蓮の花だより・・・不定期便

季節のうつり変わりと花の香りを求めて、筑後地方を中心に紹介して行きたいと思います。

石炭産業科学館

2015-07-15 11:42:04 | 日記
























7/4に3年ぶりに石炭産業科学館に行ってきました。
一時は、全国の石炭の4分の1を掘り出していた日本最大の炭鉱:三池炭鉱です。その輝かしい歴史を後世に伝えるために開館したのが「大牟田市 石炭産業科学館」です。石炭産業科学館では炭鉱の街として栄えた大牟田の歴史や炭鉱技術のあゆみ、石炭の活躍の幅広さを時代を振り返りながら学ぶ事ができます。
映像ホールでは、大牟田の街の歴史を紹介する番組を上映しています。
コメント (20)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 博多祇園山笠 | トップ | 強風域を外れた三池港 »
最新の画像もっと見る

20 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
今日は (golfun)
2015-07-15 16:19:17
素晴らしい産業遺産が良く保存されていますね。
三池炭鉱は知名度の高い所ですね。
返信する
こんばんは☆ (ベル)
2015-07-15 20:12:22
調理の出来るストーブが懐かしい、使った事はないけど、
まだ子供の頃は見られましたよね。
もちろん、この臼型の練炭火鉢も、お世話になりましたね。
お豆さんを煮たり、お餅を焼いたりは、おばあちゃんちで、
経験したベルさんです(笑)
作業服のマネキンさん、男前過ぎですね(o^-^o)
返信する
golfunさんへ (蓮の花)
2015-07-15 20:19:02
こんばんは~
コメントありがとうございます。
万田坑も宮原坑も貴重な炭鉱の施設内が閉山後も
炭鉱の遺産が現存のままの状態で残っています。
今度「明治日本の産業遺産」としてユネスコに於いて
登録されたので関係者の皆さんは大変な喜びようです。
三池炭鉱は三池争議や炭塵爆発など暗いニュースが
多い時期もありました。
しかし石炭からは、色んな製品が作られて庶民の生活を
豊かにしています。
返信する
こんばんは (ヒューマン)
2015-07-15 20:23:12
昔は練炭火鉢で煮炊きをしていましたね
いま、練炭はどこかへ行ってしまったのでは(笑い)
石炭は貴重な資源でしたが、石油に主役が代わってしまいました
返信する
こんばんは~。 (筑前の国良裕)
2015-07-15 23:21:08
お互いに石炭で発展した町ですね。
故郷は山口だったので直接石炭を見る機会はなかったですね、黒いダイヤですね。
こちらでは、炭鉱の穴の影響で家が沈むらしいんですよ。
全国の1/3の出炭量は凄いですね。
返信する
おはようございます (imaipo)
2015-07-16 08:20:37
この蒸気機関車は年代物のようですね
練炭懐かしいたまにお袋に言われて火をおこしましたよ
また、小学校のストーブは達磨ストーブ(石炭)でした。
返信する
2,3回行きました (どんこ)
2015-07-16 08:44:43
荒尾の炭鉱館やステーションに比べ
規模が大きいですよね。
でも見学者は少ない状況でしたが
世界遺産になってからは少しは増えているのでしょうね。

周辺に大学も出来て、あの廃墟がなくなり
見違えるようになり、良かったですね。
返信する
ベルさんへ (蓮の花)
2015-07-16 13:31:55
こんにちは~
コメントありがとうございます。
ダルマストーブは幼稚園の頃園内に置いてあり
その上にお弁当を乗せて温めていました。
また練炭火鉢の上ではスルメイカやお餅を焼いて
食べていた懐かしい思い出がいっぱいです。
返信する
ヒューマンさんへ (蓮の花)
2015-07-16 13:43:00
こんにちは~
コメントありがとうございます。
練炭火鉢ではよく温め物をしたりお湯を沸かして
いましたね。
練炭は今も何処かで使われていると思いますが
行方はわかりません。
豆炭もよく湯たんぽ用に使っていた事を覚えて
いらっしゃいますか?
その歴史を踏んで石炭産業から石油の時代へと
主役が変って行きましたね。
返信する
筑前の国良裕さんへ (蓮の花)
2015-07-16 14:24:58
こんにちは~
コメントありがとうございます。
大牟田は石炭で栄えた街で一時は人口が21万人に
近かったです。
石炭が、国内産から外国産へと斜陽化が始まり出し
ついには閉山となりました。
地下の石炭層を縦横無人に掘り尽くしているので、
何時かは地盤沈下になる日が来ると思います。
返信する

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事