ラジオで末井昭さんが
「真面目でやさしい人が自殺していくような気がする。
こんなひどい世の中でも生き残っている僕みたいな人間は図々しい奴ではないかみたいな気持ちがある」と、
話されているのを聞き、本書を読みたいと思った。
私は自分が生き残っているのは、やさしくないからだと今まで思ってきた。
やさしい人が自殺をするのかどうわからないけれど、
心のある人は、他人は他人、自分は自分と、割りきれなくて追い詰められてしまうのかもしれない。
私はまだ生き残れているのが不思議な気もする。
本著は、自殺にまつわる自身の体験や自殺未遂をした人や自殺防止に関わる人々の
インタビューをもとにし、「頼むからちょっと死ぬのは待ってくれ」というスタンスで書かれているという。
末井昭さん自身は自殺をしようと思ったことはなく、お母様がダイナマイト自殺をされたことを売りにしていると、自分で笑いにされていたり、本当に正直な方なんだなあと感じる。
観光気分で被災地巡礼の話で、観光気分って堂々と言えることに驚いた。
気を使われながら巡っているとはいえ、不謹慎といわれかねないのに。本当に正直なのだ。
末井昭さんの人生は、借金、ギャンブル、不倫などあって、何度も脱落。
それにくらべると、相当真面目に生きている私なので、読んでいると、肩の力が抜けるようだった。
「笑える自殺の本」にしたかった末井昭さんの思いに沿って私は読んだようである。
というのも私はギャンブルは大嫌いだし、
下品な部分をさらけだされているのも
気分のいいものではないはずなのに、笑えた。
驚くほど素直に書かれているので、きれいごとを言ってないのが、伝わってきた。
私は今まで、自殺について、個々の事情をほとんど考えたことはない。
いじめ、借金、鬱、病気、齢をとり家族に迷惑をかけるからと自殺する人もいる。
私は幸せなことに、死ぬしかない状況に追いつめられなかっただけ。
『ひとりで悩んで、考えても問題は解決しない。
だから、まず「死のうと思っている」と
周囲に言いふらして窓を開けることです』
と、末井昭さんはいう。
そんなこと言われても私は「死にたい」なんて口に出せないだろう。
言えないけど、「死のうと思っている」人がいたら、言ってほしいと私も思う。
「死にたい」と言われたら、私はどう答えるだろうか考えた。
普段、自殺を語る時、よく聞く言葉、
「親が悲しむから死んだらいけない」
「生きたいのに生きられない人がいるのに」
「命を大切にしなくてはいけない」
とは、言えない。
自殺しようとする人にはよくわかっているはず。「希望はあるから」というのも違う気がする。
「大変だね」と話を聞くことしかしてあげられない。
助けられないかもしれない。でもそれが精一杯の気がする。
末井昭さんは、鬱で落ち込んだ時、ブログで日記を書いて、「読んでますよ」と言われて、閉ざされていた心の窓が開かれた感じになり、少し前向きな感じになれたという。
自殺をする人は、ひとりぼっちで、真っ暗な窓のない部屋に閉じこもっていて、もう出られない気持ちになるのではないだろうか。
私も暗い部屋に、入りこんでしまうことがある。何がきっかけで、窓を見つけることができるかよくわからないが、いつも窓を見つけられるから、生きてこられたのだろう。
窓だと思った所(人)が窓じゃなくて、よけい落ち込むこともあった。それはその人と縁がなかったのだと諦めた。
友達がいなくて、孤独でも暗闇から抜け出してきた。
私の窓は「時間」だったのだろう。
時間が窓を開けてくれると信じてきた。
いつになるかわからないけれど、窓が開くのを待った。
それを希望というのかもしれない。
自殺を考えている人がいたら、この本を読んで、窓があることを知ってほしい。窓を開けてほしい。
もっと自殺のことを話せるようになればいいと思う。
【追記】
2021年、このブログ記事を読み直した。
口に出せないと言っていた私が「死にたい」と声にだしてしまったと気づく。年をとり、
私の窓=「時間」が、なくなったからだと思う。
話したらよけいに苦しくなった。
真面目に受け取ってもらえなかったのか、「死にたい」といわれても困るからはぐらされたのか。周囲に言いふらすぐらい多くの人に言ったら楽になるのかもしれないけど、そうもいかない。
今はコロナ禍だから苦しいだけ、コロナが終わったら楽になるとコロナのせいにしたりしている。
まだ生きている。よくわからないけれどとにかく生きている。今夜生きられたら、あと10年生きられるかもしれないと私は知っている。
2014年11月7日に公開した記事ですが、部分修正、追記をして、2021年7月29日に再度公開しました。