1944年から1945年にかけて大牟田は5回の空襲を受けました。市街地も対象とした無差別爆撃でした。このため学生や子供、一般市民も爆撃の犠牲になりました。大牟田市役所の屋上には厚いコンクリートでできた防空監視所が残っています。監視所の中には人が入り伝声管で階下の対策室に侵入する飛行機の数や方向を伝えていたそうです。
高射砲陣地は三井の石炭コンビナート工場群を見晴らす丘の上にあります。この丘にあり陣地に隣接した三井三池染料工場検査課に直撃弾が落ち、6人の女子学徒を含む29名が殉職されました。昭和20年8月7日正午のことです。大牟田でも戦争を体験した人が少なくなりました。私も次の世代に語り継いでいこうと思っています。やはり平和がいいですね。