蓮の花だより・・・不定期便

季節のうつり変わりと花の香りを求めて、筑後地方を中心に紹介して行きたいと思います。

NHKの番組で採用されました。

2018-11-30 00:12:46 | 日記


10/27に撮った写真をNHK福岡放送局の『ろくいち!福岡』へ11/3の午前中の集配に間に合うように送りました。この写真が採用されるかどうかは分かりませんでしたが匿名希望と書いて担当者係へ。
この平凡な写真が11/5夕方の気象予報の時間に大牟田市の視聴者と出たのでビックリしました。大勢の投稿者の中から、まさか自分の撮った写真が番組の中で採用されるとは思ってもみませんでした。総合TV、NHK福岡放送局の夕方のローカル放送を見ている県内のブログ友には『ロクいち!福岡』へ写真を送った事をメールで伝えていました。
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紅葉を求めて・・・秋月

2018-11-27 00:22:39 | 日記


















11/23 秋月に行って来ました。この前日の夕方、TVのローカルニュースで秋月の事が報道されていたので紅葉見物に来た人達が多かったです。行きは西鉄久留米駅から甘木線に乗り換えて甘木駅まで、そこから少し先の第三セクターの甘木駅から秋月行のバスで現地へ向かいましたが、途中から渋滞に巻き込まれ眼鏡橋のズーット手前で降ろされました。秋月のメイン通りである「杉の馬場」は人の波で歩けない状態の混み具合で蹴飛ばしてたい気持ちでした。黒門では真っ赤に染まった紅葉を何とか撮ることができましたが、ここでも人が多かったので石段の下からも黒門を撮りました。
帰りは身体が疲れていたので博物館前からバスに乗り甘木駅まで行きました。そこから第三セクターの甘木線で小郡駅までレール列車に乗りましたが、乗り心地はマアマアでした。甘木線の近くにある西鉄小郡駅からは急行に乗り、久留米駅で特急に乗り換えて大牟田まで帰る事ができました。
この日、歩いた歩数は10,000歩に近かったです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<おまけ>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






駅から降りて、そう遠くないところにあるホテルのイルミネーションを撮りました。
イルミネーションを見ると今年もあと1ヶ月余りで終わりますね。
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紅葉を追って・・・竈門神社(大宰府)

2018-11-24 01:06:00 | 日記




















11/18 大宰府の竈門神社へ行って来ました。竈神社は紅葉の見頃で大勢の人が見えていました。またこの日は「まほろば号」というコミュニティバスが臨時便として内山まで出ていました。

竈門神社は1350年以上の長い歴史を持つ神社で、大宰府政庁の鬼門除けの祭祀が行われたことから、方除け、厄除けの神様として信仰されてきました。男女の良縁をはじめ、家族、友人、仕事などとも縁を結んでくれる縁結び神社として有名です。
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平和公園

2018-11-21 01:47:37 | 日記






















原爆ドームを後にして行ったのは平和記念資料館です。ここでは写真撮影は禁止されています。資料館には熱風で溶けた瓦やボロボロになった衣服など、原爆の悲惨さを伝える資料が展示されていました。けれど写真はとても見ておれないくらいにショックを受けました。
平和記念資料館を出て、お隣の平和公園に向かいました。
原爆の子のモデルは佐々木偵子さんです。この像は佐々木さんの同級生らによる募金運動で作られました。

佐々木偵子さんは2歳の時に広島市に投下された原子爆弾によって、被爆地から1.7㎞の自宅で被爆しました。黒い雨にも打たれましたが、元気に成長しました。小学校6年生の秋に身体の不調が出て広島原爆病院に入院し治療を受けていましたが1年後に白血病で亡くなりました。12歳でした。
彼女は病院では千羽鶴を折れば元気になると信じて薬の包み紙のセロファンなどでツルを折りました。

この話をもとに「千羽鶴」の映画が製作され、小学校5年生&6年生の時に学校から映画館に連れて行って頂き、映画を鑑賞した事を覚えています。
もう戦争は嫌ですね。罪もない人々が一発の原子爆弾でこの世から一瞬にして消えた人もいますし、今も被爆してその後遺症に苦しんいる人もいます。
今度の広島への旅で平和のありがたさをつくづく感じました。
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原爆ドーム

2018-11-18 01:15:31 | 日記


















前回の続きです。縮景園から原爆ドームの方に行きました。
原爆ドームは広島県の物産の改良増進を図り、産業の発展に貢献する目的で大正4年に建設された広島県物産陳列館で、チェコの建築家ヤン・レツルが設計したものです。
原爆は1945年8/6 8:15に広島に落とされました。
建物は原爆の爆心地から北西約160mの至近距離にあり、熱線と爆風を浴びて大破、全焼しました。しかし、爆風が上方からほとんど垂直に働いたため、ドームの中心部は奇跡的に倒壊を免れたと考えられています。
『原爆ドーム』という呼び名は、建物の頂上天蓋の残骸が傘状になっている姿から「いつ、ころからともなく、市民の間から誰という事もなく自然に言い出された」と言われています。
原爆ドームは核兵器による惨状をそのままの形で今に伝える世界で唯一の建造物であり核兵器廃絶と恒久平和の大切さを訴える他に例をみない平和記念碑であることが評価され、1996年、文化遺産に登録されました。
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