あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

あすか塾 71  2025年3月

2025-03-19 15:29:43 | あすか塾 2025年

 

あすか塾 71       2024年3月                   

《野木メソッド》による鑑賞・批評              

「ドッキリ(感性)」=感動の中心

「ハッキリ(知性)」=独自の視点

「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ

 

 野木桃花主宰 三月号「野路すみれ」

この色はわたしの未来野路すみれ

 「野路すみれ」は野路に咲く一般的な野性の菫のことではなく、そういう名の固有種ですね。道ばたや野原などに生える点では共通していますが、全体に白い短毛が多く、根は白くて太く、基部が普通の菫より幅広く、葉柄の翼は普通の菫より目立ちません。花は淡紫色から紅紫色まであり、青みがかったものが多い。その控え目な野性の花を、この句では「わたしの未来」としていることに、作者の感慨が感じられますね。

菜の花の明るさ母の忌を修す

 母の面影を菜の花の明るさに見出している表現ですね。「忌を修す」という漢文的なことばにはある種の厳粛さを感じますね。

クレソンや舌にぴりりと若やぎて

 子供が苦いものが嫌いなのは命を守ろうとする本能なのですね。その時期を超えて大人になると、逆にその苦味が好きになります。命の小さな冒険という若やぎ感がそこにはあります。それをこの句では「舌にぴりりと若やぎで」と表現されていますね。

喪帰りのオーバー深く御殿場線

「義姉せつ様 九十三歳・久和子様 九十歳を悼む」の前書きのある句です。冬の葬儀で帰路冷え込んだのでしょうか。「オーバー深く」にその空気感があると同時に、深い哀悼の気持ちが詠みこまれていますね。「御殿場線」は神奈川県小田原市の国府津駅から静岡県御殿場市御殿場駅を経て、沼津市の沼津駅に至るJR東海の鉄道幹線ですね。富士山を近景に春は桜、秋は紅葉、数々の名所がある路線ですが、その季節はまだ遠いようです。

 

 感銘秀句 「風韻集」三月号から 

親離れ出来て真っ赤なシクラメン    大木典子

 短歌「親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト」(俵万智「『サラダ記念日』)を想起しました。この句ではトマトではなく、シクラメン。俵万智の短歌では勝手にすんなりと親離れした子供のようですが、この句は親がはらはらドキドキしながら温かく見守っているような優しい眼差しを感じますね。

山粧ふ十二単の裳裾引き        大澤游子

 十二色のグラデーションの、山の美しい色づきが目に浮かびますね。

落暉燃ゆ浜に千本懸大根        大本 尚

 神奈川県三浦半島の三浦海岸で、浜辺の膨大な数の干し竿に干されている懸大根が目に浮かびました。この句ではそれが夕陽に染まっている景で、圧巻の冬の景ですね。

湯たんぽにすがりつく夜の眠りかな   風見 照夫

 今は安全な電気毛布などの寝具が出来て、この句のような昔ながらの湯たんぽを使っている人は少なくなっているかもしれません。あのじんわりとした温かさは他では味わえないですね。

朝霜や一輪白く立ち上る        金井 玲子

 さすがにしっかりとした描写と、無駄のない的確な省略の技法に習熟されたベテランの玲子さんならではの見事な表現ですね。描写句なのに何の花なのか伏せられ、ただ朝霜が降りたせいで、一際目についた花へとズームアップされています。あとは読者が心の中でその映像を味わいつつ、何の花なのか想像するように促されていますね。

猫車草枯にある日差しかな       近藤 悦子

 「草枯」は三冬の季語「枯草」の子季語ですが、「枯草」は「草」の方に焦点があり、「草枯」は、その景の方に焦点があるという微妙な感覚的な違いがあります。その場の空気感が立ち上ることばですね。例えば、枯草に覆われた野原をわたる風など、蕭条とした雰囲気が漂います。その中にぽつんと作業車の「猫車」が置かれていて、農作業の合間であることが解ります。そこに冬日が差しているのですね。詩情がありますね。

ナウマン象の牙ガラス越し山眠る    坂本美千子

ナウマンゾウは、約一万五千年前までの日本列島に生息していたゾウで、後期更新世の日本列島に分布した大型陸棲哺乳類でもとくに有名な種ですね。この句ではそれが展示されているのを観たときの感慨の表現でしょうか。「山眠る」は三冬の季語で、冬山を擬人化したものですが、発掘されるまでその牙の「眠り」の時間と響き合う表現ですね。 

鶏頭花手話に怒りの語気ありぬ     鴫原さき子

 声ではない手話では怒りなどの直接的な感情表現はしにくいでしょう。この句ではその動作の中に怒りを感じとっているという繊細な表現ですね。上五の「鶏頭花」は人が手をあげているような形で、しかも赤く、視覚的にも効果的な表現ですね。

初日さす浄土ヶ浜や賢治の碑      摂待信子

 大正六年七月、宮沢賢治は花巻町東海岸視察団に加わり、三陸汽船で浄土ヶ浜を訪れ、「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」と詠みました。平成八年十月、賢治生誕百年を記念し、浄土ヶ浜レストハウス前に、その歌碑が建立されています。この句は「初日さす」ですから、初日の出をこの浄土ケ浜で拝まれたのでしょうか。

恵比寿講打ち菓子並ぶ鯛の二尾     高橋光友

 「恵比寿講」は七福神のひとつ恵比寿神の祭礼。陰暦の十月二十日や十一月二十日などに行われます。恵比寿は農村では田の神、漁村では漁の神、商家では商売繁盛の神で、地方によって様々な祝い事がなされます。この句は鯛の打ち菓子を供えているようですから、漁村の風習でしょうか。

猫のゐた椅子のくぼみや春隣      高橋みどり

 最近、愛猫を亡くされて心はその服喪中のようです。猫の定席だった椅子が猫の座ったかたちのまま窪んでいる部分をクローズアップして、その喪失感が巧みに表現されていますね。 

 六花おそろしき魔と成りにけり     服部一燈子

「六花」とは雪のことですね。結晶の六角形のかたちからきた優雅な呼称ですが、豪雪地帯では雪は美しいものであるどころか、白魔と恐れられていますね。昨今の異常気象のせいで、例年にない大雪の被害が多発しているようです。

秋惜しむ点さず閉めず日暮れ窓       宮坂市子

 秋の日暮れの急速な光と景の変化を、明かりも点けず、窓を開けたまま眺めているのですね。惜秋の感慨が巧みに表現されていますね。

小犬踏む落葉の音の軽きこと        村田ひとみ

 小犬を連れての散策の景のようです。落葉の積もった道にさしかかったとき、自分と小犬が立てる音の違いに気づいたのですね。その繊細な表現に作者の優しさが滲み出ていますね。

式台の広き本陣残る虫           柳沢初子

「式台」は玄関の土間と床の段差が大きい場合に設置される板のことで、武家屋敷で籠に乗れるようにしたものですね。「本陣」は江戸時代以降の宿場で、身分が高い者が泊まった屋敷ですね。一般の者を泊めることは許されておらず宿屋の一種ではなく、宿役人の問屋や村役人の名主などの居宅が指定されることが多かった立派な屋敷ですね。「残る虫」は冬近くなって鳴いている虫の季語で、泣き声に力がなく数も少ないですね。この季語の効果で、そんな歴史自身が消えようとしているような趣がありますね。

冷めた街四角い街の四温晴         矢野忠男

 「四温」は晩冬の季語「三寒四温」の子季語で、春が近い頃の気象現象。ほぼ七日間周期で天気が変化します。三日ほど寒い日が続いたあとで四日ほど暖かい日がつづくことから。この句では「四温晴」ですから、そんな時期の天候ですね。都会のコンクリート製のビル街のまだ寒さの残る寒い日の雰囲気ですね。

簡易水道音の尖りて冬の川         山尾かづひろ

 行政区の正式の水道網の埒外にある水源から、その狭い地区だけで施設された簡易の水道のことですね。たぶんきれいな湧き水でしょう。そんな小さな集落の姿が浮かびますね。

白菜に塩振る我の指太し          吉野糸子

 白菜漬けの作業をしているとき、ふと自分の指に目が止まったのですね。下五の「指太し」の言い切りに自分の来し方、そして働く手の逞しさへの感慨が籠っている表現ですね。

城下いま冬満月や妻に酌          安齋文則

 福島在住の作者ですから、城は会津若松城でしょうか。鶴ヶ城と呼ぶ地元の方の誇りでしょう。その満月の夜、夫婦仲睦まじく酒を酌み交わしているのですね。

廃校の朝礼台や冬に入る          磯部のり子

 使われなくなって久しい、昔ながらの木製の朝礼台が雨晒し日晒しになっている、寂しげな景が浮かびますね。

 

 共感好句「あすか集」三月号から 

北庭の隅を照らせり石蕗の花        須貝一青

 家の北側の庭ですから、狭い空間でほとんど日が差さないところに石蕗の花が咲いているのですね。その鮮やかな黄色がまるで太陽のようにその空間を明るくしているように感じられたのでしょう。曇りがちな自分の心にも日が差したような表現ですね。

垣根越し黒猫通る松の内          鈴木 稔

 「松の内」ですから、お正月にやってくる年神様の依り代である松を飾っておく期間のことですね。一年の安寧と無病息災を願い、お祝いする日本古来の行事です。そんな神聖な雰囲気の中、垣根越しに黒猫が通るのを見かけたのですね。さて、吉兆でしょうか。

上賀茂の酢茎選ぶや夫はなく        砂川ハルエ

 「酢茎漬」といえば千枚漬、しば漬と並び、京都の冬の代表的なお漬物です。塩だけで漬け込んで作られ、乳酸菌による発酵作用による味わい深い酸味が特徴です。今から四百年ほど昔の桃山時代、上賀茂神社の社家(しゃけ)(神社に仕える氏族やその家)が賀茂の河原で見つけたカブに似た珍しい植物を持ち帰って植えたのが始まりだという説や、御所から賜った植物を植えたのが始まりなど諸説ありますが、上賀茂神社の社家の間で栽培が始まったとされています。江戸時代末期頃からは一般の畑でも自家用や贈答用としてわずかに栽培する程度だったようで、広く普及しはじめるのは明治維新以降だそうです。この句は下五に「庭あかり」を置いて、午後のお茶の時間を独りで過ごしているのですね。少し哀感が滲みます。 

病得て優しき言葉福寿草          関澤満喜枝

 病気になったからといって周りの人がみんな優しくなるとは限りませんが、この句にように詠まれると、そうであってよかったね、という気持ちになりますね。下五の福寿草の季語が効いていますね。

重ね着や母の使ひしくぢら尺        高野静子

 「重ね着」は三冬の季語で寒さ厳しい折、衣服を何枚も重ねて着ることですね。この句では着ている様子ともとれますが、句意からすると、それらの衣服を作った母のことを想起しているようにも読めますね。「くぢら尺」はその名の通り鯨の髭から来ていて、ものさしの材料に鯨の髭を用いていたことが始まりでした。鯨尺の一尺は三七.八十八㎝。昔、和裁では尺が使われました。時代を感じますね。

小さき手をつなぎけんけん冬夕焼      高橋富佐子

 「けんけん」は石蹴り遊びのことですね。地面にマス目や円などの図形を縦列にいくつも描き、石を使いながら片足飛び(けんけん)で順番に進んでいく子供の遊びで、地域によっては「けんけん」「けんぱ」などとも呼ばれます。遊び方は地域によって微妙に違うようですが、最後の「ぱ」は、円などが二つ並びになって両足をつけるときの形ですね。この句はそれをしているのではなく、そのリズムで仲良く手をつないで子供が跳ねている様ですね。もうすぐ日が暮れます。帰宅の時間です。

落葉にも個個の彩りありにけり       滝浦幹一

「落葉にも」の「にも」は、その前に「人にも」が省略された表現ですね。その暗喩表現というわけですね。一様のような中の多様性の発見の感慨ですね。

菓子箱に母の編針冬銀河          中坪さち子

 綺麗な色形の菓子箱でしょうね。その中に母の遺品の編針を発見して、在りし日の面影が甦った感慨の句ですね。下五の「冬銀河」がはかなるものに思いを寄せているような効果がありますね。

山茶花や群れる雀の声低し         中村 立

 雀の鳴き声の音程が条件によって変化するとは知りませんでした。確かな観察眼が光る句ですね。

店員の日本語流暢晦日蕎麦         増田綾子

 外国人の店員さんが晦日の店で働いているのに遭遇したのですね。こうして異郷で年末まで働いているのだなーと、その人の気持ちに寄り添う作者の優しさを感じる句ですね。

手のひらの三本の線日向ぼこ        水村礼子

「三本の線」は手相でいう三大重要線の生命線、頭脳線(知能線)、感情線のことでしょう。ほとんどの人にあり、深く貫いているほどその相が強いという見立てですね。よく天才型の人の手相で真横に深い頭脳線だけがある人がいる、などという話を聴きますね。この句はしみじみ日向ぼこをしながら、自分の手相を眺めているのですね。

傾ける富士見多聞の葦枯るる        望月都子

「富士見多聞」の「多聞(たもん)」とは、防御を兼ねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことで多聞長屋とも呼ばれました。鉄砲や弓矢が納められ、戦時には格子窓を開けて狙い撃つことができました。本丸の周囲は、櫓(やぐら)と多聞で囲まれて万一に備えられていました。この句は皇居のものを見学したときのものでしょうか。本丸内の松の大廊下跡近くに、少し高台になっている場所があります。その上に建てられているのが「富士見多聞」と呼ばれる多聞櫓ですね。上五の「傾ける」は実際にそうなのか、そのように迫って見えたかのどちらかでしょう。

冬銀河「二十億光年の孤独」        神尾優子

 詩人の谷川俊太郎の詩と共鳴する思いを詠んだ句ですね。「二十億光年の孤独」は谷川俊太郎が、十七歳のときから書いてきた詩が収録された詩集のことでしょう。高校卒業後、大学進学はせずに趣味の模型飛行機作りとラジオの組み立てと詩作に没頭していた折に、父親から将来はどうするつもりかと問われていた谷川俊太郎でしたが、書きためていた詩のノートを父に見せると、その作品に父親は衝撃を受け、友人の三好達治にそのノートを送ります。結果、三好達治の推薦で、谷川さんの詩が文芸雑誌に掲載されデビュー作となります。詩は隠喩のような言葉が並び、意味を理解しようと思うと、なかなか難しい作品です。以下に引用しておきます。

  二十億光年の孤独

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或(ある)いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ


万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

合性の筆は一本春小袖           紺野英子

 作者は茶道の先生ですから、ふだんから和装で、文字も筆で書かれる方でしょうか。好みの筆もたくさん所有していらっしゃるのでしょう。でも、書き心地が気に入って普段使いをしているものは限られるものですね。なにごとにも丁寧に向き合っていらっしゃる暮し方が感じられる句ですね。

自己主張できぬ子ひとり花八ツ手      笹原孝子

目立たず大人しい子で、決して自己主張をしたりしない子が一定の集団の中には必ずいます。そんな子に目がいってしまうのは作者の優しさ故ですね。下五の「花八ツ手」の季語が効いていますね。軒下の日陰の目立たないところにひっそりと咲いているのを見かけます。

 

〇 注目句 「あすか集」三月号から 

        わび助が咲いてもいまだメジロ来ず     立澤 楓

  はきはきと子が空見上げ両手上ぐ      千田アヤメ

       藪背負ひ深閑として寒き家         坪井久美子 

  初読みの干支の絵文字に年かさね      成田眞啓

  クリスマス鈴の音入りの演奏会       西島しず子

       真澄の空木漏れ日踏みて落葉道       乗松トシ子

  紅葉散る今散り際と惜しみ無く       浜野  杏

  到来の葱食べつくし鍋さびし        林  和子

  縦長の南に雪や秋津島           平野信士

  無事生きていつもと同じ日記買ふ      曲尾初生

  葱を切る厨にまぶし朝日かな        幕田涼代

  初春や赫き小切れで縫ふ鞄         三橋光枝

  蝋梅や五十年経し主となる         緑川みどり

  初富士の機嫌見に行く八十段        保田 栄

  町ひとつまたぎて太し冬の虹        矢吹澄子

  あれやこれそれでもひとりの年用意     吉田 史

  初めての紅さす口に千歳飴         安蔵けい子

       歯並びを誉めらるるかなお年玉       内城邦彦

  吾妻嶺の残雪わずか鍬を砥ぐ        大谷 巌

  着ぶくれて家事二つ三つ省略す       大竹久子

  もどかしや老いし二人の暮仕事       柏木喜代子

  手の平にしばし綿虫母忌日         金子きよ

  日向ぼこ脇には猫と麦チョコと       木佐美照子

  冬服の学童少し大人びて          城戸妙子

  寒の内手作り味噌も二十年         久住よね子

  団栗の袴外しておままごと         齋藤保子

  初みくじ開けた夫の目やわらかし      須賀美代子

 

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あすかの会  2025年 2月

2025-03-04 16:06:02 | あすかの会 2025 令和7年

  あすかの会 2月   

 

        兼題「始 余寒」 あすかの会会長 大本 尚

 

野木桃花主宰

春日受けボールの行方始球式      武良推奨句

身ほとりに余寒貼りつく玻璃を閉づ  

余寒なほ今日は遠出の始発駅     

補修待つ陥没道路春遅々と      

野木主宰特選 

 

余寒なほ粥に咲かせる溶き卵      英子   野木主宰特選句・武良推奨句 準高得点句

 

 武良特選 

風もまた影になりたる春障子      さき子  野木主宰推奨句・武良特選句 最高得点句

 

準々高得点句 6

ふり向かずけふの一歩を青き踏む    孝子   野木主宰推奨句

多喜二忌や街のどこにもカメラの眼   尚    武良推奨句

 

《 以下、高得点順 》

カーテンに夜明けの気配春めけり    玲子   大本会長・武良推奨句

 

余寒なほ光を散らすさざれ石      玲子   武良推奨句

呼ぶように応えるように春の鳶     さき子  野木主宰・大本会長推奨句

つないだ手いつしか離れ卒業式     礼子   武良推奨句

卒業の空の教室始業ベル        礼子

始発ベル大雪原に吸はれゆく      悦子

 

葬終へてひとり余寒の始発駅      孝子   大本会長推奨句

喧噪の街を斜めに喪のコート      孝子   大本会長推奨句

冴返る建屋に響く始業ベル       尚    野木主宰・武良推奨句

本尊の背にある余寒の静寂かな     悦子   武良推奨句

聞き役掌の雛あられ湿りやや      ひとみ  武良推奨句

始まりの産毛柔らか辛夷の芽      ひとみ

捨舟の漣を生む春の昼         みどり

 

長考の末の一指桜餅          孝子   大本会長推奨句

湯の街の窓を彩る吊し雛        英子   大本会長推奨句

夫婦して老の部類や小豆粥       英子

始発待つホームに余寒の風まとふ    尚

 

春愁や現し世覗く埴輪の眼       典子

じゃんけんにあいこの続く磯焚火    悦子

春光や波を幾重に鳥の群        玲子

塩辛さ始めに詫びて雛祭        市子

余寒なほ手を滑り落つ飯茶碗      市子

人日や届かぬ賀状待ちつづけ      都子

地下流る水に魂余寒なほ        都子

余寒の法堂龍のはみ出る天井画     尚

余寒なほ始業のベルのもう鳴らぬ    典子

薪をくべ長き余寒をやり過ごす     典子

花ミモザ願解き絵馬に大きな眼     典子

竹林をそっと撫でゆく春の風      玲子

浚渫船余寒の水を掻き分ける      さき子

誰彼となく話したき梅二月       さき子

誰もゐぬ塩作りの浜鳥曇        悦子

池の面に相輪映る梅二月        みどり

うすうすと雲重なりて梅日和      みとり

バンを売るワゴン車の来て街のどか   みどり

凍返り始めの一歩身構へる       市子

余寒なほ夕暮早き佐久平        市子

百本の杭に百羽の都鳥         かづひろ

三囲の二福に纏ふ余寒かな       かづひろ

平茶碗に白妙一つ利休の忌       かづひろ

稜線の二社を加へて福巡り       かづひろ

パソコンに目を据ゑ肩の余寒かな    ひとみ

春満月仰ぎ気がかり解けしこと     ひとみ

一歩二歩馴らし始めて入園す      英子

顔洗ひ心も洗ふ初明り         都子

雁風呂や始末巡りて睨み合ふ      都子

明るさにうかと出かけて余寒あり    礼子

しゃぼん玉新内閣が始まるよ      礼子

 

〇参考 ゲスト参加 武良

友逝きて未完の春を手渡さる             野木主宰推奨句   悼・戸田順

浅き春診てゐる陸奥の遠眸

列島といふ春寒の千切れ麺

春兆す海億年の波立てて

 

 

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あすか誌 3月号  2025 令和7

2025-03-02 18:16:07 | あすか誌 2025年

     あすか 3月号

 

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あすか塾 2025年 2月号

2025-02-21 16:13:42 | あすか塾 2025年

あすか塾 70  

                        

《野木メソッド》による鑑賞・批評              

「ドッキリ(感性)」=感動の中心

「ハッキリ(知性)」=独自の視点

「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ

 

 野木桃花主宰 二月号「枇杷の花」

日を紡ぎつむぎ膨らむ冬木の芽

 「紡ぎつむぎ」のリフレーンに春到来の予感と期待感の籠ったリズムを感じる表現ですね。

地のいろとなる冬耕の暮れ残る

 日差しの中の、冬耕の土の色にあった輝きが、日暮れとなって落ち着いた「地のいろ」に戻ってゆくという、時間の推移の表現がいいですね。

寒鯉の影追ふやうに水動く

 大きな鯉がゆったりと泳いでいるさまが見えますね。「影追やふうに」という表現が光っていますね。

花舗ばかり覗く二人に日脚伸ぶ

 どんな二人連れなのか想像させられます。恋人同士、熟年の夫婦、姉妹、親友で景が違って見えますから楽しいですね。

白湯含み今日をつましく枇杷の花

 健康な人でも「白湯」を飲む習慣をつけることが勧められています。そんなことをきちんと守って生活している生き方まで感じられる表現ですね。

 

 感銘秀句 「風韻集」2月号から 

点々と庭の露草朝まだ来        磯部のり子

「朝まだ来」は大和言葉で、未だ夜が明けきっていない時のことで、上五に「点々と」を置いた表現がいいですね。

鉄塔が校歌となりて秋高し       大木典子

 校歌の作詞はその地の象徴的な風物が詠い込まれていることが多いですね。この句の「鉄塔」は河川沿い、小高い峯沿いに設置されている景が浮かびますね。近代化の象徴のように、町の誇りにもなっているような立派な鉄塔のようですね。

穭田の短き命賢治の忌         大澤游子

 穭田の穂は実をつけることはないですね。賢治文学は生前にはあまり世に知られず評価もされない状態だったのを、弟の清六氏たちの努力によって、後に名作の評価が定まりました。そのことに思いを寄せた表現ですね。
そよぐもの無きも安らぎ大枯木     大本 尚

 枯木は俳句などでは通常、うら寂しさや冬に向かう厳しさが詠われる傾向がありますが、この句は逆に、そこに「安らぎ」を見出しているという独創的な視座の表現ですね。背景に深い仏教観を感じますね。

子沢山母の鮟鱇吊るし切り       風見 照夫

 鮟鱇の吊るし切りは、大変な体力が要るさばき方ですね。それを豪快にこなしている景が浮かびます。上五の「子沢山」が効いていますね。

雲の翳走り枯野の動き出す       金井 玲子

 枯野原の上を雲の翳が、上空の雲の動きと同時に流れていっている、大きな景ですね。それを枯野全体の動きのように表現して、ダイナミックですね。

野面積み穴太の剛力天高し       近藤 悦子

「穴太(あのう)」、歴史的仮名遣での読み仮名は「あなふ」。穴太衆(あのうしゅう)は、安土桃山時代に活躍した石工の集団ですね。主に寺院や城郭などの石垣施工を行った技術者集団で、石工衆、石垣職人ともいいます。「剛力」は歩荷(ぼっか)や登山案内を生業とする日本古来の運送業者で「強力」とも書きます。この句では石垣を見揚げての句ですね。

各駅の秋を乗せたり小海線       坂本美千子

「小海線(こうみせん)」は、山梨県北杜市の小淵沢駅から長野県小諸市の小諸駅までを結ぶ鉄道路線で、南側区間は八ヶ岳の東南麓を走り、全線は「八ヶ岳高原線」の愛称で親しまれていますね。中七の「秋を乗せたり」が高原らしい表現ですね。

玄関に来し蟷螂も一過客        鴫原さき子

 「過客」は芭蕉の「おくの細道」でも使われていることばで、時の旅人のことですね。この句は実際には玄関に偶然、蟷螂が迷い込んできていた景だと思いますが、それを生きもの目線で詩情豊かに表現した句ですね。

此処までと津波碑小さき新松子     摂待信子

 歴史的に津波被害が繰り返された地には、平地より少し高い位置に、津波の到達地点を示す石碑が建てられていて、後世の人たちに注意を促していることが多いですね。「新松子」の季節に、作者はそのことを改めて噛みしめているようです。

筑波路は秋色早し息子を見舞う     高橋光友

いつも目にしている「筑波路」がどこよりも早く秋色に染まり始めているようです。それを「秋色早し」と詩的に表現して、具合を悪くされているご子息の見舞いの景に詠みましたね。

茶の花やつましき寡婦の暮らしむき   高橋みどり

 地味だけど可愛らしく趣のある茶の花で、「寡婦」の暮らしぶりを簡潔に詩的に表現して味わいがありますね。

黒い雲光踊るや初しぐれ        服部一燈子

 空一面の黒雲に光が踊るように走っている、という景。稲光でしょうか。その不気味さを巧に表現した句ですね。しかもそれが「初しぐれ」だった、というのですね。

籾袋積み込む蔵や窓一つ        宮坂市子

 収穫して詰めた籾袋を積みあげて保管する、厚い漆喰壁の倉の、高い位置にぽつんと小さな窓が一つだけある景を視たことがあります。中のひんやりとした空気感も伝わりますね。

冬あたたか転校生の国訛        村田ひとみ

 クラスに転校生がやってきた時の記憶を詠んだ句でしょう。違う地方から転校してきたようで、そのお国訛の言葉遣いに、冬日のような温かさが感じられたのでしょうか。

柿の実の色となりたる村ひとつ     柳沢初子

 素朴な文化を守っている過疎の村の雰囲気を感じる句ですね。初子さんの今月の句は、他に「萩ゆれて風の噂を聞き流す」「朝毎に雨の一刷毛もみづれる」「ねこじやらし千の穂先の陽に遊ぶ」と秀句揃いでした。

馬手に筆弓手に酸素日向ぼこ      矢野忠男

 侍の馬上姿の「馬手」「弓手」という言葉を使い、酸素マスクをして日向ぼこをしながら短冊に筆文字で作句をしているのでしょうか。その心意気が伝わります。

曼珠沙華ときを逃さず咲いて消ゆ    山尾かづひろ

 植物の自然に身をゆだねている姿に、ある種の清々しさを感じている表現ですね。自分もあれこれ悩んだりせずにそんな心境でいたいという思いの表現でしょうか。

庭去らぬ冬蝶吾子の化身とも      吉野糸子

 子に先立たれた親の心境を詠んだ表現のようですね。その思慕の深さが伝わります。

歯ブラシに噛み跡しるき寒さかな    安齋文則

 東北の身震いするような寒気を具象的に描き出した表現で、訴求力がある句ですね。

◎共感好句 「あすか集」2月号から 

初針や背守りの赤き糸を張る      須賀美代子

「背守り(せまもり)」は子供の着物の背中に縫い付けるお守りのことですね。着物を作る時には左右の身頃となる布を縫い合わせるために、背骨に沿って「背縫い」という縫い目ができます。
 昔の人は「目」には魔除けの力があると信じており、背縫いの「縫い目」にも背後から忍び寄る魔を防ぐ力があると考えていました。ところが、赤ちゃんが着る着物はとても小さく背縫いがありません。そこでお母さんたちは、子供に魔が寄り付かないように背縫いの代わりとなる魔除けのお守りを付けました。それが「背守り」ですね。この句ではその「お守り」が「赤き糸」なのですね。親の愛が籠っている赤ですね。

秋草の種を土産に山下る        須貝一青

秋の野山への散策の帰りに、記念のお土産として「秋草の種」を摘んで来たのですね。自宅の庭に植えて、来年を待つという言外の時間を詠みこんだ表現ですね。

小春日や壁に凭れてズボン穿く     鈴木 稔

 足腰が弱ると片足立ちのとき、よろけてしまいます。だからズボンを立って穿くことが困難になり、壁などに凭れて穿いているのでしょう。上五の「小春日や」のせいで、それを嘆くでもなく、ゆったりと淡々とこなしている表現になっているのがいいですね。

妙義山奇岩彩る冬紅葉         砂川ハルエ

「妙義山」は群馬県甘楽郡下仁田町・富岡市・安中市の境界に位置する日本三大奇景の一つとされる山ですね。奇岩がいたるところに見られる妙義山の中でも中之嶽の景色は、中腹を巡る第一石門から第四石門を始め、ロウソク岩・大砲岩・筆頭岩・ユルギ岩・虚無僧岩といったユニークな名前の岩石群があり、日本屈指の山岳美と讃えられています。その奇岩と紅葉の競演は見ものですね。

冬天へメタセコイヤの温き色      関澤満喜枝

「メタセコイヤ」の葉は短枝に羽状に対生し、秋に紅葉して枝とともに落ちます。公園や並木などに植えられています。大きなものは高さ五十メートルにもなります。幹の樹皮が若木のときは赤褐色、成木では灰褐色になり、縦に細長く剥がれ落ちます。この句はその赤褐色を「温き色」と表現したのですね。青い冬空との対比が鮮やかですね。

選に漏れし句の音律や風の秋      高野静子

 屋外を散策しながら、頭の中で句の推敲をしているような表現ですね。選に漏れたから駄句というわけではなく、自分では気に入っていた句があったのでしょう。その韻律のいい句を秋の風の中で味わっているのでしょうか。

一隅に無口決めこむ石蕗の花      高橋富佐子

 石蕗の花はものいわぬ植物ですが、そこに無口な自分の思いを投影した表現ですね。石蕗の咲き方は、路傍や庭の角に孤立しているようにぽつんと咲いていて、びったりの表現ですね。

りんご捥ぐ実習ありし頃思ふ      滝浦幹一

 実習で林檎園での林檎の収穫があったようですが、青森県ならそんなことが普通校でもありそうですね。何か楽し気な雰囲気で郷愁を誘います。

カピバラになつたつもりの柚子湯かな  立澤 楓

 鑑賞文など無用で、読者の実感的な共感を誘う、ユーモラスな句ですね。

迷いなく手の平サイズの手帳買う    千田アヤメ

「日記買ふ」という季語はありますが、「手帳買ふ」という季語はありません。ここは手帳を日記に替えて鑑賞しました。手の平サイズの手帳を兼ねた日記を買ったのでしょうか。上五の「迷いなく」とこのサイズ感に詩情がありますね。

和菓子屋に花鉢並ぶ冬日和       坪井久美子 

 店先に何もないよりも、手入れの行き届いた花鉢が飾られていると気持ちがよく、売られている和菓子まで美味しく感じられるでしょうね。

団栗を星座のように並べあり      中坪さち子

 星座だとわかる形に団栗が並んでいたのを発見して、少し驚き、微笑んでしまったのでしょう。十字や四角や三角では星座とは分かりにくいですから、北斗七星かオリオンの形くらいには整っている置き方だったのでしょうね。まさに地上の星ですね。

空澄めり警策の音迫り来る       中村  立

 禅寺に参拝して座禅の体験をしたときの句でしょうか。「警策」は坐禅の際に修行者の肩に打ちつけて、注意を与えたり眠気を払ったりするために用いられる法具で、曹洞宗では呉音で「きょうさく」、臨済宗などでは漢音で「けいさく」と読みます。この句ではその音が自分の位置まなどってきていることを意識している表現ですね。「上五」の「空澄めり」。そんな澄み切った境地になりたかったのですね。

柿紅葉誰れが名づけし鴉山       成田眞啓

「鴉山」という名の山は全国にいくつかありますが、関東圏では川越の鴉山でしょうか。鴉山稲荷神社は、太田道真が河越城築城に際して当地を伐採したところ小祠・及び源氏の祈願文を発掘したことから社殿を建立、鴉が群棲していたことにより鴉山稲荷神社と称されるようになったと言われ、境内が広いので川越七社の第一位とされているそうです。この句はその名の由来に思いを馳せているようです。紅葉の季節に登山されたのでしょうか。

先生を借りて走るや運動会       西島しず子

 運動会の徒競走の種目に「借り物競争」というのがありましたが、今も行われているのでしょうか。「先生を借りて」はその「借りて」ですね。楽し気な雰囲気が伝わります。

絵馬殿の歴史の重み冬日さす      乗松トシ子

 神社・寺院で奉納された絵馬を掲げておく堂を絵馬殿、額堂といいますね。それがあるのは大きくて歴史のある神社で、古いものが遺されていて趣がありますね。この句はどこの神社でしょうか。

冬の蜘蛛時計の隙間に迷い込み     浜野  杏

 蜘蛛自身は自分が隠れたのが時を測る機械だとは思っていないでしょうね。まるで時間の迷路に迷い込んだ自分の気持ちの暗喩ともとれる表現になっていますね。

見るべきものまだ見ぬうちに年始め   林 和子

 初日の出を見逃した、という表現かなと解しました。元旦は年末の慌ただしさの余韻があって、あっという間に時が過ぎる実感が籠っている句ですね。

いつの間に炬燵の上の物あまた     平野信士

 解ります。いつの間にか、ですね。普通は果物やお菓子の入った籠、テレビのリモコン。高齢者なら老眼鏡など。新聞、チラシ、ティッシュペーパー、炬燵に入ったまま何か作業をしてその道具が置きっぱなしされている…そんな景ですね。

ガス灯は明治そのまま秋深む      曲尾初生

 横浜や神戸など、明治時代に港町として開かれた街には、今も残っているのを見かけますね。ただしそれはお洒落にデザイン化され、ガスではなくLEDランプに変わっていますが。

虫たちも塒に帰る枯野かな       幕田涼代

 これは実景ようで、実は心象景の句ですね。虫は遠目に視えませんから、塒に帰る姿は、作者の心の中によぎった景ですね。小さな生き物に寄せる作者の優しい眼差しを感じますね。

どんぐりを拾ひて捨てて散歩道     増田綾子

 これは誰もが経験のある、共感される句ではないでしょうか。無意識にどんぐりを拾ってしまうのは、子供時代、大好きな遊具だった記憶のせいでしょうか。

サンタにも廻る順番寝落ちの児     水村礼子

 サンタさんが来るのを今年は見るんだと、頑張って起きていた子が寝てしまったのでしょう。親の立場からは自分がサンタなのですが、心の中での子供との会話「サンタさんにも廻る順番があるからねー」を独り想像しているような表現で楽しいですね。

船漕ぐも笑いの渦も冬の寄席      三橋光枝

 寄席の笑いに満ちた温かい雰囲気が伝わる句ですね。高名な落語家が高座の最中に居眠りをするという珍事が起きたとき、お客が「いいから、少し寝かしとしてやんな」と言ったという逸話もあるほどですね。

こりもなく三年日記九冊目       緑川みどり

 合計二十七年も三年連用日記帳を使っているのですね。それを「こりもなく」という心情吐露で詠んだのは、もうその習慣がすっかり身についていることの自己確認ですね。継続は力なり、です。きっと何かプラスになっているはずです。

声出して語り合ひたし冬鷗       望月都子

 鷗はあまり声も出さないで、水面に浮かんでいるように見えます。集団性を持つ鳥なのに、仲間同士の親密性など感じませんね。その姿に自分の気持ちを投影した表現ですね。

瓦礫とて聖樹を飾る紛争地       保田 栄

 ウクライナか、ガザ地区か、あるいはその他の数多の紛争地のテレビ報道を見ての感慨でしょうか。瓦礫と煌びやかな粉飾ツリーが対照的で、よけい無惨さが際立ちますね。

入院の日々の空白日記果つ       矢吹澄子

 入院中は、習慣になっていた日記をつけることもままならないことが多いですね。かといって、退院後、思い出してその空白を埋める気にもなりませんよね。そして年末に……。

箸使い見事に秋刀魚食す人       吉田 史

 幼いころから食事のマナーや作法を習って、きちんとそれを身に付けている人を見たのですね。佇まいまで美しく見えますね。

風やみて片削ぎの月かかる村      安蔵けい子

 中七の「片削ぎの月」という表現には初めて出会いました。冬空の荒れた感じに相応しい、見事な表現ですね。

干柿を食めばつくづく汚染郷      内城邦彦

 熟したまま落ちてしまう柿、放射線汚染で村ごと帰還のできない里のことを思っての句ですね。自分はこうしてちゃんと干柿になったものを食べているのに、という感慨ですね。

雪載せて貨車百両の通り過ぐ      大谷 巌

 貨物専用列車は全国各地に散在するようです。この句は寒い地域の景ですね。こう表現しただけで、その寒気まで伝わりますね。

日を溜めて刻惜しむがに帰り花     大竹久子

 帰り花には二種類あって、気候の乱れで偶然咲いたものと、品種で違う季節に二度咲きするものがあります。この句はどちらでしょう。上五中七の表現に詩情がありますね。

鉢の土干して片付け冬隣        柏木喜代子

 一つの季節の役目を終えた鉢の土を、天日に干して殺菌する作業を冬になる前にしているのですね。よく民家の庭先で植物が枯れっぱなしになっていて、土も干乾びるにまかせている、だらしない景を見かけますが、みなさん、この柏木さんを見習って欲しいものですね。

煤払ひ友の遺せし絵にサイン      金子きよ

 友人が描いた絵が部屋に飾ってあるようです。普段はそのサインまで気にかけていないのに、煤払いの季節にハタキがけをする時に、そこに目がゆき、その筆跡にそのことが思い出されているのですね。そこを切りとった表現が効果的ですね。

不喰芋描く画伯や冬に入る       神尾優子

 「不喰芋(くわずいも)」と「蘇鐵(そてつ)」は、画家・田中一村の晩年の傑作で、生涯の集大成とも言える一枚ですね。「アダンの海辺」と合わせて畢生の「大作二枚」の一つに数えられます。奄美大島移住後に創作の柱となった自然信仰が画面の中に凝縮されていますね。優子さんはもう一句〈回顧展「蘇鐵とアダン」と対峙の冬〉とも詠まれています。

葉牡丹の深き懐ひかり満つ       木佐美照子

 葉牡丹は中心部に向かって色がグラデーションになって、その色合いに深さを感じるものがありますね。中七下五の表現に詩情がありますね。

備はりし知恵をつくして渡り鳥     城戸妙子

 普通「本能だよ」とか言ってしまうところを、上五中七のように表現して、味わいがありますね。作者の思い入れも伝わります。

ズンバダンス派手なもの着てクリスマス 久住よね子

「ズンバ」という言葉に特定の意味はなく、ブランド名として名付けられたものですね。ダンサー兼、振付師であるアルベルト・ベト・ペレスによって創作されたフィットネス・プログラムで、世界的に有名なエクササイズですね。色々なリズムの音楽が融合した楽しいダンスです。それをクリスマスにみんなで踊っている陽気な景が浮かびます。

初雪と単身赴任の息子より      紺野英子

 俳句的な省略法を利かせた表現がいいですね。ご子息の手紙、声か、今時のメールでの便りでしょう。母子の暖かい普段からの交流のさままで想像されますね。

沢渡の翁独りで茸売る        齋藤保子

「沢渡(さわんど)」は中部山岳国立公園の裾野に位置していて、上高地に向かう拠点となっています。現在沢渡温泉として知られているエリアは、かつて日本各地と鎌倉を結ぶ旧街道の宿場町でした。沢渡という地名は、飛騨と信州を結ぶ中継地点であったことから「沢を渡る」場所とされたことに由来します。この句は高齢の翁が独りでその山で採れた茸を売っている様子に歴史的な、詩情を感じたようですね。

白足袋の一日の疲れはたきけり    笹原孝子

 足袋姿ですから、普段から和服で過ごしていらっしゃるのか、改まった和装で外出されての帰宅後の景ですね。その仕草で意志的に疲れを吹き飛ばしているようで、爽快ですね。

 

 

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あすか 2025年(令和7年)2月号

2025-01-29 18:56:16 | あすか誌 2025年

 あすか 2025年(令和7年)2月号

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