毎年の如く、慌しい夏休みが終わった。殆どは墓参りで終わってしまうのであるが。今年はちょっと複雑な気持ちで先祖を供養した。311という、表と裏の線を経験した年であるから。
思いがけない身近な者の死を、通り過ぎていくただの悲しみとは片付けられない。しかし、受け止めなければならない事実でもある。第三者が呟いたり、書いたりすること容易い。でも、経験したことが無い者は、どんなに哀れむ思いが重くとも、それしかできないことも事実である。急ぐ馬、ゆっくり歩く牛自体、要らない方々も多いと思われる。311以降、時々「死」とは何か?と考えることが多くなったような気がする。別に死にたいくらい嫌なこと、つまらないことがあるわけでないが。
自殺──生き残りの証言 - 矢貫隆(著) を読んでみた。
いわゆる未遂に終わった人たちのインタビューから「自殺」へのきっかけ、未遂後の心境等が短めではあるが細かに書かれていた。細かさは読み手の感受性にも左右されると思うが。世の中、救急医療センターに運ばれてくる患者は事故、自傷といるらしいが、計算的に自分の命を絶とうとして助かる患者の生存率は高いとのこと。そして、「本気で死のうと思った人」「本気で死のうと思わなかった人」ともに、「楽になりたい」という気持ちから、自死という事柄が目に入ってしまっていたということも、この本を読んでわかった。20数人のインタビューであったが、殆どの人は未遂したことによって、対人関係、仕事で疲れ果てて、神経的に異常な状態にあった自分と決別できたとのコメントが多くてびっくりもした。確かに死は、物質的な死「肉体」と精神的な死「記憶」の二種類あると思う。後者は「浮かばれない」というコトバで片付けられる。身近な人の記憶からなくなってしまうことが本当の「死」なのかも知れない。それは一種の事実の「受け入れ」であるとも思われる。受け入れは他者が感じることであり、当然、無理に人に悲しみと憂いを振りまき、自分の快楽のために命を軽んじてはいけないものだなあ、と強く感じた。ところで、実家の墓を掃除していた時の話、「ここ、○○サん→ウチの父、のお墓ですよね、私生前はお世話になりました。亡くなってから何年たちましたっけ?」というご婦人が現れた。たまたまウチのオヤジは用事があって掃除には来ていなかったのだが、ウチのオヤジは生きている。
オフクロは、「亭主はまだ死んでいません。今日は所要できていないだけです。」とやんわりと返した。そのご婦人は「失礼しました。誰かと勘違いしていました。」と。でも、アンタ、オヤジの名前ちゃんと言ったでしょ!
そそくさと、そのご婦人は墓を後にした。そのあとで「父さん、きっと長生きするな!」とオフクロが言ったが、「あのわがままで、長生きされても困るんだよな!」とオレの一言で笑って墓から家に向かった。一つ、気になったのはそのご婦人というのは、自分もその墓で初めて見た人で、オフクロも嫁に来てから今まで一度も会話もしたことがなく見たことがなかったということ。もしかして連れに馬に乗って来た何かなのか、牛に乗せようとする何かなのだったのか((;゜Д゜)ガクガクブルブル !!
思いがけない身近な者の死を、通り過ぎていくただの悲しみとは片付けられない。しかし、受け止めなければならない事実でもある。第三者が呟いたり、書いたりすること容易い。でも、経験したことが無い者は、どんなに哀れむ思いが重くとも、それしかできないことも事実である。急ぐ馬、ゆっくり歩く牛自体、要らない方々も多いと思われる。311以降、時々「死」とは何か?と考えることが多くなったような気がする。別に死にたいくらい嫌なこと、つまらないことがあるわけでないが。
自殺──生き残りの証言 - 矢貫隆(著) を読んでみた。
いわゆる未遂に終わった人たちのインタビューから「自殺」へのきっかけ、未遂後の心境等が短めではあるが細かに書かれていた。細かさは読み手の感受性にも左右されると思うが。世の中、救急医療センターに運ばれてくる患者は事故、自傷といるらしいが、計算的に自分の命を絶とうとして助かる患者の生存率は高いとのこと。そして、「本気で死のうと思った人」「本気で死のうと思わなかった人」ともに、「楽になりたい」という気持ちから、自死という事柄が目に入ってしまっていたということも、この本を読んでわかった。20数人のインタビューであったが、殆どの人は未遂したことによって、対人関係、仕事で疲れ果てて、神経的に異常な状態にあった自分と決別できたとのコメントが多くてびっくりもした。確かに死は、物質的な死「肉体」と精神的な死「記憶」の二種類あると思う。後者は「浮かばれない」というコトバで片付けられる。身近な人の記憶からなくなってしまうことが本当の「死」なのかも知れない。それは一種の事実の「受け入れ」であるとも思われる。受け入れは他者が感じることであり、当然、無理に人に悲しみと憂いを振りまき、自分の快楽のために命を軽んじてはいけないものだなあ、と強く感じた。ところで、実家の墓を掃除していた時の話、「ここ、○○サん→ウチの父、のお墓ですよね、私生前はお世話になりました。亡くなってから何年たちましたっけ?」というご婦人が現れた。たまたまウチのオヤジは用事があって掃除には来ていなかったのだが、ウチのオヤジは生きている。
オフクロは、「亭主はまだ死んでいません。今日は所要できていないだけです。」とやんわりと返した。そのご婦人は「失礼しました。誰かと勘違いしていました。」と。でも、アンタ、オヤジの名前ちゃんと言ったでしょ!
そそくさと、そのご婦人は墓を後にした。そのあとで「父さん、きっと長生きするな!」とオフクロが言ったが、「あのわがままで、長生きされても困るんだよな!」とオレの一言で笑って墓から家に向かった。一つ、気になったのはそのご婦人というのは、自分もその墓で初めて見た人で、オフクロも嫁に来てから今まで一度も会話もしたことがなく見たことがなかったということ。もしかして連れに馬に乗って来た何かなのか、牛に乗せようとする何かなのだったのか((;゜Д゜)ガクガクブルブル !!