2/24の夕方、何時もの散歩道を歩いて公園の方に行って見ました。その途中で撮った写真ですが、春の兆しが直ぐそこに見えていました。この日はアオサギが堤防付近に上がっていて悠然としていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・<おまけ>・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌2/25 数年ぶりに宮浦石炭記念公園に行って見ました。ここにはとても高い煙突が建っています。
第二次世界大戦の末期において日本政府は国内の労働力不足を補うために中国大陸から中国人捕虜や住民などを強制的に連行しました。連行されてきた彼らは炭鉱や港湾・土木作業に従事させられ、過酷な労働や事故、病気などによって多くの人達が無念の死を遂げられました。三池炭鉱宮浦坑では574名が連行され、そのうち44名が亡くならたそうです。
こちらでも咲き出しました、暖かさを
感じます、今日は午後から天気模様が変わるようです。
でも給金が良かったようで、長崎の軍艦島の住まいや暮らしは、
あの時代にしては超文化的だったとか・・・
強制労働で連れて来られた人達は、やはり金銭的にも過酷だったのかなぁ~(^^ゞ
廃坑になり 寂れてしまった街も
春の花を見ていると確実に春に向かっていますね
コメントありがとうございます。
菜の花があっちこっちで咲いているのを見るように
なりました。
黄色いお花は元気がでますね。
こちらでも夕方以降は雨が降る天気予報です。
コメントありがとうございます。
炭鉱労働者でも坑内下がりの給料は一般サラリーマンよりも
良かったようです。
子供の頃、私は買ってもらえなかった玩具類を従妹たちは
たくさん持っていましたから。
強制労働に駆り出された人たちの賃金はいくらか知りませんが
食事は、とてもひどいものだと聞いています。
筑豊にもそういう歴史があって ムグンファ堂というお墓にお参りしたことがあります。
偶々 こんな機会があったときは 読んで知ることは
大切だと思います。
菜の花はいいですね~
歌になります。。絵になります。
アオサギ君 考え事をしているようですね、
コメントありがとうございます。
炭鉱はドル箱と言った時代もありましたね。
今は廃坑になってさびれた街もあると聞いた事が
ありますよ。
コメントありがとうございます。
最近は寒暖の差が大きくて体調も崩しがちです。
菜の花を見ていると春はそこまで来ているようですね。
コメントありがとうございます。
筑豊炭鉱も同じように強制労働によって命をなくした人も
いるでしょうね。
ここ大牟田市内の炭鉱の中には慰霊碑と共に犠牲者の名前を
刻んだものが立っています。
菜の花は絵になりますし歌にもなりますね。
家の近くでは時々アオサギを見かけるように
なりました。