あすか誌 12月号 2024(令和6)年
あすかの会 11月 兼題「枯野 転」
野木桃花主宰
ひそやかに黄菊白菊母は亡し
地の微熱小春日和のつづきをり
小春凪離岸の船の汽笛鳴る
石蕗咲いてひつそりかんと路地の奥
野木主宰特撰
雲の翳走りて枯野動き出す 玲子 最高得点句
武良特撰
冬の薔薇あの一言を転機とす 玲子 最高得点句
最高得点句
万の根の生命ひそかに大枯野 玲子
転勤の辞令一枚おでん鍋 礼子
火星にも川の痕跡枯野原 英子
土踏まず枯野の温み持ち帰る 典子
準高得点句
枯野にも老にもありや明日の夢 礼子
鼻唄の津軽じょんがら枯野中 かづひろ
色のない夢を見ている大枯野 さき子
このあたり落人伝説枯野行く 孝子
白足袋の一日の疲れはたきけり 孝子
準々高得点句
考読みし本を開けば木の葉髪 礼子
冬銀河忘れたきこと夢に見る 尚
施設へと転居のうはさ室の花 孝子
※ ※
日の匂ひ残る草枯三輪車 悦子
冬あたたか転校生の国訛 ひとみ
薄氷や水屋の柄杓伏せしまま 英子
たゆたゆと自転してゐる水蜜桃 英子
訛なき赤きマントの転入生 典子
枯野来て素つぴんの顔並びをり 典子
サルビアの赤の向ふの転轍手 かづひろ
立読みは婦人公論秋袷 かづひろ
寂として踏み込む隙のなき枯野 尚
トロッコの音の消えゆく霧襖 玲子
雲水のふっと消えたる初時雨 さき子
ゴーギャンのパレットもあり柿落葉 さき子
夫逝けり夫を知らぬ児七五三 孝子
句にならず舌に千転冬日和 市子
小春日の回転木馬高く高く 典子
肩で押す回転ドアや冬の月 さき子
凩一号回転ドアに木の葉舞ふ 尚
雲奔り枯野に転(まろ)ぶ草の毬 尚
枯野原風生み八方まぶしめる 市子
磴ひらけ眼下に枯野一望す 市子
耕運機の音転げくる枯野かな 市子
冬ざれの回転扉にある不安 悦子
秋日傘傾げて海を振り返る 悦子
晴れわたる信濃の河原渡り鳥 悦子
翠玉の湖の吊橋小六月 ひとみ
水子地蔵ぐるりと石蕗の花灯る ひとみ
枯野行く果てはもうすぐもうすぐと ひとみ
目印の転びバテレン秋薊 かづひろ
口裂けの女役請け文化祭 礼子
これほどに咲いてゐたとは椿の実 英子
武良竜彦
言葉から棘抜いてゐる枯野かな
輪転機ことば吐出す冬真昼
葉を落す木は木のこころ初時雨
あすか塾 67
《野木メソッド》による鑑賞・批評
「ドッキリ(感性)」=感動の中心
「ハッキリ(知性)」=独自の視点
「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ
◎ 野木桃花主宰十一月号「福島へ」から
ふり返るひとすぢの道野辺の秋
実際の未踏の草原に分け入ってついた自分の足跡とも、人生の比喩として「ひとすじの道」とも解釈できる句で味わいがありますね。
人の世の群れて縺れて葛の花
繁茂期の葛の蔦は幾重にも重なり合っていますね。そのさまを人の世に喩えた表現ですね。でも可愛らしい葛の花が下五に置かれたことで、それを厭世的に詠んだのではなく、大らかに肯定している句意が立ち上りますね。
祈るとは目を瞑ること秋の声
祈りの姿勢の自然なさまを、そのまま詠んだ句ですが、こうして句にすると深い内省的な思いの表現になりますね。
星 利生様を悼む
意のままの生涯十月桜かな
「あすか」の古くからの同人で、後輩の指導などで会を牽引してくださった方への追悼句ですね。その泰然自若とした生き様への敬意溢れる表現ですね。
◎ 「風韻集」十一月号から 感銘秀句
昼寝覚あつと言ふ間に老いてをり 山尾かづひろ
「邯鄲の夢」という故事を踏まえた句ですね。「邯鄲(かんたん)の夢」は中国の故事『枕中記(ちんちゅうき)』の一つで、「邯鄲」とは戦国時代の趙の都市のこと。盧生(ろせい)という青年が、邯鄲で成功することを夢見て旅にでます。そこで道士呂翁(りょおう)と会い、栄華が思いのままになるという不思議な枕を借りました。そしてうたた寝をする間に、五十余年の富貴を極めた一生の夢を見ます。しかし、目が覚めてみると宿の主人が炊いていた粟もまだ煮え切らないほどの僅かな時間だったということです。この『枕中記』の伝説より「邯鄲の夢」ということわざができました。人の世や、人生の栄枯盛衰(えいこせいすい)ははかないというたとえです。
噴水や胸の秘め事吐き出して 吉野糸子
垂直に噴き上げる爽快な水のさまに、自分のうちに溜まった「秘め事」を吐き出したい気持ちを投影した表現ですね。あんなふうに、なんのわだかまりもなく出来たらなーと。
台風が逸れてゆきさう岸に鷺 安齋文則
上五中七で、台風の進路予想の話かと思って読んでいると、下五で「岸の鷺」とあり、生きものたちが嵐に翻弄されなくて、よかったねという優しい思いの表現になっています。「技あり」の句ですね。
老鶯の声にトースト跳ね上る 磯部のり子
トーストはサーモスタットの仕組みで、パンが焼けると自動的に跳ね上がります。老鶯の声がまるでその合図だったかのような表現がユーモラスで効果的ですね。
鳳仙花知覧に残る日記かな 大木典子
知覧は戦時中、特攻機の出撃基地があった場所で有名です。記念館には特攻兵たちの遺品が数多く展示されています。涙なしでは見られない展示ですね。鳳仙花のはかなく散るさまと取合せたのが効果的ですね。
百年へ新たな闘志百日紅 大澤游子
「百年へ」といえば、一世紀。次の一世紀への「新たな闘志」という表現から、個人的なことではなく、ある程度の大きさの共同体のことのようです。それを我が事として受け止めている表現のようです。「百日紅」はその名の通り非常に開花期が長く、真夏の暑い中でも休むことなく開花し続けますね。
カラメルを煮詰めたやうな溽暑かな 大本 尚
ストレートな直喩表現ですが、溽暑をいかにも濃縮されたような色の比喩で表現した「技あり」か「一本」の切れがありますね。
ギランバレーと闘ふ友や晩夏光 風見照夫
「ギランバレー」とは、「ギラン・バレー症候群」の略語で、急性・多発性の根神経炎の一つだそうです。主に筋肉を動かす運動神経が障害され、四肢に力が入らなくなる病気で、重症の場合、呼吸不全を起し、一時的に気管切開や人工呼吸器が必要になります。日本では厚生労働省の難治性疾患克服研究事業の対象となっているそうです。それに罹患した友人への想いの句ですね。
西瓜買ふ水平線の見ゆる丘 金井玲子
水平線が遠望できる高台の町に住んでいらっしゃるようですね。坂道を重い西瓜を抱えて登り切って、立ち止まり、視線を海のほうに投げた瞬間の気持ちが伝わります。
草笛の音色はみどり牛寄り来 近藤悦子
音色までみどり色に染まっているようだという表現に詩がありますね。牛を飼っている広い牧場の景が浮かびます。
箱庭の一村一寺医師不足 坂本美千子
上五の「箱庭」は、人口も少なく、面積も広くない田舎町の比喩のようですね。そう詠むことで俯瞰的な視点が生まれ、医師不足という過疎地ならではの切実さが伝わりますね。
人逝くや昨日のままの蝸牛 鴫原さき子
いくら遅い蝸牛の歩みの速度とはいえ、一日も不動ということは現実にはないでしょう。でもこう詠むことで、亡くなった方への哀悼の想いの深さが伝わりますね。
休耕や日をいつばいに赤のまま 摂待信子
休耕地で「赤のまま」などの雑草が生い茂った、荒れた状態の耕作地のさまを詠んだ句ですが、「日をいつばいに」と描写表現し、花にズームアップすることで、その荒涼感が和らぎますね。
痛風のミャンマー人に空心菜 高橋光友
「空芯菜」の旬は六月下旬辺りから九月頃まで。高温多湿の中国南部や東南アジアが原産であるため、暑さに強い野菜です。作者が日本語指導をしている生徒の「痛風」を心配してのもてなしの料理でしょうか。さつまいもの葉茎に似ていて、中が空洞になっているのがその名の由来です。葉にはぬめりがあり茎はシャキシャキとした食感のクセのない味わいで、炒め物やおひたし、和え物などさまざまな料理に向いています。
挿してまた母の忌来る吾亦紅 高橋みどり
上五の「挿して」は、一輪挿しの花瓶などに飾っている表現だと解しました。吾亦紅の花を亡き母上が好まれていたのでしょうか。根はうがい薬などの生薬にもなりますから、そんな様々な思い出が詰まっているのかもしれません。
十六夜や猫の目やけに光らせて 服部一燈子
満月の翌日の月で、まだ明るい月光下の景ですね。「やけに」という一言の挿入で、何か特別な雰囲気を醸し出しているような空気感が生まれている表現ですね。
汗流し胸の透くまで玻璃戸拭く 宮坂市子
「胸がすく」の「すく」は、もともとある空間を満たしていたものが少なくなり空きができたり、まばらになることですね。それをこの句では「透く」として、胸が透けるほど軽やかになるというような意味合いを持たせ、下五の「瑠璃戸拭く」の仕上がりの透明感の方にかかる、巧みな表現ですね。
赤を噴く「沖縄戦の図」流燈会 村田ひとみ
「沖縄戦の図」は丸木位里・丸木俊共同制作の《沖縄戦の図》全一四部のことですね。その代表となる大きな絵には二か所、血のように吹き出す炎の赤色の塊の表現があります。この句の「赤を噴く」はまさにそのことですね。下五に「流燈会」という魂鎮めの言葉を置いたのがいいですね。丸木夫妻には広島の図、水俣の図、アウシュビッツの図などもあります。
朝採りの胡瓜のとげをいとほしむ 柳沢初子
刺がしっかり立っているものほど、新鮮だといいます。鮮度を失うと刺がなくなってしまいます。この句も「朝採りの胡瓜のとげ」の新鮮さを愛おしんでいるのですね。
天高しゆすり込みして大神輿 矢野忠男
「ゆすり込み」とは、神輿を舟に見立てて、左右に大きく揺らすことですね。ダイナミックな見せ場です。その景を詠むのに、上五に「天高し」を置くのが、俳人の感性ですね。
◎ 「あすか集」十一月号から 感銘好句
緋目高や早く下さい朝御飯 斉藤 勲
「緋目高」はメダカの突然変異品種の一つで、飼育が容易であることから観賞魚として飼育されていますね。この句の中七、下五は、その「緋目高」が朝御飯の催促をしているようで、ユーモラスですね。
遠き日の潮風を呼ぶ貝風鈴 斎藤保子
貝殻で作られた風鈴の音色に、潮騒のような風を感じたという表現が詩的ですね。上五の「遠き日」ので、その貝が生きていた海を回想しているような趣がありますね。
丁寧に提灯たたみ祭り果つ 笹原孝子
付けの作業をしたという、時間の経過が感じられますね。祭などの共同体の行事が大切にされている文化の歴史まで感じさせる表現ですね。
在祭畑年々様子変え 須賀美代子
「在祭」は秋季に行われる、その土地伝統の祭ですね。その変らぬさまと、畑の作物の種類や農法は変化し続けていることを対比した、たくみな表現で独得の詩情がありますね。
九十の我を見守る北斗星 須貝一青
北斗星に自分が見守られているようだ、という表現は深みのある表現ですね。やはりこれは九十歳という卒寿にならなければ解らない境地ではないでしょうか。
秋雷や健診結果の封を切る 鈴木 稔
やはり健康診断結果通知の封書であることに意味がありますね。開封する前のドキドキ感。その結果が「秋雷」で予告されているかのようです。
旅立ちし孫も寄り来る霊送り 砂川ハルエ
誤読かもしれませんが、上五の「旅立ちし」は、先に亡くなっている方の表現でしょうか。霊送りの灯に、その御魂も寄り添っているように感じられたのですね。
気候変動稔田常の風渡る 関澤満喜枝
立派に実った稲田の健在ぶりを讃えている表現のようですね。この厳しい気候変動にも、よく耐えてくれたね、と。
祭り終ふ今日満員の一輌車 高野静子
一輌車といえば、単線の田舎とその停車駅のある鄙びた町を想像しますね。人口が少なく、普段はガラ空ぎみの車内が、祭の終わった後、人でいっぱいに賑わっている景でしょう。来る時は一斉ではないですから、終わった後の景ですね。
送り火の「大」の彼方に妣の笑み 高橋富佐子
大の字の送り火といえば、京都の五山の送り火の一つ、「大文字の送り火」を想い浮かべますね。その火の揺れる彼方に「妣の笑み」を感じたという、詩的な俳句ですね。
はかなさを電柱に来て鳴く夜蝉 滝浦幹一
上五の「はかなさを」の「を」が効いている表現ですね。「はきなさや」で切れる表現や、「はかなきは」と主語的に立ててしまうと説明になります。蝉がそのはかなさを悲しんでいるように鳴いている、という詩情が立ち上りますね。
水やりの庭の私に法師蟬 立澤 楓
「庭の私に」という逆ズームの表現が効果的ですね。光のスポットライトではなく、音のスポットですね。秋遅くまで鳴く法師蝉について、このような自分へ引き付けた表現は初めて読みました。独創的ですね。
鈴虫の眠りを忘れ一夜鳴く 千田アヤメ
昆虫も眠るのですね。夜行性の昆虫は昼間に、昼行性の昆虫は夜に眠るそうです。昆虫は瞼がないので女を開けたまま眠るそうで、静かに動かないときが睡眠のようです。作者も「寝ないで」一晩、その音色を聴いていたのでしょう。
自販機の悲鳴をあげる炎天下 坪井久美子
たぶん機械的な唸り音がしているのでしょう。耳を澄ますと確かにそんな音が聞こえますね。炎天下でその音が一際高く「悲鳴」のように聞こえたという表現に、作者の猛暑に耐えている気持ちが投影されていて、効果的な表現ですね。
真夜中のジリと一声蝉の夢 中坪さち子
下五を「蝉の声」ではなく、「蝉の夢」にしたのがいいですね。ただの鳴き声ではなく、この暑さで蝉までが悪夢うなされているようで、独創的な表現になっていますね。
蔦紅葉丸吞された空屋敷 成田眞啓
蔦紅葉の繁殖力はすさまじく、どんな荒れた壁面にも貼りついて枝を伸ばしてゆきますね。この句では大きな空屋敷が呑みこまれてしまった景のようです。圧巻ですね。
カマキリの迷い込んだるビルの中 西島しず子
野性のカマキリを、都会のビルの中で発見したようですね。その違和感というよりも、カマキリの方に気持ちが寄せてある読み方で、その戸惑いに同情しているのでしょう。
遠き日のお化け屋敷や筵囲ひ 沼倉新二
お化け屋敷も筵囲も季語にはありませんから、この句は無季俳句ということになりますが、粗末な筵で囲っただけの、俄造りのお化け屋敷というと夏のお祭りを思い浮かべますね。肝試しで遊んだ懐かしい記憶なのでしょう。
あかときの光をまとふ古代蓮 乗松トシ子
「明時 (あかとき) 」は「あかつき」の古語的な言い方で、風情がありますね。夜半から明け方までの時刻、または夜明け方のことですが、その薄明の光をまとって古代蓮が開いているという景ですね。何か神々しさを感じますね。
埋立地木々の育ちて蝉時雨 浜野 杏
蝉時雨になるほどですから、原野を開拓してできた住宅造成地に設けられた、新しい造園的な木々の成長の速さに、ある種の感慨をいだいている句でしょう。
敬老日花よりだんごと妣の言う 林 和子
「妣」ですからもう亡くなっている母のことですね。だんごをいただくとき母が言っていた口癖のような言葉を、自分もそっくり言っているのでしょうか。
虫垂も胆のうも無く新走 平野信士
「虫垂」も「胆のう」も炎症を起こして手術で切除されることが多い器官ですね。この句はその略称で「無く」という言葉で、切除された状態ということでしょう。その痛みから解放されて「新走」のお酒を呑まれているようです。健康のため、ほどほどに。
ホームステイ土産に縫ひし藍浴衣 曲尾初生
ホームステイの人の、帰国のお土産に、藍の浴衣を縫ってあげたのですね。なんと優雅な心尽くしでしょう。
盆提灯あの世の空はこんな色 幕田涼代
仏教的な「あの世」とは極楽・浄土または地獄のうちの、極楽と浄土のことを通常指していますね。この句も極楽浄土をイメージしていると思いますが、その空を盆提灯の色だろうと想像しているのですね。盆提灯は大きく分けて「吊り型」と「置き型」の二種類があり、新盆用盆提灯、盆提灯(御所提灯)、回転行灯、大内行灯、回転霊前灯の五大種の他に、切子灯籠、御殿丸提灯、住吉提灯などもあります。昔は蝋燭で灯を点しましたが、今は電球式が多く、一般的にほの赤い黄昏色が多いでしょうか。
色涼し工事シートの隣家かな 増田綾子
災害によって屋根が破損し、工事期間中、ブルーシートが掛けられている光景を見かけますが、この句は被害修理ではなく、定期的な家の修理のように感じますね。あの青色は涼し気ですね。因みに、ブルーシートの正式名称はポリエチレン製防水ラミネートシートで、その色が青色なので、通称「ブルーシート」と呼ばれているのですね。
敬老会一際高く澄んだ声 水村礼子
人声の賑わう「敬老会」の催しの会場のざわめきの中でも、はっきり聴き取れる音色の声だったようです。そこだけ切り取る俳句的な表現で、その場の華やいだ雰囲気が伝わります。
山の径今日は二匹目瑠璃とかげ 緑川みどり
美しい「瑠璃とかげ」。肌はぬれて光沢があり、青や緑の縞模様があります。蜥蜴を好きではない人が多い傾向がありますが、この句ではその出会いを喜んでいるようですね。山道の疲れを束の間、癒してくれているようです。
台風裡手足広げて骨休め 望月都子
台風の直撃コースで被害を受けそうではない場所のようですね。台風のせいで、実害はないが、仕事や用事がなくなり、束の間の休養時間がもたらされたようですね。
蔓引けば袋三つの大仕事 保田 栄
芋づる式という言葉がありますが、この句の蔓はカズラ系の、生命力の強い雑草のようですね。植栽を守るために定期的に除草しているのでしょう。袋三つほどの大仕事だったようです。
闇といふやはらかき檻螢とぶ 安蔵けい子
この句の独創性は、闇を「やはらかき檻」と表現したことにありますね。捉えて籠に閉じ込めなくても、自分もその中に囚われている、という小さな命への共感という詩情が立ち上りますね。
またしても友の影かな夏の夢 内城邦彦
友の影が「またしても」現れたのは夢の中のことでしょう。句全体の味わいから、この友はもう故人のように感じられます。夢に現れるくらいですから、思い出をたくさん共有した親友だったようですね。
一村を占拠するがに竹の春 大谷 巖
「竹の春」。成長した若竹も、秋には立派な竹となり、親竹も青さを取り戻すため、「竹の春」と呼び、秋の季語になっていますね。それを「一村を占拠するがに」と表現したのが効果的ですね。その生命力を感じます。
西瓜買ふ先づは叩いて音を買ふ 大竹久子
下五の「音を買ふ」の表現が、独創的ですね。食べごろの西瓜のいい音が聞こえます。楽しい雰囲気も伝わりますね。
知覧茶をひとくち含む敗戦日 小澤民枝
知覧はお茶の名産地でもあり、戦時中、特攻機の出撃基地でもありました。今は記念館も建ち、さまざまな遺品が展示されています。知覧茶は濃厚なタイプのお茶で、その苦味と戦争の悲劇の記憶が響き合いますね。
猛暑なりプール教室休みます 柏木喜代子
猛暑で屋外プールの使用ができなかった、というニュースを今年、初めて耳にしました。そんなことはこれまでありませんでしたよね。そこに注目して詠んだのがいいですね。
七夕竹ゆさゆさ軽トラ園に着く 金子きよ
あの竹の枝のボリューム感を「ゆさゆさ」とオノマトペで表現し、それを載せてきたのが「軽トラ」という庶民的な自動車にしたのが効果的ですね。業者から買ったのかもしれませんが、親が無償で竹を運んでくれたようにも感じます。
白シャツや沸騰列島目にまぶし 神尾優子
猛暑の表現に白シャツの反射光の眩しさをもって詠んだ句は初めて読みました。独創的な視点ですね。
妖艶な死者の手招き夏芝居 木佐美照子
プロの歌舞伎でも、同好会の芝居でも、伝統のある田舎歌舞伎の侮れない水準の芝居でも、夏の出し物に欠かせないのが、幽霊ものですね。大方が男尊女卑の犠牲になった女性の怨霊であることが多く、その姿が美しいほど怖いですね。
夏草の命尽して繁りをり 城戸妙子
この句のポイントは「命尽して」ですね。夏草の中には生命力の強い雑草も含まれているでしょう。その命のさまのすべてを寿ぐまなざしを感じる句ですね。
台風禍流るる雲は切れ間なく 久住よね子
台風通過時の空模様をしっかり観察した表現ですね。分厚く切れ目なく、黒々とした塊がひとつになって動いてゆくさまは不気味ですね。
永らへし吾が影映し水澄めり 紺野英子
澄んだ秋の水面に映じた吾が影。微風にかすかに揺れるそのさま。そこに自分の来し方への想いの揺らぎを投影して、詩情がありますね。
※
講話
あすか塾67 宮沢賢治童話「風の又三郎」と俳句作品
もがり笛風の又三郎やーい 上田五千石
「鷗座」主宰の松田ひろむ氏が、俳誌十一月号の連載「新名句入門 名句のための俳辞苑30」で、童話「風の又三郎」と俳句について取り上げ、上田五千石の句の「もがり笛」と風の又三郎を取合せていることの、認識の間違いを指摘している。
「風の又三郎」の物語としての時間は九月一日から十二日。主人公の謎の転校生「高田三郎」が山の学校に滞在したのは九月一日から十一日の十一日間である。
新暦でいうこの時期は、歳時記的には、二百十日から二百二十日に該当する。
「風の又三郎」の登場人物の一人、「嘉助」も「二百十日」の風に言及しているシーンがある。
この季節風と、風変りな転校生の謎が背景になっている童話である。
歳時記的には「二百十日」は仲秋の季語で、立春から数えて二百十日目をいう。
新暦九月一日ころにあたる。
台風シーズンの到来が、稲の開花時に当るため特に警戒したものである。二百二十日とともに稲作農家にとっては厄日とする。
二十四節気は太陽暦に基づいて一年を二十四に分けたもので、旧暦と違って季節のずれがなく、農作業の目安となる。
新暦の二月四日ころにあたる立春は、ちょうど旧暦の正月のころと重なる。
正月も年のはじめなら、「立春」もまた年のはじめ。立春を年のはじめと定めることで、「八十八夜」「二百十日」というような季節点をおき、農事の目安や自然災害に対する備えとした。
「虎落笛(もがりぶえ)は三冬の季語で、厳寒の夜空を、風がヒューヒューと音を立てて渡ること、またはその音のこと。「虎落」とは竹を立て並べて作った柵や竹垣のこと。
それが烈風に吹かれて、笛のように音を立てることに由来する。
だからこれを「殯」の「笛」と解するのは深読み過ぎ。
松田ひろむ氏の指摘の通り、上田五千石の句の「もがり笛」と「風の又三郎」は季節が合っていない。
また誤解されやすい「風」に、 仲秋の季語「やまじ」「やまぜ」と、三夏の季語の「やませ」がある。
「やまじ」は二百十日から二百二十日頃にかけて吹く強風。漁船の遭難や、収穫前の稲に打撃を与える原因ともなるため、農民に恐れられる。
「やませ」は山を越えて吹いてくる風。北海道や東北の夏に、冷湿の北東風ないしは東風として吹く冷害の誘因になる風である。
十月あすかの会秀句 兼題「面 秋の声」 二〇二四年十月二五日
◎ 野木桃花主宰の句
祈るとは目を瞑ること秋の声
人の世の群れて縺れて葛の花
天高し湯の町に響く下駄の音
赤面の野球部員や鵙日和
◎ 野木特選
秋の声肩甲骨のあたりから 孝 子
◎ 武良特選
耳打の叔母にザボンのにほひかな かづひろ
◎ 秀句 選の多かった順
鶏頭花身ぬちにひそむ不発弾 尚 準高得点句
乳の染み残る留袖秋の風 悦 子 準高得点句
小鳥来る私は今日からお姉ちゃん 孝 子 準高得点句
をちこちに母の面影菊の庭 玲 子 準々高得点句
虚貝(うつせがい)踏めば遥かな秋の声 尚 準々高得点句
野面積みの穴太(あのう)の剛力天高し 悦 子 準々高得点句
石蹴れば石にもありぬ秋の声 さき子 準々高得点句
懐かしき面差し胸に星月夜 典 子
玄関に来し蟷螂も一過客 さき子
銀杏の落葉が栞「たけくらべ」 英 子
面食いはむかしの事よマスカット 孝 子
名優の逝きて閑かな秋の声 都 子
面長の少女のまなざし菊人形 都 子
故郷の乗り換へ駅や秋の声 玲 子
小面にかすかな愁ひ秋ともし 尚
秋の声背中合はせの駅ベンチ かづひろ
透析に命をつなぐ鬼城の忌 かづひろ
夕暮は煙の匂い薄紅葉 さき子
竜安寺石それぞれの秋思あり さき子
E・Tとなりて銀翼月に入る 都 子
着る着ない問われる秋の更衣 礼 子
大野原イヤホン外せば秋の声 悦 子
叡山の不滅の灯り秋の声 悦 子
秋澄むや路面電車の音跳ねる ひとみ
牌ガチャと面子の揃ふ秋灯下 ひとみ
湯の町の花を自在に冬の蝶 英 子
花の息菰よりもらす秋のこゑ 英 子
木洩れ日の水澄む水面昼下がり 市 子
秋入日湖面平らに闇深む 典 子
鉄塔が校歌になつて秋高し 典 子
盃を交はす秋風来し人と 尚
小面の青い目をした菊人形 英 子
足元から四方八方稲子発つ 都 子
秋の声椅子に寂びさぶ向こう脛 市 子
秋の声揺れ止む木の間深閑と 市 子
秋の声姉に面会許されず 市 子
水槽を逃れし大亀千草踏む ひとみ
坂多き町の風道秋の声 ひとみ
秋高し連山望む無人駅 玲 子
音も無く流れゆく霧樹樹を抱く 玲 子
惜しげなく散らす花屑金木犀 典 子
粉吹き出す足裏しみじみ冬隣 礼 子
一膳目ただもくもくと今年米 礼 子
刈り終えし田の面や安堵とわびしさと 礼 子
秋の夜曲芸バイクの面構え かづひろ
あやふやな暗証番号ちんちろりん 孝 子
参考 ゲスト参加 武良竜彦
尊厳死論じて芋の煮転がし 最高得点句
秋の声賢治のセロの弦が鳴る
鬼の子や滅びの鐘が野に街に
あすか塾 講話
渚のアポリア―俳人・石牟礼道子への道程 最終回
小熊座連載稿(十月号用)
むすびに 何故俳句だったのか
今、わたしたちはどんな世界に生きているのか。
その文明世界が人類に対して加害的になっている現状の考察、何故、そのようになってしまったかという考察。
そしてわたしたちは、どう軌道修正するべきなのか、それは果たして可能なのか、という問題に突き当たった。まさに石牟礼道子が問うたのが、この問題だったである。
簡潔に述べると、ことは近代文明だけの過誤ではなかったということだ。
はじまりは人類が、言葉という「認識の道具」を、論理による世界の理解と征服のために使い始めたことに端を発する、「文明禍」という過誤であったという、人類精神史に関わるスケールの大きい問題だということだ。
文明という言葉自身が象徴するごとく、言葉で明らかにする、つまり言葉という認識的な象徴符号によって、論理的に世界を観察し、記号的な意味において、論理の不都合を発見し、その原因を取り除き、合理的に世界を解明し、手を入れ、加工という名の自然破壊によって「改善」するという方法が「文明」の手法である。
その過程でわたしたちは何を失ったのか。
「文明」という言葉の対比概念としての「野蛮さ」という概念に一括りされた、自然や世界との一体感を基調とした、「不合理な迷信的なもの」のすべてを失ったのだ。
そして「文明」が非人間的で、人間に対して加害的になることで、自然に対して加害的になっていた、ということだ。当然、それは人間の自然な生存のあり方の喪失、いや、全否定的な加害性を持つに至った世界ということだ。
もう、わたしたちは、その喪われた自然や世界との一体感のある生き方、非自我的認識、書き言葉的な言語ではない、声としてのかたりのことばの世界を取り戻すことは、不可能な地点で生きているということだ。
不可能だが、そのことについての問題意識を持つことが先ず大切であることは、もはや自明のことであろう。
自然や世界との一体感のある生き方。
そう、それは日本の詩歌の心の根底にあるものではなかったか。そこに何か考えるヒントがあるのではないか。
先に触れたモリス・バーマンはその前の著『デカルトからベイトソンへ―世界の再魔術化』(柴田元幸訳 文藝春秋社二〇一九年)で、すでに次のように述べている。
ことばが実体を失い、果てしなく記号化し、現世的な価値観優先主義で簡潔化、操作性を重視する近代にあって、わたしたちの生、自然の一部である命は、その内容を哲学的・宗教的に突き詰めたものとしての「意味」を失ってしまった、と。
この実体喪失の根が十六・十七世紀の科学革命にあり、その仕上げが資本主義と産業革命だった。
それ以前は、不思議な生命力を湛えた世界への畏怖と共感の中に人間の命は置かれているように感じられていた。
それを当時の人々が自覚していたかどうかに関わらず。
石牟礼道子が「かたった」ように、岩も木も川も雲もみな生き物として、人々をある種の安らぎのなかに包んでいた。前近代の宇宙は、何よりもまず帰属の場としてあった。人間は疎外された観察者ではなく、宇宙の一部として 宇宙のドラマに直接参加する存在だった。
バーマンはそれを「参加する意識」と呼んでいる。
彼にとって、問題の核心は人間の認識論のパラダイムである。時代を支配する科学主義優先の思い込みから、人間の認識が転換されない限り、人類に未来はないのだ。
科学的意識とは、自己を世界から疎外する意識である。 自然への参入ではなく、自然との分離に向かう意識である。
主体と客体とがつねに対立し自分が自分の経験の外側に 置かれる結果、まわりの世界から「私」が締め出される。
世界は「私の行為」とは無関係に成り立ち、「私」のことなど気にもかけずにめぐり続ける。
世界に帰属しているという感覚は消滅し、ストレスとフラストレーションの毎日が結果する、というバーマンの言葉の重要な部分を引く。
「問題は我々の日常生活に深く食い込んでいる。(略)今世紀初頭に一握りの知識人が囚われていた疎外感・無力感を、いまでは街を歩くふつうの人々がそれぞれに抱え 持っているようだ。感覚をマヒさせるばかりの仕事 薄っぺらな人間関係。茶番としか思えない政治。伝統的価値観 の崩壊によって生じた空虚のなかで、我々にあるものといえば、狂信的な信仰復興運動、統一教会への集団改宗、そして、ドラッグ、テレビ 精神安定剤によってすべてを忘れてしまおうとする姿勢である。あるいはまた、いまや国民的脅迫観念と化した、精神療法の泥沼の追求。何百万ものアメリカ人が、価値観の喪失と文化の崩壊を感じながら、自分の生を建て直そうともがいているのだ。」
さらに、とバーマンは続けて論述している。
ここには、消費主義体制に巻き込まれた心のパラドックがある、と。
自分自身に対して抱いている不安を、ものの所有によって埋めようとするがゆえの行動、すなわち、体制から受ける心の苦痛を和らげようとすることが──体制の心理的呪縛から自由になろうとするあがきが──体制を活気づけて しまうという閉塞状況のパラドックスの中にある現代を、わたしたちは生きているのだ、と。
そして精神の荒廃の根底にあるのは、宇宙や自然との一体感と、そこで充足できる自己との一体感、そんな全体性の喪失である、と。
まさにそれこそが、石牟礼道子文学の主題の背景と通底する問題である。宇宙、自然、自己という命、存在の一体感、つまり「全体性の喪失」という大問題である。
石牟礼道子が最後に選んだのが、なぜ俳句だったのか。
もう一度、石牟礼道子のことばを思い出しておこう。
俳句は死者たちと、そして死者たちのたましいと「道行き」をする私にとって、大いなる慰撫であった、ということばを。
自然や宇宙との一体感に不可欠なのが、死者の眼差しの内面化である。一体感の喪失は死の排除に起因している。
物言わぬ自然や宇宙と死者。
自分もその一部であると認識してはじめて内面化できる一体感。
近代文明の一部である近代文学は、死と共存する口誦的かたりの文体も喪失した。
ロジカルな個我と社会の軋轢などという、西洋的問題意識が文学的主題にとって替った。
重複するが、本稿本章、二の〈「かたり」についてー近代的な「作者」の死〉の項で述べたことを、再度、確認の意味で、ここで述べ直しておこう。
江戸の文化を濃厚に引きずる明治期、持て囃された西洋的な近代小説の手法に背を向け、前近代的「かたり」を死守した泉鏡花の作品を取り上げ、石牟礼文学はその流れに位置することを、すでに指摘したのでここではもう繰り返さない。
前近代の「ものかたり」の作者は、いわば共同幻想的な集合無意識的、非人称的な「かたり手」だったのである。
石牟礼道子の『苦海浄土』が文学として優れているのは、民びとの「かたり」に憑依し、そこで生きている人の命の真実の姿を「かたり」得ているからである。
それは近代的な「作者」がいる、近代小説の手法では表現が困難な世界である。
バルトが指摘する「作者の死」を乗り越えて、はじめて可能となる文学的地平であったといえるだろう。
石牟礼道子文学の創作者は石牟礼道子に他ならないのだが、その「かたり」のかたり主である「作者」ではない。
自然や宇宙との一体感を有する魂の蘇生のための文学において、近代的自我の「作者」は一端、葬られなければならない。
日本の非文字文化の中の、口誦的文化の中に豊穣に存在していたもの、文学が本当に、そこに言葉を与えるべく目指すことは、未だだれもそこに言葉を与えていないが、人間の血肉の中に埋め込まれている無自覚な「もの」「かたり」に言葉を与えて、顕在化してみせることではないか。
石牟礼道子の初期の短編小説、随想の書かれ方がまさしくそれであった。
メディアへの発表作品としては短歌から始まり、「水俣病」問題に向き合う過程で、自我と叙情的にこだわる短歌の限界を自覚し、『苦海浄土』に始まる小説を書く中で、自分が真に向き合うべき文学的主題である「死者」を発見し、然るべくして石牟礼道子は、最後に俳句という表現形式に辿り着いたのだ。
いや精神的には「帰還」したのだ。
だがそれは既存の伝統俳句や現代俳句を意味しない。あくまで彼女にとっての「俳句」だ。わたしたちも、自分自身にとっての「俳句」とは何かと模索しなければならない。
石牟礼道子にとって俳句とは、死者の魂に添寝して詠う「うた」であった。かつて日本国土に遍在した、自然と宇宙との一体感を有する、存在の手応えそのものを表現する、口誦文化の流れを自覚した、新しい創造的表現の地平。
石牟礼道子のこういう声が聞こえる。
今生きてある「価値」だけに囚われるのを止めて、もっと死者を自分の魂の中に住まわせ、その魂の奥底から立ち上がってくる旋律を「かたり」なさい、と。論理を述べたてるためにだけに声を使うのは止めなさい、と。書き言葉依存症という文明病から自由になりなさい、と。
月影や水底はむかし祭りにて
童んべの神々うたう水の声
これは通常の俳句表現を逸脱しているがゆえに、魂の深いところをゆさぶる肉声的な表現の「うた」ではないか。
本稿は、石牟礼道子のこのような文学精神世界への、わたしからのささやかなオマージュである。 ― 完