昭和40年代までの薬師寺は東塔のみが創建当時の姿を残し広大な境内は寂寞としていた。昭和42年高田好胤が管主に就任し、
長年の悲願であった金堂の復興を発願する。計画を知った企業から寄進の申し出もあったが、高田好胤はそれを固辞、百万巻の写経を集め
その納経料でまかなうことにした。この計画を、多くの人は無謀だとあざ笑った。しかし熱心な活動により写経は百万巻を達成、昭和51年金堂が
復興、昭和56年西塔を再建、高田好胤亡き(平成10年)あとも事業は続けられ、写経が700万巻を超えた平成15年、世界最大級の木造建築
大講堂が落慶した。現在 創建当時の姿を見る事が出来る白鳳伽藍は、復興事業にかける情熱と、多くの人々による写経勧進の結晶である。
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