相野安右ヱ門義一
昨年夏より調査が進展し詳細がほぼあきらかに。
相野(安井)安右ヱ門義一の研究者である、福知山史談会 塩見昭吾先生の論文発表までは、詳しくは控えます。
以前に当ブログにて紹介してますが、http://blog.goo.ne.jp/aniki0528/e/b9c4bce3156ffc9329cda5546e49a94e
その当時は、福知山京町 彫物師 相野安右ヱ門義一 同 安井安右ヱ門義一は、同一人物でないとしていたが、これは、間違い同一人物である。
安井姓の彫を舞鶴市大川神社(目貫龍の彫が気になる)頼りにしてたが、その後の安井姓銘彫発見により確信をもつ。
相野=安井安右ヱ門義一の彫師名である。
現綾部市出生 記録あり
大坂 相野徳兵衛の元で彫師として修行 安井家末裔による口伝と研究者の推定。
大坂に彫物を目指す影響を与えたのは、草花平四郎(私の推定)
嘉永後半か安政元年頃に福知山京町に居を構え「相野」を名乗り彫物師家業
のれん分けか?徳兵衛によって「相野」姓を許されたのか?勝手に名乗ったのか?は定かでなし。
福知山・綾部・舞鶴・宮津他近辺に多くの作品を残す。
明治に入り安井姓でも銘を残す。明治15年前後ではないかと推測するが、隠居・婿養子に跡目相続が関係するのか?
この件も大川神社の年代がひっかかる・・・
明治・・福知山京町にて没 記録あり
相野徳兵衛の血縁ではあらず。
しかし浪花相野彫の特徴が随所にあるのでほぼ弟子であったのは、間違いないかと推測します。
塩見先生は、安右ヱ門の彫は、目貫の龍にありとのことですが、私的には、相野=獅子。相野安右ヱ門義一イコール安井安右ヱ門義一も獅子がおしえてくれました。
相野(安井)安右ヱ門義一の浪花相野獅子については、気が向いたら講義します。
相野安右ヱ門義一の調査研究にあたっては、塩見昭吾先生はもちろん、多可町 白石氏・綾部市高津八幡宮 朝倉宮司・綾部市史談会 林氏の御協力を感謝します。
画像は、綾部市安場町 一宮神社
懸魚 鳳凰
目貫 龍 上部に虎 睨み合う龍虎
木鼻 正面獅子 横 象
脇障子 右 李鉄拐 左 蝦蟇仙人
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