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感想です。

映画『かぐや姫の物語』生きるって大変だな。

2015-05-10 | 映画
(ネタばれあり)

テレビ放送で視聴した。
作画の素晴らしさは、
大スクリーンで観なければ、充分感じられないのだろうし、
私はアニメ制作に詳しくないので、
すごさを感じとれなかったと思うので、
絵については何も言うまい。

ただ、描かれたキャラクターについては、
どうしても言いたい。
みんなふつうだったらよかったのに。

1人だけタッチが違う女童に気が散ったり(かわいいけどね)
帝の顎が長いのがあんまりにも露骨な気がしたり(不快になるように仕向けられているような)
捨丸兄ちゃんの奥さんにも思うところがあり(いい人そうだけど、もう少しかわいくてもよかったのでは)
いろいろ気になった。

それでも観終わった時、
このアニメ映画は大切なことを教えようとしていると感じた。

辛いことや悲しいことどうにもならないこともあるけど、
愛し愛され、命のあふれる地球上には、生きる喜びがある。

なのに、なぜ感動できなかったのだろう。

天人が迎えに来るときの音楽が、
悲しさを盛り上げるどころか、
あまりに陽気で、反対に気持ちが醒めてしまったからか。

いや、私は冒頭ですでに?がついた。

おじいさんが、竹やぶでみつけた赤ん坊を連れて帰る。
家の中で、おじいさんとおばあさんが
赤ん坊を取り合うところで、
人間の嫌なところを見せられた感じがした。

かぐや姫のおじいさんとおばあさんは、
いいおじいさんとおばあさんでいてほしかった。
(絵本のかぐや姫のイメージが強いためだろう)

幼少時代のたけのこ(かぐや姫の幼少名)は、
山での暮らしは、仲間もでき、楽しそう。
中でも捨丸兄ちゃんは、ステキで、
たけのこが好きになるだろうなと予感する。

原作にない捨丸という恋愛対象が登場に
私は心配になってしまった。
捨丸が入り込む余地のある話だっただろうか?

同じく原作にない山での暮らしが描かれているのは、
日本の野山の美しさとの中で、
楽しくのびのびと過ごす子ども時代を描くことで、
後の話と対比させるためだとわかった。

思っていたとおり、
山を離れ都に移り住んでからの姫は、
お作法を学んだり、嫌いなこともしなければいけなくなる。

おじいさんは、姫のことを本当に大切に想っている。
だからこそやっかいで、
姫もおじいさんの愛情をわかっているから、
自分の思うように行動できない。
よくわかって、せつない。

姫ののぞまない方へ進んでいき、見ていてつらかった。

それでも
突然、都に立つとおじいさんに告げられた時、
捨丸たちに挨拶だけでもしたいと、
たけのこ(姫)が頼めば、
何か変わったかもしれない。

都で偶然、たけのこ(姫)と捨丸が
再会した時、
捨丸が殴られるのをたけのこが助けてやれば
何か変わったかもしれない。

人生というものは
後から考えると、
あの時ああすれば違っていたのかもしれないと
思うことが多い。

映画を観ていて、
「もう遅いのか、取り返しがつかないのか」
と何度も思わされる。

さらに、キャッチコピーの
「姫の犯した罪と罰」が、頭から離れず、
姫がかわいそうな状況になるたびに、
これが罰なのか、またこれも罰なのかと考え、
姫が自由になれない状態を見ているのが、本当につらい。

生きることは、
きれいでやさしいことばかりではない。
罪も背負わなくてはいけないのだろう。
自分のために、秘法をさがしている最中死んだ貴族のことを知り、
自分のせいだと悲しむ姫。

姫のせいではなくても姫のせい。
生きるって大変だ。

そして、極めつけには、
帝に後ろから抱きつかれる。
嫌なことだらけだ。
私も見ていてびっくりした。
そりゃあ嫌だよね。身の毛がよだつ。

でもそれで月に助けを求めるって、どうなのだろう。
おばあさんにも、力になってもらえないのだとしたら、
本当に姫はかわいそう。かわいそすぎる。

アニメなのに…きつい話だなあ。

この時点では、姫は自分で幸せになろうと動いていないし、
八方ふさがりの状態ではないので、
月に助けを求めるのが早すぎというか、唐突な気もした。

かぐや姫の思うようには一向にならない。
姫が疾走するシーンはそんな思いが強く感じられて、
せつなかった。

そして、さらにひどい話が待ち受けていた。

山での捨丸との再会(夢?)。
好きな人は結婚をし、子どももいる。
「ああもうなにもかももう遅いのだ」
捨丸と姫が飛ぶ様子も不倫にしか見えない私は、
ステキだとは思えない。
絶望的にさせるために捨丸は必要だったのか。

このために捨丸の登場が必要だったのかと納得(納得したくないが)。
なんてひどい話だろう。

姫の想いを考えたら、
捨丸との思い出が忘れられず苦しい。一緒になれないなら
月へ帰りたいと月に助けを求めるというロマンチックな展開なら、
私は涙を流した(かもしれない)

観賞後、
このアニメ映画をどう理解すればいいのかわからなかったので、
原作を読んだ。

「竹取物語」(川端康成訳)。
こちらのほうが好きだ。泣けた。
3年もの間、姫と帝が手紙をやり取りして、
心を通わせる。
救われる気がした。
美しい話を作ってあるのだから当然ではあるが。

感動できないわけがわかった。
原作より、『かぐや姫の物語』の方が現実的だったから、
私は受け入れられなかった。

『かぐや姫の物語』は、原作より残酷なのだ。

この映画を観て、
私はアニメにファンタジーを求めていたんだと気がついた。

月に帰ると一切を忘れてしまう。
忘れてしまうことが、
いちばん楽だけれど、
いちばんの哀しみにもなる。

忘れてしまうことは無になることではない。
姫が生きていたことは、
過去のたくさんの想い(生命)や
今あるたくさん想い(生命)と、確かに繋がっている。
未来にも繋がっていく想い(生命)があるにちがいない。
月に返るシーンで、姫の人生がフラッシュパックした。

それなのに、
天人が迎えに来るときに流れてくる楽しげな音楽は、
悲しむことさえさせてくれない。

私はまだまだ悟りきれないと思ったアニメだった。

捨丸の心に姫は生き、
捨丸は幸せに暮らすんだろう。
人生はそんなものなのかな。