ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

平井地車

2010年01月20日 00時15分19秒 | 地車祭礼まいり
平井地車

昭和40年代に青年団が解散してしまい。地車曳行は中断、その後青友会が設立され地車曳行が再開されたそうです。
現在は、地車保存会・青友会(運行)で組織されています。

口伝では、中古にて購入(山本方面?)
平井地車は、構造他まぎれもなく宝塚型。
口伝が正しいなら宝塚のどこかで作製され、どこかの村で曳行されていたと推測されます。



先代幕
幕箱には、墨書あり。

安政4年6月新調 製作 岩城○○

あらためて、宝塚地車幕について考えさせられますが、中古にて購入したとなると幕の製作年代が古いような・・・さすれば、先代地車があった?それとも中古譲り受けの際に幕箱も一緒に譲り受け?
それとも実は、平井にて安政4年に地車製作もした?=でもこの場合は他村に対して誇らしいことなので記録なくとも口伝で残るのではないかと考えます。
曳行中止期間が長いと記憶も薄れますので難しいですね。

現在保存会にて地車史製作に奮闘されているようなので期待しましょう。





平成5年~6年にかけ、岸和田・吉為工務店にて大改修。

保存会が結成された時に、八阪神社より地車所有を譲り受けされたそうで、この大修理を期に地車より神社色はほぼ一掃されたようです。提灯しかり神紋も目立たない所に数箇所あるのみです。




火燈口まわりの彫物・丸柱との間に上り龍がいます。




おまけ・宝塚連合保存会式典パネル




おまけ2・携帯ストラップ(首からもぶらさげれます。)










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2 コメント

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安政4年 (まっしゃ)
2010-02-03 20:07:56
安政4年とは驚きでしたね。その幕の箱に「平井」という地名とか世話人の名前とかは残ってないのかな?その代わりに職人の名前がわかっているというのも大変貴重な事例です。
冊子を作っているという噂は随分前から耳にしていますが、なかなか仕上がってこないですね。本当に楽しみです。地車本体の歴史についても何か新しい事実が書いてあるとうれしいのですが。
ところで平井の法被はとてもユニークだと思いませんか?肩を入れる向きによって、白の法被になったり、青の法被になったり…。
駅前だけは拓けましたが、集落の中は狭い路地が入り組んでいて、けっこうな起伏もあるし、さぞかし曳行は大変でしょうね。地車が神社に宮入りしないのも珍しい?
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解説ありがとう。 (あにき)
2010-02-05 14:32:02
世話人名?そう言えば他町の場合、大概は記名してありますね。すいません確認してません。なんたる「ぽか」(笑)
平井会長・このプログ見ていたら書き込んでください。(笑)
機会あれば確認しておきます。
法被=ほんまやね???でも、平井さんて、向き変える担ぎ方してたかなぁ
神社宮入=物理的に無理になった町や元々神社関係なく地車購入した新興町は除きないでしょうね。
平井の場合、途中中断から復活まで地元で色々あったんでしょう。
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