原題 Rebel Without Cause
製作 1955年
公開 1955年10月26日(アメリカ) 1956年4月18日(日本)
監督 ニコライ・レイ
脚本 スチュワート・スターン、アーヴィング・シュルマン
原作 ニコライ・レイ
出演 ジェームズ・ディーン、ナタリー・ウッド、ジム・バッカス、アン・ドーラン
上映時間 111分
本作公開1か月前にジェームズ・ディーンは交通事故により死去する。24歳没。2021年の今生きていたら90歳である。早くに亡くなり永遠の青春スターになったが、年を重ねた姿も見たかった。かっこいいだけじゃなく、彼にしか表現できない繊細さと演技への情熱は、すばらしい作品を生み出しただろう。
自分の評価 ★★★☆☆ 3.0点
お家観賞
※【以下ネタばれあり】
ー写真は映画と関係ありません
10代のエネルギーと反抗心。
映画の彼らと同じ歳の頃、教師が「なぜ高校生がバイクに乗ったらいけないのか」という質問に「バイクで事故して死んだら悲しいからだ」と答えた。自分が死ぬなんて思わず暴走する若者がたくさんいる。大人とぶつかる理由なき反抗の時期があったことを思い出した。
同じ夜に補導された高校生3人。
ジム(ジェームズ・ディーン)は強い母親の言いなりになるふがいない父親に反抗し、ジュディ(ナタリーウッド)は大人扱いされ、かわいがってくれなくなった大好きな父親に反抗し、プレイトウ(サム・ミネオ)は離婚した両親が家に寄りつかず、家政婦に育てられ反抗する相手もいない。ジムもジュディも大丈夫、反抗期が過ぎれば落ち着いて、親との関係は修復できる。問題なのはプレイトウで、子犬を撃ち殺して注意を引こうとしても親は現れない。
根はいい子たち。
ジムと対立する不良たちも限度をわきまえていて、やりすぎない。ほほえましくさえある。ジムとバズ(ジュディの彼)の喧嘩はナイフで刺すと大けがをするので、皮膚の表面を切りつけあうだけというルールを決めた。決着をつけるためのチキンレースもケガがないように終わるはずだった。対戦前バズはジムに本音を吐いた。「おまえのことは好きだ。だがやらなきゃいけない」仲間や彼女の手前やらざるおえなかっただけなのだ。
集団になると周りで煽ったりそそのかしたり、やりすぎて悲劇が起こる。
ジュディがスターターを務め、スカートがなびきとてもかっこいいが感心しない。高揚感に飲まれ心配していない。アクシデントで車ごとバズが崖から落ち、死んでしまう。仲間や彼女の前でかっこよく威厳を保つため命を落とすなんてやりきれない。しかもみんなちりぢりに逃げてしまう。若者にとってこれまで生きてきたよりもはるかに長い人生がこの先あるのだからしかたないのかもしれない。命をかけても周りはそんなものなのだからチキンレースなんてしないことだ。
ジム、ジュディ、プレイトウで家族を作るけど、疑似家族はすぐ破綻しそうだった。
後半プレイトウが気になった。ジムとジュディに依存しはじめる。ジュディもジムに寄りかかっている。会ったばかりであまり知りもしないプレイトウを必死で助けようとするジムを見直した。悪ぶっているけれど、芯からよい人間なのだ。ジムだけはバズが死んだ責任をとろうとしていたし。ジムはわかっていただろう。乱暴者と言われる不良グループよりも銃を撃つプレイトウのほうがよっぽど問題があった。救おうとした。プレイトウを落ち着かせようとするジムは本当にやさしかった。それなのに助けられなかった。
ジムは父の和解できたのはよかったが、友人の死はあまり大きい代償だ。
ジムはプレイトウの銃に弾は入っていないから大丈夫だと伝えようとしたのに話を聞いてもらえなかった。家族に対する反抗は解決に向ったとしても、世間に対し反抗する理由を持ってしまったのかもしれない。単なる青春映画ではなく、深く考えたくなるのはジェームズ・ディーンの演技が繊細だからである。