本と映画とわたしと

感想です。

『石田徹也』とわたし。

2014-11-04 | 日記
石田徹也を知ったのは、
テレビ番組NHKの新日曜美術館。

代表作である「飛べなくなった人」を見て、
衝撃を受けた。
「この人が気持ちわかる」と感じた。

非現実的な絵で、
不気味にリアリティがある。
それでいてなんとなくかわいらしい。

『兵士』という絵は、
サラリーマンが、足を負傷し、
黒い傘をまるで機関銃のように持ち、
ビルに身を隠している。

彼の唯一の武器は傘。
危険が身に迫ったとしても
傘で殴りかかったりはしないと私は思う。
自分が傷ついても他人を傷つけない。

身構えている姿がとても滑稽に見えるのは、
自分もこんな状況になったことがある気がするからだろう。

こんなふうに石田徹也の絵を見ていると、
自分がはっきりとさせてこなかった心の内を
見せられたかのような気になる。

放送の中で、絵を見ながら、
泣いている人がいた。
その姿を見た時に、私も涙が出そうになった。
「私も泣いていいのだ」

今まで私は、傷つくのはとても弱くダメな人間だからだと信じ、
痛みを他人に気付かれないように頑張ってきた。

私と同じように今の社会が生きづらいと思っている人が、
いるのだと知り、救われるようだった。

みんな頑張っている私も大丈夫。頑張れる。

なぜこのような気持ちになるのであろう。

石田徹也の絵は物と合体させたり、融合させたりしている。
私の好む絵ではない。

人間を物と合体させる絵に嫌悪感を覚えるのは、
残酷に、人間を物扱いする行為に思えるからだ。

それなのに、
石田徹也の絵を受け入れられるのは、
他人を物扱いしているのではなく、
自分を物扱いし、風刺しているからだと思う。

こんな生き方でいいはずないと、
わかっているんだけどね。
と笑ってごまかしたくなる。

学校、仕事、
毎日の生活での人間関係の希薄さに
どうしようもない孤独を感じることがある。
まるで、心を持たない物同士のようでやりきれない。
自分は物のようだ。
「めばえ」

どうすればいいのだろう。
「捜索」
自然に溶け込み生きていくのが、いいのか。

私が石田徹也の存在を知ったのは、
2013年(平成25年)の再放送。
若い人が描いた絵だと思った。

描かれている男の顔が若かったこともあるが、
そこに描かれている痛みは
私が若いころに感じていた苦痛だったからだ。

石田徹也は
すでに、2003年(平成15年)に31歳で亡くなっていた。
1973年(昭和48年)生まれなので、
私より2歳年下。

近い年齢なので、時代背景がわかる。
大勢の中でいないかのような私。
環境破壊、世紀末。
大量の物、大量のゴミが街にあふれていた。
視線を合わさずに生きていた気がする。
どこにも向かえずにいた。
無題

今だからはっきりとわかることだ。

テレビを視聴後、興味が湧いたので、
「石田徹也ノート」を読んだ。

石田は次のように言っている。

「僕の求めているのは、悩んでいる自分をみせびらかすことでなく、
それを笑いとばす、ユーモアのようなものなのだ。
ナンセンスへ近づくことだ。
他人の中にある自分という存在を意識すれば、
自分自身によって計られた重さは、意味がなくなる。
そうだ、僕は他人にとって、
10万人や20万人といった他数(ママ)の中の一人でしかないのだ!
そのことに、落胆するのでなく、軽さを感じること。
それがユーモアだ。」(「石田徹也ノート」)

石田徹也が生きていたなら、
40代になっている。
きっと新しい世界を見せてくれたにちがいない。
新しい道をしめしてくれたにちがいない。

ユーモアに、
チャーミングに
社会の問題をアピールしていたのではないかと思う。
とても残念である。

石田徹也の最後の作品といわれている。