猪渕布団太鼓 2014年11月19日 20時12分18秒 | 地車祭礼まいり 川辺郡猪名川町猪渕(いぶち) 八坂神社 布団太鼓 今年初めて見ました。 以前より何度か訪問したのですが、タイミング合わず、出ない年ばかりの訪問にて見学ならず。 ことしは、偶然の通りがかりで祭礼日前週の準備中に見学できました。 撮影は、コンデジですが、まぁなんとか見れますか。 三段の布団太鼓・小型の部類ですか? 平成14年に新調(修理)・旧狭間彫刻が残ってました!! ニス塗りしてありますが、この彫刻はいいですね♪ 彫師誰でしょうか?決定打ありませんが、浪花彫刻ですね。 龍が巻物持ってます。 « 浄谷寺 | トップ | 神君家康の密書 ~加藤廣~ »
8 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 情報 (あにき) 2014-11-21 23:19:34 上地車新報さんより旧地車の原型は、切妻屋根・獅子噛み付太鼓台であったようで狭間彫刻含め変わってしまっている模様。詳細不詳 返信する 猪名川町猪渕布団屋台 (横山 隆史) 2015-11-10 22:19:19 今晩は。あなたが撮影した屋台は、滑原町旧子供屋台で、昭和54年、町内の小坂善一師が製作したものです。平成9年まで19年間使用しました。平成14年から、縁あって、川辺郡猪名川町猪渕、八坂神社に、鳴り太鼓と共に奉納されています。滑原町屋台蔵の前には、八坂神社があり、こちらでもやっぱり八坂神社。何かと縁がありますね。あなたのブログをシェアさせていただきました。 返信する 滑原町旧子供屋台 (あにき) 2015-11-11 08:19:56 横山様情報ありがとうございます。三木市岩壺神社祭礼ですか?シェアされたフェイスのコメントもらいました。この狭間彫刻年代作者不詳というところでしょうか?「これは元々新町の先々代屋台、昭和36年に潰れた平屋根屋台の狭間で、滑原町が子供屋台を作って、当初は旧屋台の雲板を切断して使っていましたが、あるとき、みすず包丁の先々代社長が、店の床に転がっていた、竜の狭間を「これ持って行き」と呉れたそうです。剛毅な話やなぁ!!」 返信する 龍の狭間 (横山 隆史) 2015-11-11 10:21:45 おはようございます。早速のご連絡ありがとうございます。くだんの狭間は、製作年、作者、不明です。新町は、滑原町の西隣ですが、氏宮は大宮八幡宮で、滑原町の岩壺神社とは別です。隣町で氏宮こそ違え、普段から付き合いの深い町同士です。明治時代には同じ彫師の布団太鼓をを両町で購入しています。滑原町屋台明治時代製作→昭和40年に破損。昭和54年子供屋台新調→平成9年まで使用してお蔵入り→平成13年(株)谷尾に売却→平成14年猪名川町猪渕に売却、現在に至る。 返信する 経緯 (あにき) 2015-11-11 15:15:47 横山様詳細情報ありがとうございます。なぜ?三木と思ってましたが、谷尾・経由で合点いきました。新町蔵はたしか三木城跡の横手にありましたか?以前に社寺めぐりでうろうろ。大宮八幡宮にもお参りさせてもらいました。参道沿いにもりっぱな太鼓蔵ありましたね。 返信する 新町太鼓蔵、明石町太鼓蔵 (横山 隆史) 2015-11-12 00:14:34 こんばんは。明石町太鼓蔵は、おっしゃる通り、参道に面しています。参道を一の鳥居に向かって、左側は宮前町で旧明石町ですので、明石町の太鼓蔵です。大宮八幡宮は、大宮町で、元々新町から別れました。参道の右側が大宮町です。新町太鼓蔵は、平成19年に祭り三日前に火事で太鼓もろとも焼失しました。平成21年に蔵と太鼓を再建しました。おっしゃる通り城跡の横手です。大宮八幡宮の太鼓奉納順序は、一番明石町、二番新町となっています。しかし境内での据える場所は、本殿に一番近く新町が据えます、その後ろが明石町です。宮入り順と違うのは、なぜかわかりません。ちなみに、滑原町太鼓蔵は、唯一城跡にあります。というか、城内稲荷の境内に太鼓蔵がありますが、稲荷は天正時代、太鼓蔵は明治時代の建設です。それ以前は、商店街の中にありました。 返信する 詳細 (あにき) 2015-11-12 22:13:48 横山様重ね重ねの情報ありがとうございます。 返信する 唐破風屋根太鼓台の写真 (横山 隆史) 2015-11-16 08:25:59 おはようございます。ブログに掲載されている、唐破風屋根太鼓台の写真をシェアさせていただいてもよろしいでしょうか? 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
旧地車の原型は、切妻屋根・獅子噛み付太鼓台であったようで狭間彫刻含め変わってしまっている模様。
詳細不詳
あなたが撮影した屋台は、滑原町旧子供屋台で、昭和54年、町内の小坂善一師が製作したものです。
平成9年まで19年間使用しました。
平成14年から、縁あって、川辺郡猪名川町猪渕、八坂神社に、鳴り太鼓と共に奉納されています。
滑原町屋台蔵の前には、八坂神社があり、こちらでもやっぱり八坂神社。
何かと縁がありますね。
あなたのブログをシェアさせていただきました。
三木市岩壺神社祭礼ですか?
シェアされたフェイスのコメントもらいました。
この狭間彫刻年代作者不詳というところでしょうか?
「これは元々新町の先々代屋台、昭和36年に潰れた平屋根屋台の狭間で、滑原町が子供屋台を作って、当初は旧屋台の雲板を切断して使っていましたが、あるとき、みすず包丁の先々代社長が、店の床に転がっていた、竜の狭間を「これ持って行き」と呉れたそうです。剛毅な話やなぁ!!」
早速のご連絡ありがとうございます。
くだんの狭間は、製作年、作者、不明です。
新町は、滑原町の西隣ですが、氏宮は大宮八幡宮で、滑原町の岩壺神社とは別です。
隣町で氏宮こそ違え、普段から付き合いの深い町同士です。
明治時代には同じ彫師の布団太鼓をを両町で購入しています。
滑原町屋台明治時代製作→昭和40年に破損。
昭和54年子供屋台新調→平成9年まで使用してお蔵入り→平成13年(株)谷尾に売却→平成14年猪名川町猪渕に売却、現在に至る。
詳細情報ありがとうございます。
なぜ?三木と思ってましたが、谷尾・経由で合点いきました。
新町蔵はたしか三木城跡の横手にありましたか?
以前に社寺めぐりでうろうろ。大宮八幡宮にもお参りさせてもらいました。参道沿いにもりっぱな太鼓蔵ありましたね。
明石町太鼓蔵は、おっしゃる通り、参道に面しています。
参道を一の鳥居に向かって、左側は宮前町で旧明石町ですので、明石町の太鼓蔵です。
大宮八幡宮は、大宮町で、元々新町から別れました。
参道の右側が大宮町です。
新町太鼓蔵は、平成19年に祭り三日前に火事で太鼓もろとも焼失しました。
平成21年に蔵と太鼓を再建しました。
おっしゃる通り城跡の横手です。
大宮八幡宮の太鼓奉納順序は、一番明石町、二番新町となっています。
しかし境内での据える場所は、本殿に一番近く新町が据えます、その後ろが明石町です。
宮入り順と違うのは、なぜかわかりません。
ちなみに、滑原町太鼓蔵は、唯一城跡にあります。
というか、城内稲荷の境内に太鼓蔵がありますが、稲荷は天正時代、太鼓蔵は明治時代の建設です。
それ以前は、商店街の中にありました。
重ね重ねの情報ありがとうございます。
ブログに掲載されている、唐破風屋根太鼓台の写真をシェアさせていただいてもよろしいでしょうか?