
市杵島姫神社は、元々中山寺境内にあった神社で明治4年に神仏分離により現在地に移設遷座されています。
現中山寺地車経緯不明ですが、川面東大道文献に残る記述によれば、明治14年に川面東先代地車中古購入となり、西谷地区長谷に残る文献によると前年の明治13年に元地車を売却とあり、時代が合いますので現地車が川面東元地車であるかは、さておき中山寺では、その時期に売って買っては間違いないと思われます。
中山寺に口伝も含め何も残っていないのが残念です。
今後発見があることを期待したいです。
神社が中山寺境内にあった当時、地車が中山寺山門を抜けていたのでしょうか。
その山門にある仁王・獅子(狛犬)彫刻が製作当時の彩色に復元されました。
新調同様以上の出来になぜか古き良きを感じれない感があります。


さて中山寺地車ですが、形態は、宝塚地車。
宝塚地車の中では、比較的小ぶりです。たしかなことはわかりませんが、改修して縮めたかんじがします。
彫物は、はたして新調時のままかどうかはわかりません。部分的には後に取付けたと思われる彫物もあります。又、本来あるべき場所にない可能性もあります。(例えば前後や左右逆とか)
大屋根枡合に海系彫物・鯛に海女
枡合にはめずらしくないですか?台八廻りや勾覧廻りの下部にはよく見られるように思いますが。

大屋根後・獅子噛

大屋根正面枡合・龍

川面東の面影を探しますが見当たりません。
現在の金物は、新調されています。
なぜか、木鼻獅子や上記画像青龍に愛着を感じるのですが・・・
今回企画・長尾村シリーズ終了です。紹介できなかった地車についてはまたの機会に。
現中山寺地車経緯不明ですが、川面東大道文献に残る記述によれば、明治14年に川面東先代地車中古購入となり、西谷地区長谷に残る文献によると前年の明治13年に元地車を売却とあり、時代が合いますので現地車が川面東元地車であるかは、さておき中山寺では、その時期に売って買っては間違いないと思われます。
中山寺に口伝も含め何も残っていないのが残念です。
今後発見があることを期待したいです。
神社が中山寺境内にあった当時、地車が中山寺山門を抜けていたのでしょうか。
その山門にある仁王・獅子(狛犬)彫刻が製作当時の彩色に復元されました。
新調同様以上の出来になぜか古き良きを感じれない感があります。


さて中山寺地車ですが、形態は、宝塚地車。
宝塚地車の中では、比較的小ぶりです。たしかなことはわかりませんが、改修して縮めたかんじがします。
彫物は、はたして新調時のままかどうかはわかりません。部分的には後に取付けたと思われる彫物もあります。又、本来あるべき場所にない可能性もあります。(例えば前後や左右逆とか)
大屋根枡合に海系彫物・鯛に海女
枡合にはめずらしくないですか?台八廻りや勾覧廻りの下部にはよく見られるように思いますが。

大屋根後・獅子噛

大屋根正面枡合・龍

川面東の面影を探しますが見当たりません。
現在の金物は、新調されています。
なぜか、木鼻獅子や上記画像青龍に愛着を感じるのですが・・・
今回企画・長尾村シリーズ終了です。紹介できなかった地車についてはまたの機会に。
ももだんに最も関わりの深い中山寺でこのシリーズもフィニッシュですか?
この地車が元ももだんかどうかは何とも言えませんが、彫り物にせよ、構造部にせよ、かなりの手が加えられているように思えます。そして、彫り物の乾燥具合が半端ない感じですよね。年代ものの地車は木材の表面が炭化して黒ずんでくるものですが、この地車は反対に真っ白に。何の根拠もありませんけど、ある時期に雨ざらしに放置されていたことがあるのかも?
とにかく古い、けれども完全に宝塚型の地車であることは確かです。先代の幕が何かの手がかりになればと期待しているのですが?
中山寺さんは、数年前に少々改修を有志でされています。その時に洗いをされているので木部の仕上がりがあんなかんじになったようです。
たしか薬品使わず市販系の洗剤等で洗浄されたようなことを聞いたような気がしましたが、ごめんなさい。たしかでありません。
彫物=海女さんの題材がどうも心にひっかかるのですが・・・・そもそも仮に川面東元先代であったとしても、その地車が川面東で新調したかは、闇の中ですからね・・・現地車自身が元小濱東の町ですし、同じ題材はただの偶然としか説明できませんもんね・・・・しかも後付けの可能性もあるし。