蓮の花だより・・・不定期便

季節のうつり変わりと花の香りを求めて、筑後地方を中心に紹介して行きたいと思います。

御花のさげもん

2015-01-29 11:40:53 | 日記


















前回の続きです。川下りの終点は沖の端で近くには立花藩の別邸、御花があります。
帰りの時間が少し早かったので御花のさげもんを見る事にしました。御花に飾ってあるさげもんは古くからあるもので歴史を感じさせます。そしてひな壇の下には、可愛いお人形もたくさん飾ってありました。
『さげもんの由来』は江戸時代の末期頃より、女の子が生まれると初節句のお祝いに、おひな様の代わりに古着の端切れで小物を作り、飾ってお祝いしたのが始まりと言われています。
さげもんはひとつひとつの小物に縁起が良いものが使われており、数も決まっています。人生50年と言われていた時代に1年でも長生きしてもらいたいという親の願いが込められているそうです。
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柳川の川下り

2015-01-27 00:12:53 | 日記




















1/18に約3年ぶりに川下りをしました。ちょうど今の季節は冬の期間限定の「こたつ舟」が運航しています。どんこ舟に火鉢を入れたこたつを乗せ、ぽかぽか温まりながら船頭さんのガイドや舟歌を聞きながら約4kmの堀割を1時間10分かけて巡ります。
堀割沿いには北原白秋が書いた童謡の歌碑が見られますし、明治後期に建てられた赤レンガの倉庫「並倉」・平瓦を敷き詰めた白いなまこ壁は柳川を象徴する風景です。
柳川からは大関琴奨菊も出ていますし、歌手も出ていると船頭さんから教えて頂きました。また最近は韓国からの観光客が川下りを楽しんでいるそうです。

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諏訪川に野鳥の姿を見ました。(大牟田市)

2015-01-24 00:20:12 | 日記














1/16のお昼過ぎに母校である小学校の裏を流れている諏訪川に行って見ました。半世紀以上経って訪れた川の周辺はすっかり変わっていました。懐かしい母校は廃校となり、お隣の小学校と合併して学校名も変わっていましたが校舎だけは残っていました。
この諏訪川に野鳥がいる事を耳にし出掛けましたが、誰もこの川に野鳥がいる事を信じてはくれませんでした。本当かどうかを確かめるためにバスに乗って現場に行って見ると、遠くにたくさんの鳥の姿が見えました。バス通りの橋の上にジーット立って鳥を見ている予定でしたが不審者と思われるので次に架っている橋まで歩き、その近辺で長時間にわたり野鳥の姿を撮りました。
陽も暮れかかったので帰りの途に着きましたが、バスの便が悪くなっているので時代の変化を感じました。
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柳川の街の散策・・・・・三柱神社まで

2015-01-21 16:16:14 | 日記
















連休初日の夕方、何となく柳川の川堀を歩きたくなり午後4時過ぎの電車で柳川へ行きました。
何回か柳川には行っていますが見知らぬ街をテクテクと歩くのはとても不安でしたし、三柱神社へ行く道順もわかりませんでした。途中で出会った川下り会社の人が、三柱神社へ行く道を親切に教えて頂いたので助かりました。

三柱神社の名は、柳川藩初代藩主、立花宗重と妻ぎん千代姫君、岳父戸次道雪公の三者が祀られていることによります。藩の造営により1826年に完成しました。当時の建物は本殿と社務所とがあり、境内には幕末の横綱雲竜久吉が寄進した灯篭も見られます。
春は桜の名所として花見客で賑わい、「おにぎえ」と呼ばれる秋の大祭は柳川地域最大級の祭で県指定無形民俗文化財の囃子「どろつくどん」もこの時に奉納されます。

三柱神社を後にした時間は日もとっくに暮れていました。川堀にはライトの光が川縁に映っていてとてもきれいでした。
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三池の裏通りを歩いて(大牟田市)

2015-01-18 11:23:15 | 日記














連休前の週末に三池の裏通りを歩いてみると、いろんな建物が目に付きました。もう誰も住んでいない廃屋や今も営業をしている老舗の食べ物屋さんなどがあります。

三池は、江戸時代時代には三池藩領の陣屋があったところです。現在、三池藩陣屋敷跡は三池小学校と西側の住宅地が成っており当時の「大手門の石段」が小学校の南西角に有り、昔を偲ばせます。南側には「陣屋眼鏡橋」が架っています。そして陣屋の周りは幅2m程度の掘割がめぐっています。

※三池の裏通りは道が狭くて行き止まりが多く、道のある方を探しながら写真を撮って歩きました。
 
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