聖武天皇が平城京の鬼門を守る為、塔を建てのが寺の起こりであり
平安時代は学問寺として多くの学僧を集め栄えました。
般若寺の水仙が 今見頃です2月中旬まで見られるそうです。
聖武天皇が平城京の鬼門を守る為、塔を建てのが寺の起こりであり
平安時代は学問寺として多くの学僧を集め栄えました。
般若寺の水仙が 今見頃です2月中旬まで見られるそうです。
1月24日 午後6時15分花火が打ち上げられ、6時30分若草山に
点火されました。
当初、平城宮朱雀門で撮影する予定でしたが、知人が大極殿で撮ろうと
場所を教えてくれました。この場所は初めてです。
狭い所に30名ほどのカメラマンが来ましたので、一度構えたら、そこから
動くのはなかなか困難でした。
この場所からは若草山の上の方の焼けるのはよく見えませんでした。
(上のほうはよく焼けなかったのでしょうか)
写真は合成しております。
平城京は約70年間 都として栄えたが 長岡京、平安京遷都後は
宮跡は田畑と化し、忘れ去られていきました。
1922年(大正11年)京跡の中心部が国の史跡に指定された。
それから約100年の今 縦、横約1キロの広大な広場の京跡を
見る事が出来るようになりました。
これから100年後の人々は、どのような平城京跡を見る頃が出来るのでしょうか、
写真は昨日(18日)平城京跡 朱雀門の夕景です
五條新町が生まれたのは、今から約400年まえ、江戸幕府が
成立した頃、城下町として造られました。
江戸初期、幕府の天領となり、紀州街道に沿う宿場町として
また交通の要所として栄えました。
重要伝統的建造物群保存地区であり、江戸時代に建てられた
町屋の占める割合の高い、全国屈指の町並みである。
国の重要無形民俗文化財の鬼走りが14日午後9時より
行われました。
父鬼、母鬼、子鬼が約60㎏の松明を持ち堂内を回る
陀々堂の鬼走りは室町時代から受け継がれている
除災、招福の火祭りです。
午後7時30分より行われた紫灯護摩供