あすか塾 71 2024年3月
《野木メソッド》による鑑賞・批評
「ドッキリ(感性)」=感動の中心
「ハッキリ(知性)」=独自の視点
「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ
◎ 野木桃花主宰 三月号「野路すみれ」
この色はわたしの未来野路すみれ
「野路すみれ」は野路に咲く一般的な野性の菫のことではなく、そういう名の固有種ですね。道ばたや野原などに生える点では共通していますが、全体に白い短毛が多く、根は白くて太く、基部が普通の菫より幅広く、葉柄の翼は普通の菫より目立ちません。花は淡紫色から紅紫色まであり、青みがかったものが多い。その控え目な野性の花を、この句では「わたしの未来」としていることに、作者の感慨が感じられますね。
菜の花の明るさ母の忌を修す
母の面影を菜の花の明るさに見出している表現ですね。「忌を修す」という漢文的なことばにはある種の厳粛さを感じますね。
クレソンや舌にぴりりと若やぎて
子供が苦いものが嫌いなのは命を守ろうとする本能なのですね。その時期を超えて大人になると、逆にその苦味が好きになります。命の小さな冒険という若やぎ感がそこにはあります。それをこの句では「舌にぴりりと若やぎで」と表現されていますね。
喪帰りのオーバー深く御殿場線
「義姉せつ様 九十三歳・久和子様 九十歳を悼む」の前書きのある句です。冬の葬儀で帰路冷え込んだのでしょうか。「オーバー深く」にその空気感があると同時に、深い哀悼の気持ちが詠みこまれていますね。「御殿場線」は神奈川県小田原市の国府津駅から静岡県御殿場市御殿場駅を経て、沼津市の沼津駅に至るJR東海の鉄道幹線ですね。富士山を近景に春は桜、秋は紅葉、数々の名所がある路線ですが、その季節はまだ遠いようです。
◎ 感銘秀句 「風韻集」三月号から
親離れ出来て真っ赤なシクラメン 大木典子
短歌「親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト」(俵万智「『サラダ記念日』)を想起しました。この句ではトマトではなく、シクラメン。俵万智の短歌では勝手にすんなりと親離れした子供のようですが、この句は親がはらはらドキドキしながら温かく見守っているような優しい眼差しを感じますね。
山粧ふ十二単の裳裾引き 大澤游子
十二色のグラデーションの、山の美しい色づきが目に浮かびますね。
落暉燃ゆ浜に千本懸大根 大本 尚
神奈川県三浦半島の三浦海岸で、浜辺の膨大な数の干し竿に干されている懸大根が目に浮かびました。この句ではそれが夕陽に染まっている景で、圧巻の冬の景ですね。
湯たんぽにすがりつく夜の眠りかな 風見 照夫
今は安全な電気毛布などの寝具が出来て、この句のような昔ながらの湯たんぽを使っている人は少なくなっているかもしれません。あのじんわりとした温かさは他では味わえないですね。
朝霜や一輪白く立ち上る 金井 玲子
さすがにしっかりとした描写と、無駄のない的確な省略の技法に習熟されたベテランの玲子さんならではの見事な表現ですね。描写句なのに何の花なのか伏せられ、ただ朝霜が降りたせいで、一際目についた花へとズームアップされています。あとは読者が心の中でその映像を味わいつつ、何の花なのか想像するように促されていますね。
猫車草枯にある日差しかな 近藤 悦子
「草枯」は三冬の季語「枯草」の子季語ですが、「枯草」は「草」の方に焦点があり、「草枯」は、その景の方に焦点があるという微妙な感覚的な違いがあります。その場の空気感が立ち上ることばですね。例えば、枯草に覆われた野原をわたる風など、蕭条とした雰囲気が漂います。その中にぽつんと作業車の「猫車」が置かれていて、農作業の合間であることが解ります。そこに冬日が差しているのですね。詩情がありますね。
ナウマン象の牙ガラス越し山眠る 坂本美千子
ナウマンゾウは、約一万五千年前までの日本列島に生息していたゾウで、後期更新世の日本列島に分布した大型陸棲哺乳類でもとくに有名な種ですね。この句ではそれが展示されているのを観たときの感慨の表現でしょうか。「山眠る」は三冬の季語で、冬山を擬人化したものですが、発掘されるまでその牙の「眠り」の時間と響き合う表現ですね。
鶏頭花手話に怒りの語気ありぬ 鴫原さき子
声ではない手話では怒りなどの直接的な感情表現はしにくいでしょう。この句ではその動作の中に怒りを感じとっているという繊細な表現ですね。上五の「鶏頭花」は人が手をあげているような形で、しかも赤く、視覚的にも効果的な表現ですね。
初日さす浄土ヶ浜や賢治の碑 摂待信子
大正六年七月、宮沢賢治は花巻町東海岸視察団に加わり、三陸汽船で浄土ヶ浜を訪れ、「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」と詠みました。平成八年十月、賢治生誕百年を記念し、浄土ヶ浜レストハウス前に、その歌碑が建立されています。この句は「初日さす」ですから、初日の出をこの浄土ケ浜で拝まれたのでしょうか。
恵比寿講打ち菓子並ぶ鯛の二尾 高橋光友
「恵比寿講」は七福神のひとつ恵比寿神の祭礼。陰暦の十月二十日や十一月二十日などに行われます。恵比寿は農村では田の神、漁村では漁の神、商家では商売繁盛の神で、地方によって様々な祝い事がなされます。この句は鯛の打ち菓子を供えているようですから、漁村の風習でしょうか。
猫のゐた椅子のくぼみや春隣 高橋みどり
最近、愛猫を亡くされて心はその服喪中のようです。猫の定席だった椅子が猫の座ったかたちのまま窪んでいる部分をクローズアップして、その喪失感が巧みに表現されていますね。
六花おそろしき魔と成りにけり 服部一燈子
「六花」とは雪のことですね。結晶の六角形のかたちからきた優雅な呼称ですが、豪雪地帯では雪は美しいものであるどころか、白魔と恐れられていますね。昨今の異常気象のせいで、例年にない大雪の被害が多発しているようです。
秋惜しむ点さず閉めず日暮れ窓 宮坂市子
秋の日暮れの急速な光と景の変化を、明かりも点けず、窓を開けたまま眺めているのですね。惜秋の感慨が巧みに表現されていますね。
小犬踏む落葉の音の軽きこと 村田ひとみ
小犬を連れての散策の景のようです。落葉の積もった道にさしかかったとき、自分と小犬が立てる音の違いに気づいたのですね。その繊細な表現に作者の優しさが滲み出ていますね。
式台の広き本陣残る虫 柳沢初子
「式台」は玄関の土間と床の段差が大きい場合に設置される板のことで、武家屋敷で籠に乗れるようにしたものですね。「本陣」は江戸時代以降の宿場で、身分が高い者が泊まった屋敷ですね。一般の者を泊めることは許されておらず宿屋の一種ではなく、宿役人の問屋や村役人の名主などの居宅が指定されることが多かった立派な屋敷ですね。「残る虫」は冬近くなって鳴いている虫の季語で、泣き声に力がなく数も少ないですね。この季語の効果で、そんな歴史自身が消えようとしているような趣がありますね。
冷めた街四角い街の四温晴 矢野忠男
「四温」は晩冬の季語「三寒四温」の子季語で、春が近い頃の気象現象。ほぼ七日間周期で天気が変化します。三日ほど寒い日が続いたあとで四日ほど暖かい日がつづくことから。この句では「四温晴」ですから、そんな時期の天候ですね。都会のコンクリート製のビル街のまだ寒さの残る寒い日の雰囲気ですね。
簡易水道音の尖りて冬の川 山尾かづひろ
行政区の正式の水道網の埒外にある水源から、その狭い地区だけで施設された簡易の水道のことですね。たぶんきれいな湧き水でしょう。そんな小さな集落の姿が浮かびますね。
白菜に塩振る我の指太し 吉野糸子
白菜漬けの作業をしているとき、ふと自分の指に目が止まったのですね。下五の「指太し」の言い切りに自分の来し方、そして働く手の逞しさへの感慨が籠っている表現ですね。
城下いま冬満月や妻に酌 安齋文則
福島在住の作者ですから、城は会津若松城でしょうか。鶴ヶ城と呼ぶ地元の方の誇りでしょう。その満月の夜、夫婦仲睦まじく酒を酌み交わしているのですね。
廃校の朝礼台や冬に入る 磯部のり子
使われなくなって久しい、昔ながらの木製の朝礼台が雨晒し日晒しになっている、寂しげな景が浮かびますね。
◎ 共感好句「あすか集」三月号から
北庭の隅を照らせり石蕗の花 須貝一青
家の北側の庭ですから、狭い空間でほとんど日が差さないところに石蕗の花が咲いているのですね。その鮮やかな黄色がまるで太陽のようにその空間を明るくしているように感じられたのでしょう。曇りがちな自分の心にも日が差したような表現ですね。
垣根越し黒猫通る松の内 鈴木 稔
「松の内」ですから、お正月にやってくる年神様の依り代である松を飾っておく期間のことですね。一年の安寧と無病息災を願い、お祝いする日本古来の行事です。そんな神聖な雰囲気の中、垣根越しに黒猫が通るのを見かけたのですね。さて、吉兆でしょうか。
上賀茂の酢茎選ぶや夫はなく 砂川ハルエ
「酢茎漬」といえば千枚漬、しば漬と並び、京都の冬の代表的なお漬物です。塩だけで漬け込んで作られ、乳酸菌による発酵作用による味わい深い酸味が特徴です。今から四百年ほど昔の桃山時代、上賀茂神社の社家(しゃけ)(神社に仕える氏族やその家)が賀茂の河原で見つけたカブに似た珍しい植物を持ち帰って植えたのが始まりだという説や、御所から賜った植物を植えたのが始まりなど諸説ありますが、上賀茂神社の社家の間で栽培が始まったとされています。江戸時代末期頃からは一般の畑でも自家用や贈答用としてわずかに栽培する程度だったようで、広く普及しはじめるのは明治維新以降だそうです。この句は下五に「庭あかり」を置いて、午後のお茶の時間を独りで過ごしているのですね。少し哀感が滲みます。
病得て優しき言葉福寿草 関澤満喜枝
病気になったからといって周りの人がみんな優しくなるとは限りませんが、この句にように詠まれると、そうであってよかったね、という気持ちになりますね。下五の福寿草の季語が効いていますね。
重ね着や母の使ひしくぢら尺 高野静子
「重ね着」は三冬の季語で寒さ厳しい折、衣服を何枚も重ねて着ることですね。この句では着ている様子ともとれますが、句意からすると、それらの衣服を作った母のことを想起しているようにも読めますね。「くぢら尺」はその名の通り鯨の髭から来ていて、ものさしの材料に鯨の髭を用いていたことが始まりでした。鯨尺の一尺は三七.八十八㎝。昔、和裁では尺が使われました。時代を感じますね。
小さき手をつなぎけんけん冬夕焼 高橋富佐子
「けんけん」は石蹴り遊びのことですね。地面にマス目や円などの図形を縦列にいくつも描き、石を使いながら片足飛び(けんけん)で順番に進んでいく子供の遊びで、地域によっては「けんけん」「けんぱ」などとも呼ばれます。遊び方は地域によって微妙に違うようですが、最後の「ぱ」は、円などが二つ並びになって両足をつけるときの形ですね。この句はそれをしているのではなく、そのリズムで仲良く手をつないで子供が跳ねている様ですね。もうすぐ日が暮れます。帰宅の時間です。
落葉にも個個の彩りありにけり 滝浦幹一
「落葉にも」の「にも」は、その前に「人にも」が省略された表現ですね。その暗喩表現というわけですね。一様のような中の多様性の発見の感慨ですね。
菓子箱に母の編針冬銀河 中坪さち子
綺麗な色形の菓子箱でしょうね。その中に母の遺品の編針を発見して、在りし日の面影が甦った感慨の句ですね。下五の「冬銀河」がはかなるものに思いを寄せているような効果がありますね。
山茶花や群れる雀の声低し 中村 立
雀の鳴き声の音程が条件によって変化するとは知りませんでした。確かな観察眼が光る句ですね。
店員の日本語流暢晦日蕎麦 増田綾子
外国人の店員さんが晦日の店で働いているのに遭遇したのですね。こうして異郷で年末まで働いているのだなーと、その人の気持ちに寄り添う作者の優しさを感じる句ですね。
手のひらの三本の線日向ぼこ 水村礼子
「三本の線」は手相でいう三大重要線の生命線、頭脳線(知能線)、感情線のことでしょう。ほとんどの人にあり、深く貫いているほどその相が強いという見立てですね。よく天才型の人の手相で真横に深い頭脳線だけがある人がいる、などという話を聴きますね。この句はしみじみ日向ぼこをしながら、自分の手相を眺めているのですね。
傾ける富士見多聞の葦枯るる 望月都子
「富士見多聞」の「多聞(たもん)」とは、防御を兼ねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことで多聞長屋とも呼ばれました。鉄砲や弓矢が納められ、戦時には格子窓を開けて狙い撃つことができました。本丸の周囲は、櫓(やぐら)と多聞で囲まれて万一に備えられていました。この句は皇居のものを見学したときのものでしょうか。本丸内の松の大廊下跡近くに、少し高台になっている場所があります。その上に建てられているのが「富士見多聞」と呼ばれる多聞櫓ですね。上五の「傾ける」は実際にそうなのか、そのように迫って見えたかのどちらかでしょう。
冬銀河「二十億光年の孤独」 神尾優子
詩人の谷川俊太郎の詩と共鳴する思いを詠んだ句ですね。「二十億光年の孤独」は谷川俊太郎が、十七歳のときから書いてきた詩が収録された詩集のことでしょう。高校卒業後、大学進学はせずに趣味の模型飛行機作りとラジオの組み立てと詩作に没頭していた折に、父親から将来はどうするつもりかと問われていた谷川俊太郎でしたが、書きためていた詩のノートを父に見せると、その作品に父親は衝撃を受け、友人の三好達治にそのノートを送ります。結果、三好達治の推薦で、谷川さんの詩が文芸雑誌に掲載されデビュー作となります。詩は隠喩のような言葉が並び、意味を理解しようと思うと、なかなか難しい作品です。以下に引用しておきます。
二十億光年の孤独
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或(ある)いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
合性の筆は一本春小袖 紺野英子
作者は茶道の先生ですから、ふだんから和装で、文字も筆で書かれる方でしょうか。好みの筆もたくさん所有していらっしゃるのでしょう。でも、書き心地が気に入って普段使いをしているものは限られるものですね。なにごとにも丁寧に向き合っていらっしゃる暮し方が感じられる句ですね。
自己主張できぬ子ひとり花八ツ手 笹原孝子
目立たず大人しい子で、決して自己主張をしたりしない子が一定の集団の中には必ずいます。そんな子に目がいってしまうのは作者の優しさ故ですね。下五の「花八ツ手」の季語が効いていますね。軒下の日陰の目立たないところにひっそりと咲いているのを見かけます。
〇 注目句 「あすか集」三月号から
わび助が咲いてもいまだメジロ来ず 立澤 楓
はきはきと子が空見上げ両手上ぐ 千田アヤメ
藪背負ひ深閑として寒き家 坪井久美子
初読みの干支の絵文字に年かさね 成田眞啓
クリスマス鈴の音入りの演奏会 西島しず子
真澄の空木漏れ日踏みて落葉道 乗松トシ子
紅葉散る今散り際と惜しみ無く 浜野 杏
到来の葱食べつくし鍋さびし 林 和子
縦長の南に雪や秋津島 平野信士
無事生きていつもと同じ日記買ふ 曲尾初生
葱を切る厨にまぶし朝日かな 幕田涼代
初春や赫き小切れで縫ふ鞄 三橋光枝
蝋梅や五十年経し主となる 緑川みどり
初富士の機嫌見に行く八十段 保田 栄
町ひとつまたぎて太し冬の虹 矢吹澄子
あれやこれそれでもひとりの年用意 吉田 史
初めての紅さす口に千歳飴 安蔵けい子
歯並びを誉めらるるかなお年玉 内城邦彦
吾妻嶺の残雪わずか鍬を砥ぐ 大谷 巌
着ぶくれて家事二つ三つ省略す 大竹久子
もどかしや老いし二人の暮仕事 柏木喜代子
手の平にしばし綿虫母忌日 金子きよ
日向ぼこ脇には猫と麦チョコと 木佐美照子
冬服の学童少し大人びて 城戸妙子
寒の内手作り味噌も二十年 久住よね子
団栗の袴外しておままごと 齋藤保子
初みくじ開けた夫の目やわらかし 須賀美代子