1/16に韋駄天こと金栗四三の故郷、和水町へ行って来ました。
日本マラソンの父と言われる金栗四三は、日本人初のオリンピック代表選手としてストックホルム、アントワープ、パリのマラソン競技に出場し世界への扉を開きました。国内ではマラソンだけでなく、陸上競技や女性のスポーツへの参加、進出に大きく尽力し、日本スポーツの国際化にも大きな貢献をしました。
金栗四三や十種競技の野口源三郎らが原案を考えた箱根駅伝は現在も多くの人々に支持され、学生ランナーの憧れとなっています。
生家記念館の近くにはたくさんの案山子が見られました。それも人、そっくりに作ってあったのには驚きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<おまけ>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
金栗四三ミュージアムにも寄ってきましたが、四三がオリンピック時に着用したユニホームなどの遺品は写真撮影禁止になっていました。
写真撮影が許可されたのはマラソン足袋型のソファと彼が走っている姿の写真だけでした。
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