前回の続きです。三川坑で炭鉱電車を見た帰りに世界遺産である三池港の方へ廻りました。
三池港は福岡県大牟田市にある港湾で、管理者は福岡県です。港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されています。
遠浅で干満の差が大きい有明海は大型船の着岸ができる迄は、三池炭の搬出は大牟田川の河口から小舟で島原半島南端の口之津港まで運び、そこで大型船に積み替えられていました。
しかし出炭量が増えるにつれ、大牟田で直接大型船に積み込む事が出来るようにと港が必要になりました。築港工事は明治35年から始まり41年に竣工しました。工事費375万6900円、延べ人員262万人が工事に携わった大事業でした。
この工事の指揮を執ったのは三池炭鉱事務所長の團琢磨でした。琢磨は100年後も大牟田の産業基盤として使えるよう、将来の門扉取り替えに備えて予備のグリーンハートを海中に沈め保管しました。この閘門により、干潮時にもドック内を一定の水位に保つことが出来る様になり、ドック内で1万トン級の大型船による石炭積出しが可能となりました。
明治35年の築港から現在に至るまで100年以上経ちますが、閘門は現在も動いています。三池港は全国唯一の閘門を持つ港として歴史的にも重要な港です。
現役の港でありながら2015年7月に正式登録された明治日本の産業革命遺産、製鉄・製鋼、造船、石炭産業の23構成資産に含まれており、長崎造船所などとともに日本の稼働資産しては初の世界遺産登録となりました
大変だったでしょうね、費用、年数、かかわった延べ人数
今の金額に置き換えたら相当な金額ですね、
その苦労があって今でも稼働している素晴らしい事ですね。
そして今日の日本があるのでは
改めて歴史に触れたのは
もう随分前、第1回万田坑ガイド講座に参加した時です。
遠浅の海岸に港を構築して先人の偉業に
頭が下がる思いがしました。
三井港倶楽部や新大牟田駅に團琢磨の彫像が建っていますよね。
コメントありがとうございます。
遠浅で干満の差が大きいので大きな船を入港させる工事には
莫大な費用と沢山の人夫達が携わったのでしょう!
大牟田市の先の事を見通して、この工事の指揮を執った
團琢磨さんは素晴らしい人です。
ベルさんは門司港のJRの駅で、炭鉱への興味が湧いたのを覚えています。
炭鉱で働く人のための、作りになってるトイレなどね(笑)
すすを洗い流すための、広い洗面所にびっくりしましたよ(^^ゞ
三井港倶楽部など、殆どがハーフティンバー様式の建物で、
統一されてますね、美しい建物で興味惹かれます(笑)
コメントありがとうございます。
三池炭鉱事務所長の團琢磨さんは少年の頃、岩倉使節団に留学生として
渡米したそうです。
世界の最新技術の導入により三池炭鉱の発展、日本の近代工業化に多大な
功績を残しました。
コメントありがとうございます。
どんこさんが第1回の万田坑のガイド講座に参加されていたとは
知りませんでした。
先の事を見通して港を構築した團琢磨さんは、今日の大牟田の
基礎を作った大恩人です。
三井港倶楽部や新大牟田駅の正面には、デーンと大きな銅像が
建っていて今も大牟田市内を見ているようです。
コメントありがとうございます。
私が門司港のレトロに行った時には門司港駅は幕が張って合って
改装中だったので中は見られなかったです。
門司港駅は炭鉱で働く人のためのトイレや洗面場が作ってあったとは
これまで知らずにいましたよ。
三井港倶楽部を見た時には、こちらの港倶楽部と同じ作りだったので
びっくりしました。
とてもきれいな建物のデザインですね(笑)。
佐世保だったか兄弟3人でゴルフをしたことを思い出しました。
コメントありがとうございます。
三池炭鉱の宮浦石炭記念公園にはバイクに乗っていた頃
何度も行きました。
ここには巨大な煙突が建っていて坑内へ下がって行く乗り物、
坑内で使っていたシャベルカーなどが展示してありました。
長崎には個人的に2回行きましたが坂が多い街ですね。
機会があればもう一度行って見たいです。