
その昔、労働組合の機関紙の編集をしていたことがあった。毎週水曜日発行で2年間×2で、延べ4年間殆ど毎週発行していた。編集委員とは名ばかりで、殆ど一人で編集していた。メイン記事の内容は責任者が書いたものを校正しながら、編集していた。機関紙の編集には「ハラキリ」「泣き別れ」等のレイアウト上の禁則処理があったが、ついつい急いで作成するとやってしまったこともしばしば。それが、印刷してから気付くことが多かった。ところで、ブログというものは禁則処理があるのかな?とふと思ったりした。レイアウトは殆ど決まりきっているから無いのだろう。当時、良く言われたのは「見出しが勝負」といわれた。東スポを見る限り、このことが一番重要であると思う。だから、手書き+ワープロで作成している時は、見出しだけは手書きでやっていたりした。手書きの方が柔らかなインパクトがあったような気がする。パソコン化してからは、ある程度、字体が決まっているので、よほどのインパクトがある言葉を並べなくてはいけない。しかし、機関紙クラスではそれをやりすぎれば、うそつきな紙面に近づいてしまう。確かにブログの見出しも、時事にあったものにすればランキングアップするようだが、あくまでもブログなんで、そこまでは考えないようにした。その昔、春闘妥結の金額のコンマの位置を間違えたまま5,000円(正)→50,00円(誤)で見出しを間違ったまま発行したころもあったなぁ。
春闘時は毎日妥結まで、A4版でありながら毎日発行していた。サービス残業問題、パワハラ問題等のダブルスタンダードの狭間で苦しむのは末端の組合員である。ある程度のポストについた役員は外郭団体へ再就職できるスキームがある。そう、それは階級闘争をしていた時代は一番嫌っていた上流組織構成員になることが、日常茶飯事となっている。今、労使協議の環境がある組織は、就業規則もきちんとしているところが殆どだと思う。バブルが弾けた時点で、賃金闘争から条件闘争に政策転換をした方が、結果論ではあるが、非正規社員組織化、底辺拡大を図ることが出来たのではと思う。上部ポストに就くほど勘違いしやすい。いや、麻痺なのか。ま、いいかそんなこと。人間出来ることしかできないのだから。そして、分岐点に差し掛かったら、進める道しか人間は選ばないものだと。