バラ園、ゴルフ練習場、食事処、薬草風呂等と併設して経営しているが、聖武天皇の勅命で
多くの寺宝をもつ天平の古刹である。昨日は平日でもあり、バラ(5月中旬~11月)の季節でなかったので
境内は訪れる人も少なく静かであった。
時間も遅かったので境内でお会いしたのはこの3人の方だけでした。
バラ園、ゴルフ練習場、食事処、薬草風呂等と併設して経営しているが、聖武天皇の勅命で
多くの寺宝をもつ天平の古刹である。昨日は平日でもあり、バラ(5月中旬~11月)の季節でなかったので
境内は訪れる人も少なく静かであった。
時間も遅かったので境内でお会いしたのはこの3人の方だけでした。
昨日早起きして(自分としては)自宅6時30分出発、月ヶ瀬梅林に8時につきました。
湖畔の白梅は見ごろが過ぎておりましが山はまだ見ごろは先のようです。
今後の撮影の為、宇陀市の戒場、安田、本郷(又兵衛桜)、石田を回り帰宅しました。
本日の走行距離160km いつも奈良市内ばかり走っていますので疲れました。
南都七大寺の一つで東大寺、西大寺と並んで南大寺とよばれるほど壮大な伽藍を誇っていた。
しかし平安時代に火災や落雷により又鎌倉時代以降次第に衰退し現在の境内は、かなり手狭に
なっている。
本堂、嘶堂,讃迎殿の仏像はすべて奈良時代末期に作られた木造一本造りである。
現在ではガン封じの寺として名高い。
西大寺は称徳天皇(独身の女帝)の指揮により建立された。
称徳天皇は東大寺を建立した聖武天皇と光明皇后の娘である。
近鉄、大和西大寺駅より徒歩4~5分の大きな寺院であり境内は広びろとしている。
「昔、男ありけり」ではじまる「伊勢物語」その主人公のモデルと云われている平安初期の貴公子、藤原業平。
業平は京都に遷都した桓武天皇の次の平城天皇の孫である。業平が晩年月見をしている時に詠まれた歌碑が
境内にある。
私はたいていの人が言うように月の美しさを誉めたくない、それはこの月が積もり重なって人は年をとって
しまうからである。