30日 薬師寺 不動堂前で柴燈大護摩が行われました。
不退寺は在原業平ゆかりの寺である。
都が京都に移ったのち、平城上皇は都を再び奈良に戻す事を
画策したが成らず、この地に「萱の御所」を営んで余生を送られた。
上皇の崩御ののち、その孫の在原業平に受け継がれ、ここを
寺にしたのだという。
平安時代初期の貴公児である業平は 「むかし男ありけり」 から始まる
伊勢物語の主人公といわれている。
海龍王寺が建立されたのは、第八次遣唐使として唐に渡っていた玄が、
経典 五千余巻と新しい仏法を無事に我が国にもたらす事を願った事と
平城宮の鬼門を護る事でありました。
訪れた時は雪柳の花はちょうど みごろを迎えようとしていました。
名張川が刻む雄大なV字谷の両岸に見事な梅林が見られるのが月ヶ瀬梅林である。
江戸時代には約10万本の梅の木が成育され、渓谷一面、ウメで埋め尽くされた
ようであるが、昭和44年下流に高山ダムが建設され渓谷は水没しました。
しかし梅林の植え替えや造成によりダム湖を通しての現在のすばらしい景観を
つくりだしている
梅林を世間に知らしめたのは、この地を訪れた多くの文人墨客たちであり
近世では頼山陽、松尾芭蕉、山岡鉄舟、近代では伊藤博文、福沢諭吉、井上馨らである。
きかくろうという宿には彼らの残した書画があり、3月1日~3月31日まで公開されている。