
売却時の双方の事情を「小濱宿と街道」記述口伝及び大道町に残る文献から掘下げ検証してみたい。

小濱東側・けんか祭りにより度重なる死傷者・逮捕者の賠償金、保釈金の工面の為に売却。しかも警察より圧力がかかり商家は寄付できなかった。

疑問点 一緒の町内(東ノ町)で喧嘩?この場合どう考えても他町(西・北)との喧嘩のはず。少なくとも双方に被害があったと考えられる。小濱東だけがお金工面できなかったのか?
地車が事故を起こしたのであれば、いわゆる事故車となる為高額にて売却できないし、どの町も欲しくはないはずである。町の若衆や世話人などの人同士の喧嘩と考えられるが死人がでるのか?いくら祭り事とは言え、死人がでたなら後世まで内の者は、誰々に殺されたとなるし、まして殺人となると常識的には懲役刑で保釈はない。(時代は明治14年頃のはず)喧嘩両成敗である可能性も高い。そこいらじゅうを破壊した修理費は町内職人が修理すればよいし、仮に依頼したとしても地車を売却してまでの金額とは考えにくい。死傷者の賠償金と言うよりも喧嘩して留置所に入った人間の保釈金が多かったと考えれば、小濱東ノ町が、やむなく売却したで筋が合うかもしれないが・・・・
いずれにせよ小濱東側に売却しなければならない事情が強く買ってくれるならどの町でも良いはずである。この場合あらかじめ希望金額はあると思われる。当時の町人気質わからないが、立場的には、買い手有利な交渉になるはず。

川面東側・明治14年当時川面南には地車新調話が進められているこれは南の文献であきらかで、もちろん川面西にも話が出ていたと推測してもおかしくない。ひょっとしたらもう少し前から南・西ともかなり話は進んでいたかもしれない。もしかして川面東にも具体化していないが、地車新調話があった可能性はある。町内の感じから考えれば新しい地車がほしい感が強いと推測できる。

文献より気にかかる点は、まず、「買い求める」の文字。地車代金500円以外に25円を小濱東・若衆に酒、肴代として渡している。地車を購入するにあたっては当たり前なのかもしれないが、仲介人が介在している。この点から読み取れるのは、川面東から是非売ってほしいと小濱東ノ町にもちかけた。と考えられないか?

つづく

※トップ画像は、「宝塚・小濱と街道」内 秋祭りと地車(ダンジリ)より原文一部抜粋。

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